<< Festival of SIDEWAY TROPHY 2018 Spring | main | 20th Anniversary Goodwood Revival Meeting >>
2018.06.13 Wednesday

BELLCO 98C

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記

 


こんばんは。

台風一過(?)の昨日、我らが69君が眠る(泣)QED JAPANにお邪魔してきました。

そこであったモロモロは置いておいて(笑)、皆さんにご紹介したいのがコチラ!

 

 

わかります??

 

このマシンの名はBELLCO(ベルコ)98C。

1973年からスタートした全日本F3選手権のルーツというべきナショナル・フォーミュラ

FJ1300シリーズに向け、横浜の鈴木板金が開発、製作した純国産FJ1300マシン

ベルコ98Aの最終進化版というべき1台なのです。

 

1973年のFJ1300といえば、このモータープレスで連載してきたESSO RACING STORYでおなじみ

エッソ・レーシング・チームのエッソ・エレクトラ&ユニフロ(ノバ01)が、

鮒子田寛、高橋晴邦のコンビで参戦していた年ですが、この73年に圧倒的な強さでシリーズタイトルを

獲得したのが、真田陸明のベルコ98Aだったのです!

 

AUTO SPORTS YEAR '74(三栄書房 刊)

 

これがそのオリジンたる1973年型のベルコ98A。フロントラジエーター、ボディ一体型のリヤウイング

独創的なリヤショックのマウント方法などがよくわかります。

 

 

そしてこちらが98Cの現在の姿。ホイール&タイヤは運搬用のノンオリジナル。

「リヤウイングはこのあたりですかねぇ?」とあてがうのは、ひょんなことからこの98Cを発見し

某所からサルベージしてきた(その模様はまた後日)、QEDのケン鈴木。

本来搭載されていたはずの”土屋チューン”のA12は失われてしまっていますが

それ以外のパーツは揃っており、なんとか走れるようにレストアしたいとのこと。

 

その模様はモータープレスでも順次お届けできれば(無論協力いただけるメディア大歓迎です)と

思っております。

 

ということで、まずはディテールを……。

 

※小さな写真はクリックで拡大します

 

こうしてみるとオリジナルの姿をよく保っていて、思いの外欠品も少ないようにみえます。

ステアリングなんかもオリジナルだし、足回り、モノコックなどのダメージもないみたい。

 

 

当時のダンロップ・レーシング(スリック)を履いたマグネシウム・ホイール(2セットもある!)は

神戸製鋼製との噂。となりはなんとスピードスター製のアルミホイール。

ちなみにマグの裏をみると「73 12」の刻印が。ということは73年12月の製造。

つまりこの98Cはもともと98Aとして製造されたものかもしれない。

 

 

その証拠? にモノコックに残されたシャシープレートをみると、形式のところが

98・の後、なにかを消したような跡があって、違う書体でCと打ってある。

製造番号も最初の10と次の7の位置が離れているようないないような……

 

もしかしたら最初は98A-10として製作されて、その後98C–107にされたのかも??

 

 

レブカウンター、油圧計、シフトレバーなどがないのが惜しいところですが、オリジナルステアリングが

残っているのは、とってもとっても貴重。

 

……というかFJ1300のベルコ98シリーズで現存しているのは、ほかにあるのだろうか??

 

 

ちなみにA12用のヒューランドや、ガーリングのブレーキなど、さまざまなパーツ、スペアパーツも残っています。

 

 

さらに驚くべきは、最初に紹介したマーチ743風のノーズ(もしかしたら、そのものかも?)のほかに

マーチ752風? のノーズも付属していること。一体、どちらをつけて走っていたんでしょう?

 

AUTO SPORTS 1978年10-15号(三栄書房 刊)

 

……と調べたら出てきました!

このベルコ98C(アルファスピードベルコ)をドライブしたのは田中恵。

1976年からFBレースにベルコで出場し、

FJ1300には1978年8月26〜27日の'78 筑波チャンピオンズレース第4戦と

10月1日の第5戦の2戦にのみ出場。FPとFJの混走となったこれらのレースで

第4戦では、和田孝夫、見崎清志に次いで総合3位、FJクラス1位でゴール。

第5戦では長谷見昌弘、和田孝夫、都平健二、見崎清志に次ぐ

総合5位(FJは2台のみ出走でクラス不成立)でゴールしているのです!!

 

AUTO SPORTS 1978年11-15号(三栄書房 刊)

 

ちなみに両レースとも装着していたのは752風のノーズの方。こうして残された数少ない写真をみると

当時のカラーリング、スタイルのまま残されているのがわかります。

 

 

この98Cが田中恵の元に渡る前に、どういう経緯を辿ったのかはまだ不明。

いずれにしろこの98Cの発掘劇をきっかけに、これまであまり語られる機会の少なかった

FJ1300にスポットがあたり、1台でも多くのFJ1300が走行可能な状態に復活していけばいいなと思っております。

 

もしかすると70sヒストリック・フォーミュラや、ヒストリックFJ1300ができるようになるかもしれない!

 

というわけで、さまざまな情報もお待ちしてます。

 

ではでは。

 

 

 

コメント
突然お便ります。はじめましていつも楽しく読んでいます。早速ベルコの事をqedの鈴木さんにいきさつを電話して聞きました。実は私も藤原さんがカーマガジン在籍時代に手掛けられた373号のタイトル<よみがえる船橋サーキットのロータス22>のロータス22をつい最近の8月に譲り受けました。私のモータースポーツの原点になった車がまさか私の元に来るとは夢にも思わずたいへん感激しています。来年のロータスデイに出るべく作業を進めています。実は藤原さんにはqed鈴木さんや綿貫さんを交てサーキットで2,3回お会いしています。一応22が私の手元にあることをお知り置き下さい。又サーキットでお会いしたらよろしくお願いいたします。



  • 丹羽光正
  • 2018.08.31 Friday 18:26
何年振りに成りましょうか、久しぶりにコメントいたします。
うちの父親が夢見てエントラントできずに終わったFJ−1300のカテゴリー。
今思えば『華やかな時代の幕開け』を予感させるに充分なコンストラクターにドライバーの方々にそしてマシンの数々が思い出されます。
当時は知る由も無かったのが、AS誌の紹介ページではリヤサスのレイアウトがインボードタイプで斬新でしたね!
デザインは滝沢さんに変わって若手の館内さんか津川さんだったのでしょうか?後年オーソドックスなレイアウトに改められているのはサスレイアウトにタイヤ性能が追い付かなかったのでしょうか?デザイナーの方の才能が伺われますね。
FJ−1300クラスも初めは国産シャーシーの活性化に繋がりましたが後半は有力な外国シャーシーの台頭で子供心に個人的には魅力が薄れてしまった気が致します。
しかしながら国内のコンストラクターが花開いた一時代はそれまでのメーカー主導の勢力図から脱却しその後の日本のモータースポーツの礎を築いた変革期だったと思う次第です。
この記事の今後の展開に期待いたします。 またお邪魔致します。
  • chralie
  • 2019.02.05 Tuesday 21:46
コメントする








 
この記事のトラックバックURL
トラックバック
Calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>
Selected Entries
Categories
Archives
Recent Comment
Recent Trackback
Links
Profile
Search this site.
Others
Mobile
qrcode
Powered by
30days Album
無料ブログ作成サービス JUGEM