2013.03.18 Monday

野口祐子 From Geneva 最終回

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



こんにちは。
ミラノ在住のジャーナリスト兼スーパーコーディネーターの
野口祐子さんによる第83回ジュネーブ国際モーターショーのレポートもいよいよ最終回!
今日は舞台裏の小ネタを……。

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フェラーリと言えばランボルギーニ。ここにも人だかりが。
そう、ランボルギーニ50周年記念モデル、VENENOのお披露目。


3台限定300万ユーロとのこと。
世の中探せばこのクルマを欲しいという人、3名は居るだろう……


ただ、”ミニカー製造会社の方は大変だろうな〜、このデザインを忠実に起こすのは”
これが私の一言感想。
 
新車に関しては他でいろいろと報道されていると思うので、
私はプレスキットに関してお話をしたい。
5〜6年前まではモーターショーのプレスデイには大きな袋、
大きなキャリーバックを持って行かなければならなかった。
なぜなら、プレスキットが重いのである。
会場を回り終えるくらいには、沢山のプレスキットの山で肩、腰が痛くなる。
歩くどころではなくなる。なので、皆キャリーをゴロゴロさせながら会場を闊歩していた。


ところが! 3〜4年前から重たいプレスキットがCDへと変化して行った。
そしてそれからUSBを渡されるようになり、
今では名刺カードを渡されここからダウンロードしてください……というメーカーが多い。

何と味気ない。

昔は各メーカーの紙物のデザイン性をも感心しながら眺めていた。
それなりにメーカーも紙物に関しても力を入れていたと思う。
そこにもメーカーの心意気が感じられた。
クルマ同様、五感でプレスキットを味わえた。
勿論視覚、パラパラとページをめくる音、紙の質感、インクの匂い、その他。
でも今は遂に、プレスキットまでも……。
 
そんな中、私が集めた数少ないプレスキットをお見せしたいと思う。
私の中でもヒットは……
 

USBなのだけれど頑張ったランボルギーニ! USB入れがVENENOV。ちょっと心が動く。


イタルデザイン!これは心に刺さった。USBがノートに!
カッコイイ。しかもただのノートではないのである。


アウディもシトロエンも昔のプレスキットのにおいがする……。
 

USBと首かけ紐ユニットになっている場合が多い。便利と言えば便利だけれど。


またUSBがオシャレで高級イメージのシルバーのステンレスになている場合も多い。
でもこれも今では誰でも作っている、もう少し各メーカー工夫してほしい。


例えば、トゥーリング(上)にはインテリアのシートのレザーがちょっと付けていた。
それだけでも他社との違いが出る。
 
La FerrariのプレスキットはB5くらいの用紙が用意され、いつもの”ダウンロード”だった。
期待していたのに……
勿論、この車を購入する499名の選ばれた人たちには、
ドキっとさせるくらいの紙物資料も用意されているだろう……。
 

そうそう、ピニンファリーナもカギがモチーフになっていて洒落ていました。
ではこの辺で、さようなら。
 

2013.03.15 Friday

野口祐子 From Geneva その2

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



こんにちは。
今日もミラノ在住のジャーナリスト兼スーパーコーディネーターの
野口祐子さんによる第83回ジュネーブ国際モーターショーのレポートです!

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それでは、ピニンファリーナに行ってみよう。
 

何処かで見たなぁ……あの赤いクルマ。


そうだそうだ、このクルマ、ル・マン・ミュージアムにある、
アルド・ブロヴァローネさんが線を引き、1965年のパリのモーターショーで
発表されたDINO 206 GT Berlinetta Speciale Prototipo だ。
(いろいろな名称が飛び交っているので、どれを正式と言ってよいのやら? )


このプロトタイプからDINO 206、DINO246、
365P(このクルマはジャンニ・アニエッリの為に作られた3シーターのワンオフ)、
その他へと進化していく、
ピニンファリーナにとって沢山の名車を生み出した生みの親となるわけだ。


ル・マンからやって来たDINO 206、余り公共の場所には出ていない。
発表されてから直ぐにル・マンのサルト・サーキットにある
ミュージアムの中に入ってしまった。
ル・マンに行かないと見られない、貴重な名車だったのである。


どうしてか? それはパリかル・マンか?だかどこかに、
PININFARINAと命名された公園ができ、
その為にピニンファリーナは記念としてこのクルマをミュージアムに収めた……らしい。
それから余り外には出ていないそうだ。

そんな名車が2013年ジュネーブ・モーターショーの
ピニンファリーナ・ブースに飾られているのだから吃驚する。


ピニンファリーナ・ブースに向かい左側は、
1965年名車 DINO 206 GT Berlinetta Speciale Prototipo、
右側は今回発表された、”Sergio”。


