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2011.01.28 Friday

ESSO RACING TEAM STORY 第8回

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



ESSO RACING TEAMが設立される1年前の1971年。

1月31日に富士スピードウェイで開催された
この年のFL500シリーズの開幕戦というべき、
オートスポーツトロフィー・レースに
RQワークスからアウグスタMk2で出場していたのが、
元TEAM TOYOTAの鮒子田寛さんでした。

ESSO RACING TEAM 鮒子田 寛

当時の鮒子田さんといえばTEAM TOYOTA在籍中の1970年に
単身渡米し、インディ500出場を目標として
ズース・ディベロップメントからF-Aコンチネンタル選手権
(北米のF5000シリーズ)にイーグル・プリムスで参戦。
さらに、CAN-AM挑戦など北米を拠点にレース活動をしていた頃。

1971年からはトランザム・レースにローレル・レーシングの
シボレー・カマロで挑戦することが決まっていました。
では、なぜそんな時期に日本でジュニア・フォーミュラの
レースに参加することになったのでしょうか?
鮒子田寛さんは、RQとの関わりをこう振り返ります。

「当時はまだオケラとも尾崎とも面識はなかったから、きっと山梨さんが
  声をかけてきたんだと思う。71年は1月と4月にレースに出ているけど、
  その年はアメリカでのレース活動がメインであって、日本滞在時や、
  帰国時にタイミングが合えばスポット的に出たのだと思います 」

おそらく、FLを盛り上げるためにトップドライバーに乗ってもらいたい
という想いを持っていた故 山梨信輔さんはスケジュールが合う限り
RQのレギュラーとしてFLのレースに出て欲しいと考えていたのでしょう。

その期待に応え、1月のオートスポーツトロフィー・レースに、
高原敬武さんとともにRQワークスで出場した鮒子田さんは
高田忠政さんのべルコ96Aとトップ争いを繰り広げた末に2位入賞。

4月に筑波で行われた第2戦ではスタートで出遅れたものの
堀雄登吉さんのアローS1に次いで連続2位入賞を果たしています。

ESSO RACING TEAM 鮒子田 寛
オートスポーツトロフィー第1戦の模様。ゼッケン2がアウグスタMk2鮒子田車。
 (AUTO SPORT YEAR '72 三栄書房 刊より)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

しかし、7月に開催されたトランザム・シリーズ第4戦
ロードアメリカの決勝で、カマロのブレーキトラブルによりクラッシュ。
車内に2時間以上も閉じ込められ、足首や肋骨を折る重傷を負ってしまうのです。
(この辺りの活動歴は牧野弘文氏のくるま村少年たちのHPに詳しく載っています)

つまり、71年シーズンの後半アウグスタに
鮒子田さんが乗らなかったのは、この怪我の影響があったと考えられます。

「怪我をして日本に戻ってきたのは10月頃。
 当然、71年はレースは出来ない状態であったので、参加していません。
 仮に、怪我をしていなくても、元々アメリカでのレースがメインだったので、
 限られたレースしか出られなったでしょう」


そして迎えた’72年シーズン。

5月の日本GPよりESSO RACING TEAMは
2台のESSO EXTRA(アウグスタMk3)を擁して本格的に活動を開始するのですが、
この日本GPに鮒子田さんは、フシダ・レーサーズから
“フライング・オンワード・コルト"ブラバムBT36 三菱R39Bで出場(決勝3位)。

ESSO RACING TEAM 鮒子田 寛
日本の名レース100選 No.045 '72年日本GP(三栄書房 刊)より

さらに、3月19日の富士GC開幕戦 富士300キロ・スピードレースより
元ブライアン・レッドマン/マイク・ヘイルウッドのワークス・シェブロンB21Pで
富士GCシリーズへのフル出場を開始するなど
日本での活動を本格的に再開したこともあって、
鮒子田さんは、8月の全日本鈴鹿300キロ・ツーリングカーレースの前座で
ESSO EXTRAをドライブするまで、ティームには参画していないのです。

ESSO RACING TEAM 鮒子田 寛
1972年東京レーシングカーショーにて。奥に見える黄色いマシーンが
鮒子田さんのexワークス・シェブロンB21P。写真提供:尾崎郁夫

その辺りの経緯を鮒子田さんはこう振り返ります。

「72年は8月以降に4戦出ているが、その経緯も覚えてない。
  72年はGCシリーズ+スポーツカーレースが主たる活動であって、
  FLに乗ることは予定に入れていなかったのだと思うけど,
  何らかの理由……例えばスポンサーを考慮した露出アップとかで
  ドライバーを代えたと考えますね

