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2011.02.04 Friday

ESSO RACING TEAM STORY 第11回

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記




1972年5月、日本最大のフォーミュラカー・レースの祭典となった
日本グランプリを前に、平凡パンチをはじめとする雑誌誌面に
新しいレーシングティーム発足のニュースが掲載されました。

ESSO RACING TEAM エッソ レーシング ティーム
資料提供:戸張薫

そう、ティームマネージャーである尾崎郁夫さんの作戦が功を奏して
ESSO RACING TEAMは名だたる雑誌の誌面を飾ったのです。
各誌に配られた写真に添えられたのは、あの青山のRQ脇で撮影された
アウグスタMk3"ESSO EXTRA"のオフィシャルフォトでした。

記事にはこうあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「5月3日の日本グランプリ F-Jレースにニュー・アウグスタMk3を
 2台エントリーした。ドライバーは米山二郎と戸張薫のふたり。
 パワーユニットは、米山がスズキ、戸張がホンダ。
 もちろん、優勝をめざしてがんばります」

― ジュニア・セブン・レースやオートスポーツトロフィー・レースなどで
おなじみのRQ(レーシング・クォータリー)が、
石油会社の大手エッソの全面的バックアップを得て、このほど結成した
“エッソ・レーシング・チーム”の披ろうの席上、はやくも
やる気じゅうぶんの姿勢を見せた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
記事中にはこのほかに、ティームディレクターが山梨信輔さん
マネージャーが尾崎郁夫さん、チーフメカニックが解良喜久雄さん。
そしてティームは、今後のドライバーとして鮒子田さん、高原さんにも 
ティーム入りを交渉中といった情報が書かれています。

このことからも、当初ティームとしては前年に実績のあった
米山二郎さんをメインドライバーに据える計画をしていたのが伺えます。
(結局、米山さんはメインレースにマナ08で参加するためキャンセルとなったのでしょう)

そんな中、モータープレスではセカンドドライバーとして
名前の挙がっていた人物に注目しました。


ESSO RACING TEAM エッソ レーシング ティーム 戸張薫
(クリックするとポップアップします)

それが戸張薫さんです。
戸張さんは1951年川崎市生まれ。現在は川崎市高津区で
家業である不動産業の戸張商事不動産(有)の代表を務められています。

しかし、戸張さんの名前がESSO RACING TEAMに刻まれるのは
この72年日本GPの1戦のみ。

セカンドドライバー採用の経緯を解良さんは
「戸張君はね、RQのN360でミニカーレースに出ていたドライバーでね。
 いつもヨシムラ勢とトップを争うような速いドライバーだったんですよ。
 その後FJのレースにも出たりして、そんな実績で山梨さんが乗せたんじゃないかな?」
と振り返ります。

果たしてどんな経緯があったのか?
まずはご本人の回想をもとに、戸張さんのレース史を振り返ってみましょう。

ESSO RACING TEAM エッソ レーシング ティーム
写真提供:戸張薫

子供の頃から自動車に興味があった(初めて運転したのは小学2年の時だとか)
戸張さんは、16歳で軽自動車免許を取得すると、ホンダN360を買ってもらい
日大付属高校の同級生たちと早速"ED9"というクラブを結成します。

戸張薫 ホンダ N360
写真提供:戸張薫 (クリックするとポップアップします)

「当時はN360が人気があって、色を自分の好きなラベンダー色に変えたり
 車高を下げたりして楽しんでいました。そのうちにレースではなく
 ジムカーナや富士で行われていたスピードトライアルに出るようになったんです」

上は1969年5月5日に行われたミニカートライアルの模様。
左回り4.3kmのコースを何ラップか走り、1周のベストタイムを競うというもの。
こうして腕を磨いて行った戸張さんは、ごく自然な流れで
レースに参加するようになり、青山にあったRQに顔を出すようになります。

戸張薫 ホンダ N360
写真提供:戸張薫(クリックするとポップアップします)

「RQに通うようになったのは、たぶん雑誌の広告を見たのがきっかけかな?
 パーツを買うようになって、そのうちに解良さんにクルマを見てもらうように
 なりました。当時はお金もなかったし、オヤジが大反対だったので
 お袋にお金を出してもらったり、山梨さんにも随分とお世話になりました」

こうしてゴールドに塗り替え、487ccにボアアップした戸張さんのN360は
N500として1970年の富士フレッシュマンレースから本格的に参戦を開始します。

戸張薫 ホンダ N360
写真提供:戸張薫

そこでルーキーながら、戸張さんは見事な活躍を見せます。

第2戦でTSクラス4位に入ったのを皮切りに、第4戦で2位、第5戦で優勝!
見事この年のクラスタイトルを勝ち取ったほか
10月の全日本オールスターレースでもTSクラスで優勝するなど
一躍トップドライバーとして名乗りをあげるのです!