最近、フェラーリとピニンファリーナの関係はどのような方向に向かっているのだろうか?
フェラーリは徐々に自分達で進めて行こうと画策しているよう。
ピニンファリーナの方はフェラーリ無しでも立っていられるように
新たに自社のブランディングイメージを確立しようとしているような……。


今回のSergioしかり、ピニンファリーナの工業デザイン部門しかり、
何となくフェラーリ社とピニンファリーナ社の分岐点のような時期のような気がする。
これからピニンファリーナはどのような展開を考えているのかがとても興味がある。
彼らの持つ歴史をいかに現代に組み込ませて行くか、経営陣の手腕にかかっている。


でも……フッと左側に目を向けると、
クリス・バンクルがDINOの方を念入りに見ているではないか……
目の前に2台のクルマを置かれると、ふ〜む”何か” を感じてしまうのは、
私だけではないと思う。時代を超えて輝き続けるものには不思議な魅力があるものだ。


(つづく)


2013.03.13 Wednesday

野口祐子 From Geneva その1

 


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。
久々にミラノ在住のジャーナリスト兼スーパーコーディネーターの
野口祐子さんから、第83回ジュネーブ国際モーターショーの
レポートが届きました。

他のメディアでは読めない、祐子さんならではの
裏側? から見たジュネーブの様子をお届けしましょう。
 
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プレスデイ初日、いつもより人が居るような……。
何はともあれ、まだクルマの世界に興味がある……ということは良いこと。
 
今回も独断と偏見のオタクレポートです。
 

会場をブラブラ歩いていると、私の横を腕を組みながら
スタスタと通り過ぎる仲睦まじい老カップル。
フっと見ると、何とフォルクスワーゲン・グループの頂点の人物、ピエヒ氏ではないか! 
そう、いつもの夫人にピッタリ寄り添い歩いている。
多分この会場で一番の重要人物、なのに、ボディガードは居ない。
案内人が一人ついているだけ……


”LA FERRARI”の発表会が終わったころ、FERRARIブースに着く。
まだまだ沢山の人が居る。本当にFERRARI人気は何処に行っても凄い。
人ごみの中をなんとかブース内の車の近くまで辿り行く。


何とそこにはモンテゼモロ氏が先程のピエヒ夫妻に
一生懸命説明しているではないか。


時折、いつもの手で髪を梳く姿はするものの、
ある時は中腰になって車体の下の部分を説明したり、
何処かを指さしながら大きなジェスチャーで説明したり……と
必死さが感じられ、なかなか見応えがあった。


どんな時でも同じ表情のピエヒ氏、一体何と答えたのだろうか? 
また心に中は何と呟いていたのだろうか?「うちのポルシェの方が……」

それにしても、昔のランボ・ファンの人は相槌を打ってくれるかと思うが、
このピエヒ氏、カウンタックの生みの親、スタンツァーニにそっくり!
キっと睨む表情も歩き方も……。
いつか二人のツーショットを是非撮ってみたいものだ。
 

さて、この”LA FERRARI”すこぶる人気。
ガゼッタデッロスポーツの重鎮ジャーナリスト、ピーノ アッリエーヴィ氏、
いつも辛口なのに、今回は素晴らしい!と発していた。
ブースの外には、一般に交じり何とフィオラヴァンティ氏が
LA FERRARIを見つめていた! 彼も”良いデザインだ”と言っていた。
その他、聞く人聞く人、なかなか良い評価だった。
このLA FERRARIはピニンファリーナではなく、
初めてFERRARIのチェントロ・スティーレで作られたクルマ。
気鋭フラビオ・マンゾーニ氏の指揮によって作られた。
さて、ピニンファリーナはどんな気持ちなのか?
 

(つづく)


2012.03.18 Sunday

ラジオ石巻での、イタリアの巨匠たちのメッセージの放送時間。

 

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極個人的な自動車偏愛日記



12日からご紹介しているラジオ石巻に届けられた
イタリア自動車界の巨匠たちからの
「3.11」に想いを込めたメッセージですが、
ラジオ石巻での放送時間が下記のとおり決定したそうです。

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野口さんやフェラーリCEOはじめ、
各メッセンジャーからの紹介について来週3月19日(月)から、
日本時間の16:00〜16:10の間で、数日間かけて放送したいと思います。
大きな余震や突発的なゲストが無い限り、優先してお預かりした文書を
紹介させていただきたいと思います。


以上、取り急ぎご報告まで

ラジオ石巻 今野雅彦より




2012.03.16 Friday

3.11 石巻へ 〜 イタリアの巨匠からのメッセージ その4

 

Motor Press(モータープレス)
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再びラジオ石巻に届けられたイタリア自動車界の巨匠たちからの
「3.11」に想いを込めたメッセージをご紹介します。

