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2011.02.01 Tuesday

2011 JCCA ニューイヤーミーティング その1

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


おはようございます。
アウグスタMk3ショック醒めやらぬ……といった感じですが
今日は去る日曜に東京 お台場で開催された
JCCA ニューイヤーミーティング(NYM)の模様をお届けします。

お恥ずかしながらここ数年、コンクールデレガンスの審査員なるものを
務めていた関係で(その数年前はずっと取材班でしたしね)、
このイベントをお客さんとしてじっくり見るのはこれが初めて!
いやぁ、ものすごいお客さんだったし、色んな掘り出し物があったし
面白いイベントでしたねー。


そんな今年のテーマはホンダ車。人気のあるメイクスだし、マニアも多いので
コンクール参加車は多いかな? と思ってましたが、そうでもなかったみたい。あれ?


でも、お馴染みホンダ ツイン カム クラブさんのブースは花盛り。
なんといっても目玉のひとつがこれ!
カロッツェリア・ワタナベがS600をベースに製作した
スペシャリティカー、グリフォン!
なんでも5台製作(1台はS800ベース)されたうちの1台だそう。

確か1970年の東京レーシングカーショーに出品されたほか
モービル石油のキャンペーンカーとして“フライング ペガサス”という名で
CMなどにも使われたりしました。そういう意味ではESSOとは
違うアプローチで面白いですね。

(クリックでポップアップします)

確かテールレンズはサニーの流用だったと思いますが
今見ても素晴らしいフィニッシュを誇ります。
カーキ色のコーダトロンカ・ボディが’70sっぽくって素敵。

(クリックでポップアップします)

センターコンソールにはエスの面影が残りますが
厚手のパッドとウッドをあしらったインパネのデザインは
なかなかモダン。

(クリックでポップアップします)

ノーズにはしっかりデザインされたエンブレムも備わります。
このグリフォン、当時としては非常に珍しい公認車輛でもありました。
しかし、価格が高価すぎて5台のみが世に出ただけで終わったのです。

まぁ、煩いだけの日本の法規の前では、海外のような
コーチビルダーが育つ余地はなかったのかもしれませんが。


さらにお馴染み杉田さんのロッドベンダース・カラーのマクランサ

本格的なFRPモノコックのレーシングマシーンを作ろうとした
林みのるさんが第3回日本GPに向けて、製作したものでしたが
結局FRPモノコックは実現せず、エスのシャシーにボディを換装する形で完成。

とはいえ後にボディフォームが販売されたこともあって
多くのプライベーターたちを育てた、日本のバックヤードレーサーの
記念碑的存在といっても過言ではありません。

この辺りの経緯は、林さんの著作「童夢へ」(幻冬舎 刊)を読むと面白いです。


そしてこのブログでもお馴染み、エスロクレーサーさんの愛車コニリオ。
このクルマに関しては、折懸スピードショップ時代の
解良さんの秘話などもご紹介しましたね。

FRP製のボディはインダストリアル・デザイナー、濱素紀さんの手によるもの。
こうして比べてみると、マクランサとは違うアプローチのデザインなのが
良くわかります。今見ても、洗練されたデザインですよね。


(クリックでポップアップします)

続いてコンクールデレガンス出場車から。
こちらは“群5”というシングルナンバーを維持した
1969年式のホンダ1300 99S。

空冷至上主義の本田宗一郎の思想を色濃く反映した1台で
横置きされた空冷SOHC4気筒は、二重強制空冷式を採用。
99Sは京浜製4連キャブを装備した高性能版でありました。

今見ると、トライアンフ・ドロマイトなんかに似てる気もしますね。

(クリックでポップアップします)

こちらも“埼 56”と古いナンバーを維持した
1974年式のホンダ145クーペGL。
デビュー当初はクーペ7、クーペ9という名前でしたね。

クーペ145というのは、72年のマイチェンで
1.4SOHCに統一されてからのペットネーム。

(クリックでポップアップします)

あと1962年の東京モーターショーで衝撃のデビューを飾った
ホンダS360の姿も。この個体はレプリカなのですが、伝説のクルマが
こういう形で蘇るのも良いのではないかと。

ちなみに全国展示の行脚中に忽然と姿を消し、行方不明になった
S360が今でも日本のどこかに大切に保存されている……
という都市伝説を聞いたことがありますが
真相は果たして……。

ということで、ホンダ車絡みの紹介だけでブログの規定量いっぱいに
なったので、この続き(まだまだ良いネタがあるのだ)はまた後日。ニンニン。



コメント
お疲れ様でした。
さすがに本職が書くとNYMもイベントっぽく?なるので読んでて新鮮です。
今度是非埼玉ディープミーティングに。
  • エスロクレーサー
  • 2011.02.01 Tuesday 10:03
エスロクレーサーさん
日曜はお疲れさまでした、そしてバタバタしてすいませんでした。
埼玉ディープミート! 絶対やりましょう。
絶対行きます。
  • 藤原
  • 2011.02.01 Tuesday 10:30
「グリフォン」5台の内の1台「フライングペガサス」は、モービル石油のキャンペーン中事故を起こし大破(した事に)しました。
今回のNYMエントリー車輌は、特に状態が良いですね。
残りの車輌は、関西方面の同じ方が所有されているようです。
ホイールよぉーく見てください【W】のモチーフでデザインされています。
渡辺さんの拘りですね。
  • BT16A
  • 2011.02.01 Tuesday 12:16
先日は当クラブのブースにもお越しいただき、ありがとうございました。
このNYMは20年以上昔(笑)、明治公園で開かれていた頃からクラブ参加していますが、多くの方々にお目にかかれるので続けています。企画は楽しいものの、準備や設営・撤収は「寄る年波」で些かシンドくなってきました(笑)。

