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2011.01.19 Wednesday

ESSO RACING TEAM STORY 第3回



Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



1970年に解良さんが加入したことで
レーシングカー・コンストラクターとしての業務もはじめた
レーシング・クォータリー。
(自転車に乗った若き由良拓也さんが頻繁に
 ガレージを覗きに現れるのもこの頃のはず)

その一方で、レーシング・クォータリー・クラブ(RQC)という
JAF公認クラブを設立。ミニ・チャンピオン・シリーズなど
軽自動車ベースのレースを中心とした、
レースのオーガナイズにも手を染めていきます。

そんな1970年の冬、卒業を間近に控えた大学生がRQの前を通りかかります。
それが今回、多くの資料をご提供くださった尾崎郁夫さんでした。

尾崎郁夫 レーシング・クォータリー

尾崎さんは京都生まれ。
14歳で2輪の魅力にはまり、自らスーパーカブを改造し
フレームを自作したモトクロッサーでレースに出場。
その後、スバル1000〜1300Gでラリーに転向するなど
モータースポーツにどっぷりと浸かった青春時代を送ります。

高校卒業後に上京。大学進学をめざし浪人生活を送るのですが
モータースポーツへの未練を断ちがたく、肉体労働のバイトをしては貯金し
貯まったお金で1周350円だった船橋サーキットのレンタカー代を払い
トライアンフ・スピットファイア、MGB、ホンダS800、トヨタS800で
サーキット走行を楽しむ日々を送っていたと言います。

明治大学入学後は、由井常彦教授の元で経営学を専攻。
4年の大学生活も終わりにさしかかり、就職の当てもなく
六本木通りを歩いている時にふと、
RQの店内にアシを踏み入れたのだそうです。

そこにいたのは、RQの橋本専務。
暫く話をしていると、橋本専務は初対面(!)の尾崎さんに
「創設されたばかりの日本初のフォーミュラレース(FL360)をより盛んにし、
 クラブティームも創りたいから、レースを主催する仕事と、
 レーシングティームを組織して運営する仕事をやらないか?」
と持ちかけます。

由井教授の書生のような立場で経営学のイロハを
学んでいた尾崎さんは、その誘いにすぐに乗り
RQの一員として、まだ業界でレーシング・マネージャーなる
仕事が確立されていない時に、そのキャリアをスタートさせます。
まず与えられたのは、RQCが主催または協力するレースの仕事でした。




※資料提供:尾崎郁夫

1971年に主催したのは
オートスポーツ・トロフィーレース 6戦
NETスピードカップレース 1戦
JAF日本グランプリレース 1戦
富士フレッシュマンレース 1戦

解良さんの手によって完成したばかりのアウグスタMk2
米山さん、高原さんの手により活躍するのもこの頃。

また、それと平行して尾崎さんは東京レーシングカーショーの運営の手伝いも
手がけるようになったそうです。
その模様はこちら 注:時系列や鮒子田シェブロンから考え、
 71年と記載されているレーシングカーショーは72年開催のものと思われます。)

当時のRQの様子を尾崎さんはこう振り返ります。

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山梨さんが社長、
橋本さんが専務でショップと総務担当。
彼が私に声を掛けなければストーリーは違ってました)
オケラちゃんは既に(コニリオかな?)マシーンを作っていましたが、
まだアウグスタの姿は無い頃、私が最後発メンバーで加わりました。

取締役営業部長は片山君、ジェリー藤尾と瓜二つ位そっくりなので、
“ジェリー”と呼んでいました。もう一人の取締役が各務君、
市ヶ谷に住んでいたお坊ちゃまで、ローバーTC2000の新車で通勤と営業をしていた。
(超カッコイイ車で、私も何時かこんな車に乗りたいな〜
 と思っていた記憶あり。結局いろいろ乗ったけど)