Sandro Munari
サンドロ・ムナーリ/ラリードライバー


昨年日本を襲った震災のニュースは、世界中の人々へも深い悲しみとともに広がりました。
我々の運命は神の手に委ねられています。しかし今回の災害が引き起こした大惨事は、
単に運命だけでは語れません。人間の側にも責任がありました。
地震のニュースを知ったとき、私はすぐに日本にいる友人たちのことを考えました。
メールを送って彼らの安否を確かめたところ、幸いなことに皆無事でした。
私は被災地の様子をテレビで目にしました。
大切な人を失った人々、苦労して築き上げてきたものを全て失ってしまった
人々の悲痛な姿がまだ私の頭から離れません。
その中で私が感銘を受けたのは、誰一人として困難に挫けず、
強い決意と意志をもってこれに立ち向かう姿です。
日本のみなさんはこれまでと同様、
他の国には見られない並外れた意志の強さを示されました。

私はこの11月に日本に行く予定ですが、
この機会に地震で亡くなった方々に哀悼の意を表し、
この凄まじい大惨事を耐え忍んだ日本のみなさんに賞賛の意を表したいと思っています。

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サンドロ・ムナーリ  プロフィール
1940年3月27日ヴェネド地方出身、ストラトスと共に活躍したラリードライバー。1966年にランチアティームからWRC出場、翌1967年にはランチア・フルヴィアでイタリア・ラリー選手権を制覇する。1972年にはモンテカルロラリーで初優勝し、同年のタルガ・フィオリオでもフェラー リ312PBを操り見事優勝。ストラトスに関しては開発当初から開発ドライバーを務め、ストラトスを万能のラリーカーに育て上げた。1974年から1976年までランチアのWRC3連覇に大きく貢献し、1974年、1975年、1976年 のモンテカルトラリー、ハッタトリックの偉業を成し遂げた。しかし1978年ストラトスのワークス活動停止を機に第一線から退いた。




Arturo Merzario
アルトゥーロ・メルザリオ/F1ドライバー

3月11日は私にとっても大切な日です。
実は、私は69年前のこの日、3月11日に生まれたのです。
そして私は今年、ドライバー歴50周年を迎えます。
私の日本への思い出は1976年に遡ります。
その時私は初めて日本を訪れ、富士スピードウェイでウルフ(ウィリアムズ)
のマシンを操縦しました。
日本滞在中、私は東京、京都、大阪など、たくさんの街を訪れました。
日本のみなさんが大変礼儀正しく、几帳面であったことを今もよく覚えています。
地震と津波が起こった3月11日は、日本のみなさんにとって
深い悲しみの日となってしまいました。
この日、多くの方々が被災されたことを思うと、とても心が痛みます。
震災にあわれた方々に、早くもとの生活が戻りますよう、心からお祈りいたします。


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アルトゥーロ・メルザリオ  プロフィール
1943年生まれのレーシングドライバー。1960年頃からレース活動をはじめ1967年からはアバルトのワークスドライバーとして活躍。そして1970年からその才能が認められフェラーリ・ワークスに加入する。そして1972年にはフェラーリからF1デビューするも、マシンの不調に苦しみ(最高位4位)、73年いっぱいでチームを離脱。ウィリアムズ、フィッティパルディなどの弱小チームを渡り歩いた後、1977年に自身のF1チームを設立した。現在もヒストリックカーレースに出場するなど、現役を貫いている愛すべきレース人。



Bruno Giacomelli e Famiglia
ブルーノ・ジャコメッリ/F1ドライバー


この3月11日で、日本を襲った惨事から1年が経ちます。
石巻の地元のラジオを通して、私とそして私の家族が、
とくに被害の大きかった石巻の方々と悲しみを共感していることをお伝えします。
私がレーサーとして最後に優勝したのは、
1988年の富士スピードウェイの1000kmレースでした。
私は長い日本滞在を通して、多くの良い思い出をつくりました。
特に日本人の繊細さ、忠誠心、精神力、
そしてそこから生まれる日本文化に対して深い愛着を抱いています。
私はいまも日本にたくさんの友人がいます。
そしてイタリアに住む日本人の友人たちとは、
よく日本の素晴らしさについて語り合っています。
みなさんの意志の強さ、高い誇りが今の偉大な日本を創ってきました。
必ずや、この困難な時期を乗り越えて前進されるものと確信しています。