上の写真は3月の富士フレッシュマン第2戦のスタート風景。
手前のゼッケン47はこのレースで総合優勝した堀雄登吉のオトキチSPL。
オトキチSPL-RやEVA CAN-AMを挟んで右端に見えるゼッケン39が戸張さんのN500です。

戸張薫 ホンダ N360
写真提供:戸張薫

これは1970年8月23日の富士フレッシュマンシリーズ第4戦。
真っ白に塗り替えられた戸張N500。
(当初とは全く様変わりした外観に注目)

戸張薫 ホンダ N360
資料提供:戸張薫(クリックするとポップアップします)

これは当時の記事のスクラップ。
記事内には当時常にトップ争いを行っていた
戸張薫、木崎初男、吉間和男、坂上安里、平井誠一の5人を
“ミニセダン 5人の侍”と評している。


こうしてクルマ好きの若者から、エントリーレースとはいえ
トップランカーに昇りつめた戸張さん。
この年に記録した2分1秒というラップタイムは
富士スピードウェイの左回り4.3kmのクラス・コースレコードとなりました。
(つづく)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※過去の記事

ESSO RACING TEAM STORY 第1回
ESSO RACING TEAM STORY 第2回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回補足
ESSO RACING TEAM STORY 第4回
ESSO RACING TEAM STORY 第5回
ESSO RACING TEAM STORY 第6回
ESSO RACING TEAM STORY 第7回
ESSO RACING TEAM STORY 第8回
ESSO RACING TEAM STORY 第9回
ESSO RACING TEAM STORY 第10回


※ブログ右端のカテゴリー欄に
ESSO RACING TEAM STORY を追加しています。
過去の記事はそこからもご覧頂けます。





コメント
はじめまして lotus49fordさんから貴Blogを紹介いただいた者です

昨年 BSのF-1撤退が報じられた際「安川ひろし」さんという
ご担当者のコメントが新聞に載っていました

この時代のミニカーレースのリザルトにも 同姓同名のドライバーがよく出てくるのですが
やっぱり世代的にも同じ方なのでしょうか?

どなたかご存知でしたら教えてください (関係ない話ですいません…)
  • n360may67
  • 2011.02.04 Friday 18:40
n360may67さん
こんばんは、これについては詳しい方が
答えてくれるでしょう!
ちなみに同時期のミニカーレースには
我々のエラン仲間でありブラバム遣いの
田中元典さんも出てらっしゃいます。はい。
  • 藤原
  • 2011.02.05 Saturday 00:56
スゴい写真ですね! 軽自動車のレースに偏見をもってましたが、こうして見ると海外のそれにも劣らない世界だったのですね、再認識しました。
  • アクセル
  • 2011.02.05 Saturday 00:57
アクセルさん
お、すごいレスポンス、時間差攻撃(笑)ですね。
ここに紹介しきれないくらい、戸張さんのアルバムには
貴重な写真が収まってました。いつか紹介したい!

  • 藤原
  • 2011.02.05 Saturday 00:59
藤原さんの「取材力」には脱帽です。
左回りFISCOをスタートするフォーミュラカーやグループ7、はたまたサルーンカーまで混走のシーンで、紫色メタリックのEVA CAN-AMが写っていますが、これは「東京オトキチ・クラブ」がエントリーしたものでしょうか。であれば、小生が通っていた小金井のレースウェイズ・ムサシノの奥にあったガレージに仕舞われていた車で、フロンテ3気筒をリア・エンジンのまま(ミッドシップではなく)搭載していて、3本のエクスパンション・チャンバーが直立(!)していました。
あまりに即物的な仕上げに面食らった憶えがあります。
  • Mallory
  • 2011.02.05 Saturday 01:59
スタートシーンの写真いいですね。ハコに2座席レーシングカーさらにはフォーミュラーまで一緒に走るところが軽レース初期の混沌さを示しています。
Malloryさん
いえいえ、取材力ではなく、戸張さんに引き合わせてくれた尾崎さんの人脈と
戸崎さん自身の資料の豊富さによるものです。
で、ご指摘のクルマ、当時の資料にはエバカンナムではなくオトキチSPL-R
という名前でエントリーしているので、Malloryさんが見たクルマ
そのものだと思います。
  • 藤原
  • 2011.02.05 Saturday 14:08
lotus49fordさん
確かに今見ると、乱暴なレース! ですね。
ただ、ミニカーレースを普及させたいという思いで始まったものが
のちに隆盛を極める訳ですから
そういう意味でもこの写真は貴重だと思います。
  • 藤原
  • 2011.02.05 Saturday 14:09
どちらかのエヴァカンナムにうちのクラブの元会長W松親分が乗っていたのかな?
  • エスロクレーサー
  • 2011.02.05 Saturday 19:40
エスロクレーサーさん
この時のエバは、鴨志田正信さん。
オトキチSPL-Rは井上正夫さんみたいです。
  • 藤原
  • 2011.02.07 Monday 10:16
n360may62 さん

そうです。
安川さんは、1969年か1970年の、富士チャンピオンシリーズ・ミニカー部門のチャンピオンです。
確か、安川さんのエンジンは「ヨシムラ」チューンで、彼だけがRSCからCRキャブの装着を許されていました。
その後、安川さんは大学を卒業してアメリカへ渡り、帰国後BSのレースタイヤ部門に勤務されました。
現在までの活躍はご存知と思います。
記憶が定かではありませんが、安川さんの最後のレースは、71年筑波サーキットで開催された「三州ミニカー耐久レース」にホンダZで出場した時ではなかったでしょうか。
因みに、そのレースには、後のホンダF1監督を務めた後藤治さんと、現・ノヴァ・エンジニアリングの森脇さんがコンビを組んでホンダZで出場していました。
安川さんと後藤さんのお二人は、本当に速いドライバーでした。
  • Bob
  • 2011.02.12 Saturday 20:43
Bobさん
ありがとうございます。
そう思うと、当時のミニカーレースって侮れないカテゴリーなんですね。
いや、ホント勉強になります。
  • 藤原
  • 2011.02.12 Saturday 21:16
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