関係無いかも知れませんが、当時のファクトリーの前は、
信号も横断歩道も無く、時々坪ちゃん(大坪善男さん)なんかが、
こんなので公道を走ってもイイの? という車で現れたりしました。
しかも当時は常に5〜6台が路駐OKでした。
今ならすぐ写真に撮られて罰金ですから、隔世の感があります。
(オケラちゃんも路上で作業していた)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こうしてレース運営や、イベント運営の仕事に明け暮れる一方で
尾崎さんは、新たな本格的レーシングティームの立ち上げを
模索し始めます。それがESSO RACING TEAMの始まりでした。

(つづく)





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※過去の記事

ESSO RACING TEAM STORY 第1回
ESSO RACING TEAM STORY 第2回














コメント
なるほどなるほど。
船橋でトラやMGBのレンタカーがあったとは!
浅間モータロッジで借りたことはありましたが。
ところで尾崎さんお年はおいくつぐらいでしょうか?
多分私と同年代かと思われますが。
  • エスロクレーサー
  • 2011.01.19 Wednesday 09:57
エスロクレーサ―さん
伝説の浅間モーターロッジ! ロータスセブンとか借りされたそうですね。
(この話とかも掘ると面白そう)
尾崎さん、1945年生まれでいらっしゃった思います。
(すいません今資料が手元に無くて)
  • 藤原
  • 2011.01.19 Wednesday 10:23
免許取立ての悪童3人組で最初に借りたのがトラのTR4すぐに白バイに停められ職質を、事情を話すとやっと納得、でも定員オーバーだろといわれ車検証を出すとそこには乗車定員4名となってました。
その後オリジナルセブンも借り出しハサウエイさんの乗ったエリートを追いかけたことも。
青春の思い出です。
  • エスロクレーサー
  • 2011.01.19 Wednesday 16:03
エスロクレーサーさん
すごーーーーい!
スゴい面白い話しですね。でもTR4の車検証って4人だったのですね!
(いまは2人ですよね? 登録上)
羨ましい話です、とても。
(こういうエピソード期待してます!)
  • 藤原
  • 2011.01.19 Wednesday 17:38
初めまして、浅間モーターロッジは青春の聖地でした。
小生も従弟と3人でTR4を借り出して直ぐ、18号で
白バイにつかまりました。違反計測をする前に気づき、
「直ぐ返却するように!」との説諭で解放されました。
せっかく借りたTR4なので、鬼押し出しへ行き、
メーター上で150KMを初体験しました。
途中路面が悪くバウンドした際に、後ろに乗っていた従弟が
バックミラーの中で、へそが見えるほど跳ね上がって、
怖い思いをしました。
TR4は初めてディスクブレーキが前輪についた車で、
150KMから、一発で60KMに安定して減速する
ので、感動したことを思い出します。
また、コメントします
  • 飛ばし屋老人
  • 2011.02.14 Monday 09:27
飛ばし屋老人さん
はじめまして。いいですねぇ! こういうエピソード。
浅間モーターロッジを全く知らない世代なのですが
意外にも経験者の方って多いのですね。
TR4に感動したエピソード、新鮮です!
これからもよろしくお願いします。
  • 藤原
  • 2011.02.14 Monday 10:00
ボブ・ハザウェイさんのロータス・エリート:
彼は軽井沢会(セレブコミュニティ)のテニスコート(天皇陛下と美智子妃殿下で有名)で良くテニスをしていました。
ロータスエリートと何回かすれ違いましたが、ボデースタイル・コベントリークライマックスSOHCエンジンの音、憧れです。MGBやTR4が駄馬に思えるほど、素晴らしかった。
浅間モーターロッジは、ロータス・エランでレースに参加していた横山精一郎さんが多分オーナーで、ポルシェファンの佃 公彦さんが、パンフレットの挿絵を描かれた、本当におしゃれなホテルでした。
飛ばし屋老人ともなると、青春時代が懐かしく次から次えと思い出が止まりません。
少し自重して、間をあけてコメントさせてもらいます。
  • 飛ばし屋老人
  • 2011.02.14 Monday 13:55
いえいえ、ドシドシと思い出してください(笑)。
場所柄、そういう華やかな方々の集う場所でもあったのですね。
当時、ナマで見るエリートがいかに衝撃的だったか、分かる気がします。
  • 藤原
  • 2011.02.14 Monday 17:25
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