敬意と親愛を込めて。

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ブルーノ・ジャコメッリ  プロフィール
1952年9月10日、イタリア・ブレシア出身の元F1ドライバー。高校卒業後、水道の蛇口など鉄製品の設計に従事していたが、友人の持つ入門用フォーミュラカーで試走したところ、好タイムをマーク。以来、地元実業家のサポートを得て、レースデビューを果たす。他のイタリア人ドライバーと異なり、キャリアの早い段階に英国の当時No.1のレーシングカー・コンストラクター、March(マーチ)社のワークスドライバーに抜擢され、英国F3、欧州F2にエントリー。とりわけ、欧州F2チャンピオンに輝いた1978年には12戦8勝の大記録を打ち立てた。また、同年10月、鈴鹿で開催されたJAF GPでは、手塩にかけて開発したマーチ782・BMWでポール・トゥ・ウィンを達成。当時、“日本一早い男”と称された星野一義選手から、「驚異の速さ」と評された。その後、1979年にF1カムバックを果たしたアルファ・ロメオと契約。80年米国ワトキンスグレンで開催されたUSイーストGPでは、アルファ・ロメオ179でポールポジションを獲得し、決勝レースの序盤でもトップを快走するなど速さを示したが、結局、1983年シーズンいっぱいでF1を離れるまで優勝を飾ることはなかった。その後は、インディーカー、世界スポーツカー選手権などで活躍し、90年にはライフF1で再びF1にカムバックするも、戦闘力不足で予備予選を通ることもままならなかった。現在は、故郷のブレシアで悠々自適の生活を送る。しわがれ声とコロコロとした体形から、現役時代から “パンダ” の愛称で親しまれた好漢である。


2012.03.14 Wednesday

3.11 石巻へ 〜 イタリアの巨匠からのメッセージ その3

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



今日もラジオ石巻に届けられたイタリア自動車界の巨匠たちからの
「3.11」に想いを込めたメッセージを順不同でご紹介していきます。



Aldo Brovarone 
アルド・ブロヴァローネ/カーデザイナー

石巻市の住民のみなさんに心からお見舞い申し上げるとともに、
地震の残した傷跡が一日も早く癒えることを願っています。



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アルド・ブロヴァローネ  プロフィール
1923年生まれの自動車デザイナー。23歳の時にデザインの仕事を目指してアルゼンチンに渡り、チシタリアの創始者であるピエロ・ドゥジオが設立した自動車メーカー“アウトアル”でそのキャリアをスタート。1953年にイタリアに戻りピニンファリーナへ移籍。フェラーリ400アメリカ・スーパーファストIIを皮切りに、1988年まで様々な作品を残した。代表作はディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ、ランチア・ガンマ・クーペ、フェラーリ412など。




Enrico Fumia 
エンリコ・フミア/エンジニア・カーデザイナー

2011年3月11日、世界中に激しい恐怖と動揺が広がりました。
この日付は日本に大地震が起こった日として記憶に残ります。
しかしこの日はまた、日本以外の人々にとっても、
非常に重要な教訓を学んだ日として記憶に残ることでしょう。
日本のみなさんは、このような大惨事にも気高さを持って立ち向かう姿を
世界中に見せてくれました。そしてまた、真の勇気とはどういうものかを
教えてくれました。

日本では、日ごろから地震や津波に対する準備をしていましたが、
今回の地震は想像を絶する規模のものでした。しかしみなさんは自制心を
失いませんでした。理性や思慮分別を持って自暴自棄に陥ることもなく、
世界中にその威厳ある姿、市民としての自覚、連帯感を示されました。
もちろん、驚くべき短期間で日常に戻るための具体的な対処がなされたことは
言うまでもありません。

私の日本に対する愛着は、3月11日の大地震以来ますます強くなりました。
もちろんまだ原発に対する不安が完全に収まったわけではなく、余震も続いています。
災害の危険にさらされている日本の方々、地震で大きな被害を受けた方々に
一日も早く正常な生活が戻り、その忍耐と献身が報われる日が訪れるよう願っています。

世界中に真の勇気を示された日本のみなさんに、励ましの言葉を探すのは難しいことです。どんな言葉を持ってしても僭越に聞こえてしまうことでしょう。
ですから、私の心がいつも被害にあわれた方々と共にあるということだけを
お伝えしたいと思います。3月11日以前の平穏な生活に一日も早く戻るため、
力を出して頑張ってください!


