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2011.01.20 Thursday

ESSO RACING TEAM STORY 第4回



Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記




今日は、ESSO RACING TEAMの話の前に
当時のレーシング・クォータリーにまつわる
ちょっとしたエピソードを紹介することにしましょう。


解良さん、尾崎さんが加入した頃のレーシング・クォータリーには
その熱気に吸い寄せられるかのように
様々な人が出入りするようになります。

その中にはこんな意外な人も。


そう。カー・マガジンの表紙画でお馴染みのBow(池田和弘)さん
当時はいち顧客としてRQに出入りしていたということですが、
実はこんな知られざるエピソードをお持ちなのです。

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僕が最初に行ったのは20歳くらいの時かな。
AUTO SPORTの広告とか見てグローブかなんかを買いに行ったんだよ。
当時は青山にRQ、霞町(西麻布)にピットイン、
そして青山一丁目にムーン・エクイップメントとかがあってね。
RQは居心地が良くて面白かったから、よく足を運んだんだ。

確かショップの脇がサービス工場でね。
中を覗くと鉄パイプを切ったり、溶接したりして
解良君がレーシングカーを作ってるんだよ!
それで、何度か顔を出すうちに彼と顔なじみになってね。

ある日行ってみると、2シーターの
プロトタイプスポーツカーのシャシーが形になってきてた。
「今度始まるレースのために作ってるんだ」って言ってたな。

で、また暫くして行ってみたら、今度は走るようになっていた。
「おうBow、出来たからちょっとそこら辺走ってきちゃったよ」
なんて解良君が言っててさ(笑)。
ナンバーないのに大丈夫かよ! と思ったけど、当時青山なんて
なーんにも無いところだったからね。良い時代だったね。

そしたら「今ボディ作ってるところでさ、今度レースに出るんだけど
まだ名前が決まっていないんだ、なんか良い名前あるかな?」
って解良君に言われてね。

当時宇宙の本とか好きで良く読んでて、“NOVA”ってカッコイイ響きだな、
なんかあったら使おうと思っていたから、
ノバなんてどう? って、解良君に言ったら
「どういう意味?」って聞かれたから、“新星”って意味だって教えたんだ。

で、次号のAUTO SPORT見たら、
この前作ってたクルマがNOVAって名前になっててさ(笑)。
あーNOVAにしたんだって思ったのを覚えてるよ。

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Racing on 2005年10月号(ニューズ出版 刊:当時) より

それが1970年にデビューしたミニ・カンナムカーのRQC ノバ。
シャシー設計は解良喜久雄さん、ボディデザインは由良拓也さん! 
(当時の裏話は由良さんのHPにも載っています)
アウグスタMk3登場以前の、極初期の解良&由良作品でもあります。

この“ノバ”という名前が、のちにRQを母体として発足する
初代ノバ・エンジニアリングへと繋がっていくのですから
ある意味、Bowさんがその名付け親になるのかもしれません。

Bowさんの回想はまだまだ続きます。

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当時は色んな人がいたからね。
たぶん高原(敬武)君と最初に知り合ったのもRQだったと思う。

そのうち皆で白金サーキットに行ってスロットレーシングやったなー。
いま思うと、錚々たる面々が遊んでたよね。
パッと挙げるだけでも望月修、高原敬武、解良喜久雄、由良拓也……。
ほら、すごいだろ(笑)。
たまに風戸(裕)君なんかもいたな。
あとベルコでチャンピオンになった高田忠政とかね。
ターちゃんって呼んでてさ、彼とも仲良かったんだよ。

例えばこんなこともあった。
土曜の夜に遊んでると、ふらっと高原君が来てさ。
「今日ポール獲ったんだって?」って皆騒いでんの。
なんと、富士の予選終わったら、そのままスロットやりに来てるんだ!
それで次の日富士へレースしに行くんだから、面白い時代だったね。

僕も高原君に付いていって良く富士には行ったし
原宿だ、六本木だってとこで遊んでる仲間も
みんな富士にいたしね。

ほら、ドライバーもメカニックもカッコ良かったし
彼らが連れてるガールフレンドは皆モデルだったしね。
サーキット自体がカッコいい場所だった。
今でいえば、みんなバリバリの不良だったんだろうね(笑)。

そうそう、その頃かな
清水正智さんに歯を治してもらってさ、
「治療代の代わりにオレのレーシングカー塗ってよ」
って頼まれて、彼のFJかなんかのスポーツカーノーズに
バーってスプレーで画を書いたこともあったな!

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実はBowさんの当時の想い出話はこのあとも
レーサーから、ミュージシャンから、ファッション業界の超有名人に至るまで
いろんな人を巻き込んだ、ものすごく熱く面白い話になっていくのですが
それはまた次の機会に改めて。

いずれにしろ、当時のRQはお洒落で
トンガっていた若者たちを繋ぐサロンのような
役割も果たしていたのでしょう。

その一方でRQでは尾崎さんを中心とした
新しいプロジェクトが計画されていたのでした。

(つづく)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※過去の記事

ESSO RACING TEAM STORY 第1回
ESSO RACING TEAM STORY 第2回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回補足






コメント
Oh!Bowさん登場ですか!
「RQ」は、バリバリの不良の溜り場だったのですね。
ますます面白くなってきました!!
  • BT16A
  • 2011.01.20 Thursday 14:50
ショップで言えば他にも表参道入り口のパラマウント商会?(レーシングメートのグッズ売っていた)神田の鳥海、中野のポムスとかありましたね。
ハルダのスピードパイロットとかヘルフォスのバキュームライトとかサーブの屋根についた中から操作できるドライビングランプとか飽きずに眺めたものです。
  • エスロクレーサー
  • 2011.01.20 Thursday 18:22
BT16Aさん
まぁ不良って言っても、今の不良とはちょっと違うんでしょうけど(笑)。
その昔、ちょろっとBowさんのこの話はカーマガジンに載せたこともあったのですが
意外に知られていない話なので、また書いてしまいました。
  • 藤原
  • 2011.01.20 Thursday 22:27
エスロクレーサーさん
Bowさんの言ってるムーンって、パラマウント商会のことなんでしょうか?
確か、神宮外苑入り口の今のフィアットカフェ辺りにあった!
って仰っていたのですが。
  • 藤原
  • 2011.01.20 Thursday 22:29
そうです! 今はFIAT cafeになっていますが、ちょっと前までは北欧家具のinnovatorでした。
パラマウント商会で販売していたバケットシートは濱素紀先生の作品で、先生の工房には型が残っています。U田さんのリプロダクション・コニリオにはヘッドレスト付きで装着されていますね。
  • Mallory
  • 2011.01.21 Friday 00:31
追伸ッス(笑)。

三多摩少年だった小生は、小金井のレースウェイズ・ムサシノか西荻窪の西荻サーキットが溜まり場でしたが、白銀サーキットや等々力レースウェイ(だったかな?)にも「遠征」しました。白銀はお洒落で不良っぽい人が多くて、ちょっと怖かったッス。BOWさんだったのかな(笑)。
  • Mallory
  • 2011.01.21 Friday 01:22
Malloryさん
いやー面白いですねぇ。実は濱先生がコニリオ以外にそういったモロモロのデザインもされていたなんて知りませんでした。まだまだ勉強することばかりです。今後もご指南のほどをお願いします!
さて、立場こそ違えどMalloryさんを含め、皆さん当時ニアミスしている可能性大なんですね! 確かに当時のBowさんは尖ってたそうですから、怖かったかも(笑)。
  • 藤原
  • 2011.01.21 Friday 10:14
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