僕の記憶では、72年の初めに筑波のレースに行った記憶があり、
  その時もFLに乗った気がするのだけれど……。
  JAFの記録にはないので、8月の勘違いかも知れない。
  杖を突いていたので8月ではないと思うのだけれど?」

とはいえ、ESSO RACING TEAMから'72年のFL500シリーズの後半3戦に
エントリーした鮒子田さんは、10月のNETカップレース決勝で
4位入賞という結果を残しています。

そんな鮒子田さんとESSO RACING TEAMの結びつきがより
強くなっていくのは、翌73年シーズンになってから。
そのお話は、また後日お届けすることにしましょう。

(ESSO RACING TEAM STORYは来週につづく)

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※過去の記事

ESSO RACING TEAM STORY 第1回
ESSO RACING TEAM STORY 第2回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回補足
ESSO RACING TEAM STORY 第4回
ESSO RACING TEAM STORY 第5回
ESSO RACING TEAM STORY 第6回
ESSO RACING TEAM STORY 第7回


コメント
初めまして 私 charlieと申します 
ヒストリックレーシングのネットサーフィン中に偶然立ち寄り 興味深く拝見するうちに 「懐かしい写真」を見てコメントさせて戴きました(当時 私は小学5〜6年生)
1972年東京レーシングカーショウにて鮒子田さんのシェブロンの手前のベルコ96Aは私の父親がエントラントをしていたマシンです
この時は展示ではなく「ローラー台」に乗せられて実際に「走行シュミレーション」を日に何度か披露しておりました
今 思えばホンダの空冷エンジンには「過酷だったのでは?」と思っています
鮒子田さんの思い出は ’71年のオートスポーツ第2戦筑波でのデビュー戦にて決勝は鮒子田さんに続いて3位に入賞したことです
因みに予選第1ヒートはP・Pでした
(当時は台数が多いので予選を2組に分けていたと記憶して居ます)

解良さんのデザインは素晴らしく当時 大ファンでしたが
’71年富士オールスターレースでのこと うちのマシンは予選で調子が悪く 記憶が正しければほぼ最下位で「予選落ち」のはずが
父親はあろうことか 各チームの代表にサインをもらって回り「予選通過」の承認を得てしまいました!
恐らく当時はこんなことがまかり通る おおらかな時代だったのでしょうか?
更に決勝ではNOVA−MK橋遒詆戸さんを押さえて 3位に入ってしまい 子供心には嬉しい結果でしたが 今思えば関係者の方々に申し訳ない感じがいたします
父親は少しワンマンな ある意味 空気が読めない性格でしたから
大変 恐縮しております
そんな父も ’73年以降 FJ−1300にステップアップすべく金策に奔走しますが 願いかなわず 「お家断絶」の憂き目を見てしまいます
私のモータースポーツの思い出もそこで終わってしまうわけです

ロータス関係でもネタがあるものの「記憶」が曖昧なので記事を拝見するにとどめたいところです

これからも興味深い記事を楽しみにしております
  • charlie
  • 2011.05.03 Tuesday 23:39
charlieさん
charlieさんのお父様は山口三郎さんですか!
いやぁまさかご本人(のご親族)からコメントをいただけるなんて!
当時のべルコを知るキーパーソンのひとりでいらっしゃいますもんね。
また面白いエピソードを教えてください!
  • 藤原
  • 2011.05.04 Wednesday 09:28
ドライバーの名前も瞬時に判ってしまうところは 流石に業界人である藤原さんの情報量の凄さには 驚きです
山口 三郎さんは父親が(多分 半ば無理やり?)黒沢レーシングさんより引き抜いて来たと思います (テストドライバー兼メカ?)
今でも素晴らしいドライバーだと思っております

’72シーズンには他のカテゴリーチームから「掛け持ち」でのオファーがあったようですが 父親が「独占」した感じになり山口さんには申し訳なく思った記憶もございます

その後 ’73年には 恐らく デルフォーミュラーだと思いますがスクラップ状態のモノをレストアしてFー1300仕様に改造する構想もあったようですが 状態が酷く諦めたようです
(現物を確認の再に同行しただけで 飽くまでも私の考えですが・・・)
山口さん始め 津々見さん、高田さん、堀さんにはパドックでかわいがっていただいた覚えもございます

懐かしくも 少し恥ずかしいような私の思い出です
何時かまた お邪魔いたします
  • charlie
  • 2011.05.04 Wednesday 17:40
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