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エンリコ・フミア  プロフィール
1948年5月16日イタリア・トリノ出身、伝統と革新を巧みにバランスさせるカーデザイナーとして有名。1976年ピニンファリーナに入社し1987年にはアルファ164をデザインし90年代のアル ファロメオのデザインの基調を作った。1991年ランチアに移籍しランチアの救世主となるイプシロンをデザインする。その後独立し2003年フミア・デザイン・アソチャーティ設立し現在も活躍中。



Mauro Forghieri 
マウロ・フォルギエリ/エンジニア

日本語で書くことが出来ればと思いつつ、
石巻市のみなさんの苦しみを我々イタリア人も共感しているという
メッセージをお伝えしたいと思います。
しかし私は日本のみなさんが過去の戦争から復興したように、
この苦しい逆境にありながらも、
さらに強くなって乗り越えられるものと確信しています。
みなさんを心から応援しています。

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マウロ・フォルギエリ  プロフィール
1935年1月13日、イタリア・モデナ出身。ボローニャ大学で機械工学を修めた後、59年にフェラーリへ。レース部門に配属されるも、ほどなく上司の主要スタッフが共同造反してフェラーリを退社。その結果、フォルギエリは26歳でフェラーリ・ワークスの開発責任者となり、64年には早くもジョン・サーティーズとともにF1を制覇。70年代中盤にはニキ・ラウダとともに、水平対向12気筒エンジンを持つ312Tシリーズでグランプリシーンを席巻するなど、フェラーリ黄金時代を技術面で支えた。87年にはランボルギーニに移籍し、同社のF1エンジン・プロジェクトを担当。その後、92〜94年にブガッティに在籍したのち、個人事務所 “Oral Engineering” を興し、現在に至る。



2012.03.13 Tuesday

3.11 石巻へ 〜 イタリアの巨匠からのメッセージ その2

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



昨日にひきつづき、ミラノのジャーナリスト、野口祐子さんの呼びかけで、
ラジオ石巻に届けられたイタリア自動車界の巨匠たちからの
「3.11」に想いを込めたメッセージを順不同でご紹介していきます。



Nicola Materazzi
ニコラ・マテラッツィ/エンジニア


私は、これまで仕事を通してたくさんの日本人と知り合いました。
そしてその後も友人として交流を続け、彼らから責任感と誠意、
慎しみの重さを学びました。
しかし、これら日本人のみなさんの素晴らしい資質を持ってしても、
地震が引き起こした苦しみや悲しみを癒すためには、まだまだ時間が必要です。
この逆境に立ち向かい、一日も早く乗り越えることが出来るよう、
私の頭にあるラテン語の格言を捧げます。

”Per aspera ad astra (ペル・アスぺラ・アド・アストラ)
『困難を克服して栄光を獲得する』 

これは、まさに日本の精神を表す言葉だと思います。
かつて1940年代から60年代かけ、日本は戦後の困難を克服して
大いなる復興を果たしました。この大震災でも、
日本はさらに一段と強くなってこの逆境を乗り越えられるものと確信しています。

”Giappone, AD MAIORA!” 『日本に幸運を!』

日本の将来に、素晴らしい明日が訪れますように!


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ニコラ・マテラッツィ  プロフィール
1939年1月28日イタリア・カンパニア州出身、エンジンのスペシャリストでフェラーリF40の開発責任者として有名。1965年ナポリ大学の機械工学科を卒業、1968年ランチアに入社しエンジン、サスペンション、トランスミッションの開発を行う。1973年からはストラトス開発の主要メンバーとなる。1978年ランチアコルセが解散後 はオゼッラでF1、BMW M1のレースカーの開発に携わった。1979年にはフェラーリに移籍。エンツォ・フェラーリに「全て任せるから最高のクルマを作ってくれ」と言われ、フェラーリ史上もっとも過激なクルマの一つであるF40を作り上げた。




Andrea Zagato
アンドレア・ザガート/デザイナー


石巻市のみなさんへ
日本にはたくさんのザガートファンがいらっしゃいます。
ファンのみなさんのことを考えると、
日本を襲った大災害は私にとって他人事とは思えませんでした。
災害にあわれたみなさんに、一日も早く平穏な生活が戻ることを願い、
心ばかりのプレゼントを差し上げたいと思います。




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■ザガート&アンドレア・ザガート プロフィール
1919年、ウーゴ・ザガートによりトリノに設立された名門カロッツエリアのひとつ。当時としては先進的な航空技術を応用した空力的、軽量なボディデザインを得意とし、1960年代までアルファロメオやアバルト、ランチアといったスポーツカー、レーシングカーのデザイン、ボディ製造を手広く手がけ、世界の自動車デザインを牽引した。その後一時期低迷期を迎えるが、近年再びそのデザイン手法が脚光を浴び、昨年はアルファロメオTZ3、アストンマーティンV12を立て続けに発表。2011年のヴィラデステでは、TZ3が最優秀デザイン賞を受賞して話題となった。アンドレアはウーゴの孫で現在、SZ ZagatoのCEOを務める。