今年の展示企画「ホンダ・スポーツ三車三様」はいかがでしたか?
グリフォンを企画・制作したカロッツェリア・ワタナベのストーリーもミステリアスです。藤原さんのテーマも無尽蔵ですね(笑)。
  • Mallory
  • 2011.02.01 Tuesday 16:08
BT16Aさん
ああ、ホントだ! 芸が細かいですねぇ。
ところでペガサス号は大破なのですか。
その辺りにもミステリアスな匂いがプンプンしますね。
  • 藤原
  • 2011.02.01 Tuesday 20:10
Malloryさん
大変お世話になりました。また秘蔵写真を見せていただき感謝しております。
毎年、ツイン カム クラブさんの展示には楽しませていただいておりますが
今年はまた楽しかったです。というか大変勉強になりました。
今後ともよろしくお願いします。
  • 藤原
  • 2011.02.01 Tuesday 20:11
BT16Aさん>

この映像を見てください!
http://www.dai2ntv.jp/player/index.html?item_id=NtvI00020241
写っていないけど、最後の最後で「右直事故」になりそうでしょ!
ったく……、テレビはムチャクチャやりますからねぇ。
これで「大破」しちゃったりして……。

個人宛コメントで失礼しました。
  • Mallory
  • 2011.02.01 Tuesday 23:42
Malloryさん
この動画スゴーーーーイ!
でもホント、これが原因で大破なのでしょうか?
  • 藤原
  • 2011.02.01 Tuesday 23:51
Malloryさん!

ども・ども(笑)
最後のシーン、あの後どーなったのでしょうねぇ?
この800仕様「多摩55 そ 28−46」のフライングペガサスは、この後ブルーに再塗装され1974年「電撃!!ストラダ5」というアクションドラマに出演しています。
事故が起きたのは、フライングペガサスとして「モービル石油」のキャンペーン中の出来事と伺いました。
キャンペーン期間中は2台のフライングペガサスが西へ東へ走りまわっていたのでは?
という方もいらっしゃいます。
はてさて実際はどーだったのでしょうねぇ??(事故内容も含め…)

追記:
20年以上前の事ですが、僕はフライングペガサスのノーズをサンダーでぶった切った事があります。
完全に輪切りして分離させました。
その時のオーナーが、あまりにもノーズ内のFRP処理が雑だったのでリペアするから手伝ってくれと…。
切り離したノーズは処分し、新しいノーズを型から抜き再製作。
綺麗にリペアされましたが、数年後関西方面へ嫁いで行きました。

※ 藤原さん、個人宛コメントで失礼しました!
  • BT16A
  • 2011.02.02 Wednesday 00:27
BT16Aさん
うーん、すごく勉強になりました。グリフォン物語……これも
かなり面白そうですね。
あと、個人宛メッセージはもちろん、このコメント欄で
交換日記されても大丈夫です(笑)。
  • 藤原
  • 2011.02.02 Wednesday 09:48
随分前に「多摩55 そ 28−46」は、800とお聞きしていたのですが、エンジンルームを見ると600ですねぇ?
僕の勘違いのようです。
  • BT16A
  • 2011.02.03 Thursday 00:02
BT16Aさん
もしかするとS800ベースはこの世に存在しなかった……とか?
そんなことないですねぇ。
でも生産台数は4台説と5台説がありません?
  • 藤原
  • 2011.02.03 Thursday 00:37
ホンダ1300/99S。
波乱万丈のホンダの歴史に咲いた究極の「スキマ音楽」ではないでしょうか。どこか陰のある存在感が実にいい味を出していると思います。
ホンダが本格的乗用車メーカーを目指して1969年にリリースしたミドルクラス・セダンたる1300、強制空冷4気筒で100ps(77)、4キャブ115ps(99)という1300ccにしては破格のクラウン2000顔負けのパワーで175/185km/hとスカイライン2000GTより速かったあたり、その破天荒ぶりがリアルタイムで伝わってくる感がします。
紙の上ではまさにクラスレスな一台―高級セダンたるクラウン/セドリックより速くプレジデントの4000cc/V8とさえ大差ない高性能をカローラとコロナの中間サイズのセダンボディに組み合わせたホンダ1300は、今日の感覚で言えば三菱ランサーエボリューションかスバルインプレッサWRX-STiに近いイメージでしょうか。
その裏で、強制空冷方式ゆえの設計の無理―例えばラジエターをシュラウドで覆って冷却機能をもたせる方式はどう見ても詭弁に過ぎず、安定した冷却性能など維持し得ないわけで、事実ヒーターも十分な効きだったとは聞いておりません。
そしてシャーシにエンジンが勝ちすぎて欠陥車問題の槍玉に上げられ、事故も多発した1300.....ホンダも1300クーペや同オートマチックを加えつつ、シャーシ特性の改良やデチューンを行うも最初ついた悪評は消えずに売れ行きはジリ貧―そんなストーリーを追うに、ホンダ1300という車種は「野心と狂気は紙一重」であることを立証した歴史に残る「壮大な失敗作」であったと思えてなりません。
かくもホンダ初のDセグメント(当時としては)への進出は打ち上げ花火に終わり、シビックのヒットを経て1976年の初代アコードとして開花するまで長らくご無沙汰となったものですが、逆にホンダ1300のノウハウはアコード開発の養分となったことを考えると「雨降って地固まる」という見方もできると思います。
  • 真鍋清
  • 2011.10.04 Tuesday 06:19
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