Giorgetto Giugiaro
ジョルジェット・ジウジアーロ/デザイナー


私は、イタリアのある新聞記事を見て感銘を受けました。
2月27日付のIL SOLE 24 OREに掲載された、第6回東京マラソン開催を伝える記事です。
この大会は、3月11日の震災と原発事故から
わずか1年後に開かれた最初のビッグ・イベントです。
まさに、大会関係者のみなさんの努力の賜物と言えます。
36万人あまりのランナーたちが銀座や皇居近くの道路いっぱいに走り、
200万人の観衆が「がんばって!」と声援を送りました。
まるで、震災の苦悩と悲しみの日々から蘇るための大合唱のようなイベントでした。
大会主催者と東京都の目標は、この東京マラソンを
ニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロンドン、ベルリンの6大マラソン大会と並ぶ
世界的なイベントにすることです。
同時に、このイベントを目標達成ためのシンボル、
つまり参加者たちが心とからだを寄せ合い、将来に向けて自分の限界に挑戦する
大会にしたいという願いが込められています。
一年前に人々を襲った死の悲しみを乗り越えるため、
日本は復興と勝利を目指して疾走することでしょう。
かつてギリシャ軍がペルシア王国に勝利した時、
伝令としてマラトンとアテナイを走ったフェイディピデスのように。
万物は常に変容を遂げ、死と再生は無限に繰り返されるものと信じられています。
日本のみなさんは、絶望に打ちのめされず、
強い民族意識と結束をもって未来に向かって前進されることでしょう。


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ジョルジェット・ジウジアーロ  プロフィール
1938年8月7日、イタリア・クーネオ出身。フィアット、ベルトーネ、ギアと渡り歩いた後、69年に自身のデザインスタジオ、イタルデザインを設立。魅力的なボディデザインにとどまらず、そのクルマの基本パッケージ決定や生産ラインの想定、その立ち上げに至るまでを包括して自動車メーカーに提示し、既存のカロッツェリアとは一線を画した。VWゴルフ、アルファ・ロメオ・アルファスッド、フィアット・パンダ、同ウーノ、ランチア・テーマ、ヒュンダイ・ポニー、ロータス・エスプリなどは、まさにこの “イタル方式” で誕生した。また、日本メーカーの作品も多く、いすゞ117クーペや同ピアッツァ、日産マーチ、トヨタ・アリストなどは、ジウジアーロの手になる。同時に、バスや建設機器、腕時計、カメラ、飲料ビン、果てはパスタに至るまで、ありとあらゆるジャンルのデザインを手がける工業デザイナーとしても成功を収めている。“マエストロ”(巨匠)の名をほしいままにする世界的な自動車デザイナーである。
2012.03.12 Monday

3.11 石巻へ 〜 イタリアの巨匠からのメッセージ その1

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



昨日で1周年を迎えた東日本大震災。
それを受け、ミラノのジャーナリスト、野口祐子さんの呼びかけで、
ラジオ石巻に届けられた「3.11」に想いを込めた、
イタリア自動車界の巨匠たちからのメッセージ。

今日から少しずつ、順不同でそのメッセージをご紹介していきたいと思います。




Ercole Spada
エルコーレ・スパーダ/カーデザイナー

2011年3月11日、日本から届いたニュースに世界中が驚愕しました。
特に、私は仕事を通じて日本のみなさんと接していたので、
リアルタイムで届く映像を見ながら、自分のことのようにみなさんと苦しみを共有しました。
私は、カーデザイナーとして日本の自動車メーカーと仕事をしてきました。
そのおかげで、日本のみなさんの親切な心、
そして美に対する深い愛情に触れる機会に恵まれました。

桜の咲く季節は一年の中で最も美しい。
しかし春という季節は、美しさへの歓喜だけでなく、枯れたかに思われた時期から、
生命が再び蘇ったことへの喜びの時期でもあります。

東京都のシンボルマークはイチョウの葉です。2億5千年も前から存在するこの木は、
広島で原爆の灰の中から真っ先に芽を吹き返したと言われています。
人々は再生の力を信じ、この木をシンボルに選んだのです。

我々ヨーロッパ人は日本のことを ”日出ずる国” と呼んできました。
日は沈むけれど、再び新しい生命を照らすために昇る、
という意味が込められているからです。



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■エルコーレ・スパーダ プロフィール
1937年7月26日、イタリア・ミラノ近郊、ブスト・アルシジオ出身。地元工専修了後、兵役を経て、60年にカロッツェリア・ザガートに入社。大判の模造紙に1/1スケール、つまり原寸大でデザイン作業を進める。当時の現場でゼロから経験を積み始めたが、ほどなくその稀代のデザインセンスを開花させ、のちのザガートを代表する傑作、アストン・マーティンDB4GTザガート(60年)、アルファ・ロメオSZシリーズ(60年〜)、アルファ・ロメオTZシリーズ(63年〜)、アルファ・ロメオ・ジュニアZ(69年)などを、矢継ぎ早に発表し、その黄金期を支えた。その後、トリノのフォード・デザイン・スタジオ、アウディ、BMW(この時に2代目7シリーズたるE32型、3代目5シリーズたるE34型をデザインしている)を経て、トリノのIDEA社へ。ここではフィアット・ティーポ、同テムプラ、ランチア・デドゥラ、同デルタ、そして、アルファ・ロメオ155のボディデザインを担当した。現在は、息子のパオロと共同でデザイン事務所を運営し、オリジナル・スポーツカー、“コーダトロンカ”プロジェクトを熱く推し進める74歳である。





Tom Tjaarda
トム・チャーダ/カーデザイナー


石巻市の皆さまへ

2011年9月、私は山形県スーパーカーミーティングのゲストとして招待を受け、
短い日本滞在を果たしました。あの大震災からそれほどの月日が経っていなかったので、
被災した沢山の方々のことを考えると、人々がこのイヴェントにどのような反応を示すか、誰もが心配していました。
しかし、イヴェントは計画とおりに実行されることになりました。
私は参加者の方々が敏感になり、心配している様子を謙虚に受け止めながら、
山形での3日間を過ごしました。誰もがこの日本を襲った悲しい出来事と、
心の痛みを乗り越えるために何か出来ることをしたいと考えました。

もちろん、誰もが日常に追われながら暮らしています。
でも、この3日間で私が学んだ大切なことは、みなさんがこの震災の中で、
まるでいつもと変わらないように共に行き、助け合おうとする日本の心です。
これが私の生涯忘れ得ぬ経験となりました。


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■トム・チャーダ プロフィール
1934年7月23日、アメリカはデトロイト生まれ。あのデ・トマソ・パンテーラの、流麗かつスリークなボディデザインを生み出した。祖父はオランダの飛行機/自動車メーカーとして名高いスパイカー社の創設メンバーであり、父は若くして渡米し、かのリンカーン・ゼファーをデザインしたという、いわば自動車界の “サラブレッド” 。ミシガン大学在学中、趣味で自分の理想とするクルマを模型で制作していたが、それが担当教授の目に留まり、イタリアのカロッツェリア(自動車用のボディをデザインし、制作する企業)の名門、Ghia(ギア)社に紹介され、即採用。イタリアでトリノにすぐ呼ばれて、そのまま現在に至る。デ・トマソやフォードのみならず、日本のメーカーとの共同作業も多く、1968年いすゞ・ベレット1600MXを皮切りに、近年ではホンダ・シビックのコンセプトとデザインにかかわった。また、64年に彼がデザインしたフェラーリ330GT 2+2は、その後、かのエンツォ・フェラーリが自身のプライベートカーとして長らく愛用したことで知られる。





Sergio Limone
セルジォ・リモーネ/エンジニア

私は、これまでに仕事で2回、日本を訪れる機会に恵まれました。
日本人技術者たちを見て、その非常にプロフェッショナルな仕事と
環境におおいに感心しました。日本人の持つ並外れた秩序の良さと厳密な仕事ぶり、
ここから我々イタリア人は多くを学ばねばなりません。

私の目には、まだ1年前の津波の映像が焼きついています。
津波は日本に大きな被害と深い悲しみをもたらしました。
一日も早く、被災した地域が復興できることを心から願っています。

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■セルジオ・リモーネ プロフィール
1948年7月24日イタリア・トリノ出身、ランチアラリー037の父として有名な彼は1972年アバルトに入社、約100台のコンペティションカーの開発に携わる。当然その中にはレギュレーションの変更などにより世に出てくることなく葬り去られたものも含まれるが、1980年代にランチアが活躍したラリー車がアバルトによって開発されたことはよく知られている。ランチア037ラリー、S4、グループAデルタなどのラリーカーだけでなく、アルファ155GTM、156IT、159Super2000などのレーシングカーを開発し、素晴らしい結果を残した。


2012.03.08 Thursday

3.11 石巻へ 〜 イタリアの巨匠からのメッセージ

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



皆さんご存知のとおり、今度の日曜日
3月11日で東日本大震災から1周年を迎えます。
まだまだ全然被災地の傷は癒えず、復興というにはほど遠い状況にありますが、
そんな3月11日にあわせ、ご自身も、帰国直後の成田空港で
被災したミラノのジャーナリスト野口祐子さんが、ある準備をしていました。


それは、イタリア自動車界の巨匠たちから、東北に向けてのメッセージを集め
ラジオ石巻(Fm76.4)を通じて、3月11日に流してもらうというもの!
(しかもそれぞれから贈られてきた膨大なプレゼント付きで!)

ただ義援金を集めて東北に贈るだけでなく、なにか東北の人々、
クルマ好きな人々を力づけることをしたい(しかも恒久的に)という祐子さんの
熱意に対して、なんと以下の方々からメッセージが届いたのです(順不同)!

パオロ・スタンツァーニ(エンジニア:カウンタックの生みの親)
ニコラ・マテラッツィ(エンジニア:ストラトス、F40の生みの親)
セルジオ・リモーネ(エンジニア:ランチア037の生みの親)
ブルーノ・ジャコメッリ(元アルファワークスF1ドライバー)
アンドレア・デ・アダミッチ(元アルファワークスドライバー)
チェーザレ・フィオーリオ(元ランチアコルセ、スクーデリアフェラーリ監督)
エルコーレ・スパーダ(元ザガート デザイナー)
ジャン・パオロ・ダラーラ(コンストラクター・ダラーラ代表)
アルド・ブロヴァローネ(元ピニンファリーナデザイナー、ディーノの生みの親)
アンドレア・ザガート(デザイナー)
MRコレクション(ミニカーメーカー)
ヴァレンチーノ・バルボーニ(ランボルギーニ・テストドライバー)
アルトゥーロ・メルッツァリオ(元フェラーリF1ドライバー)
サンドロ・ムナーリ(元ランチアコルセ・ラリースト)
レオナルド・フィオラバンティ(元ピニンファリーナ・デザイナー)
ミキ・ビアシオン(元ランチアコルセ・ラリースト)
e.t.c,e.t.c..……

さすがイタリア自動車界に幅広い人脈をもつ祐子さんならでは!
というもの凄い人選ですが、本当に各人から
心温まるメッセージが寄せられています。

photo:Yuko Noguchi

もちろん、昨年来日も果たしたパンテーラの父、トム・チャーダーも参加。

photo:Yuko Noguchi

さらにご存知、近代イタリアデザイン界を代表する生ける伝説
ジョルジェット・ジウジアーロ御大もメッセージを寄せてくれました。


そしてこれがラジオ石巻に届けられた膨大なプレゼントの数々(の一部)!
これらは全て、津波流出した被災者の子供たちやクルマ好きの皆さんに
放送を通してプレゼントされるとのことです。

現在の予定では、3月11日 15:30〜17:00の枠の中で巨匠からのメッセージが
可能な限り放送の中で読まれることになっています。
実際にはここにリストアップした以上の人々からメッセージが贈られていますので
紹介しきれない分は翌日以降に放送されることも検討されているようです。

このモータープレスでも11日の放送以降、順次イタリア自動車界の巨匠からの
メッセージを紹介していきます! 
東北地方の皆さんで、ラジオ石巻をチェックできる方は
ぜひ11日午後の放送に注目してください。

ではでは。

2012.01.16 Monday

R.I.P. Gianpiero Moretti

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


おはようございます。
ミラノ在住のジャーナリスト、野口祐子さんから
今年一発目に届いたメールは、悲しいお知らせでした。

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1月14日(土) ミラノの病院で
ジャンピエロ・モレッティさんが亡くなられました。享年72歳。

MOMOの創始者、そしてドライバーとしても数々の栄光を手に入れました。
日本での大活躍は皆さんの目にも焼きついていることでしょう。

90年代初頭、彼がドライヴァーとして大活躍している頃、
ある日本の雑誌のインタビューでのこと、
「健康の秘訣は?」という質問に彼の答えは
「勿論、毎日のセックスに決まっているじゃないか」
とギラギラしてちょっと色ッぽい目で見つめられ、
若かりし日の私は、余りにも率直な答えにビックリし、
どう訳して良いかドキマギしたのを今でも鮮明に覚えています。
凄いなぁ……イタリア男性は……と思いました。

ご冥福を心からお祈り申し上げます。


野口祐子

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ここ1年ほど、祐子さんと連絡を取る中でモレッティさんの健康状態が
あまり良くない……という話は聞いていたのですが

モレッティさんといえば、祐子さんの文章にもあるとおり
1966年に自ら立ち上げたステアリング・ブランドMOMOの創始者として有名ですが
やはり我々には、1970年の富士インター200マイルにフェラーリ512Sを
持ち込んだオーナー/ドライバーとしての姿の方が印象的かもしれません。

日本のレース100選 053 '70 富士インター200マイルより(三栄書房 刊)

その後も生粋のプライベーターとしてスポーツカーレースに参戦し、
1998年にはフェラーリ333SP(懐かしい!)を駆って
デイトナ24時間と、シーブリング12時間で優勝。
それを花道に現役を引退したモレッティさんですが、
個人的にもMOMOのステアリングには憧れ(いまでも何本か持ってます)ただけに
そのまだ若い死(70歳代前半ですもんね)は残念でなりません。

ご冥福をお祈りします。

ではでは。


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