<< お知らせいろいろ | main | ESSO RACING TEAM STORY 第13回 >>
2011.02.07 Monday

ESSO RACING TEAM STORY 第12回

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記




ミニカーレースでルーキーながらクラスタイトルを獲得した
戸張薫さんは、次なるステップとして、RQ自身も力を入れていた
カテゴリーであるFJ/FL(FJは1970年に制定された“フォーミュラJ”規定の略で
市販360ccを使用したカテゴリー=FJ360。当初500ccはJAFカテゴリーに属さず
フォーミュラリブレ500=FL500と呼ばれた) を選びます。

「筑波サーキットで、RQが主催のフォーミュラスクールがあったんですよ
 そこで初めてアウグスタをドライブして、やっぱコレだと思って」

戸張さんのアルバムには、当時の様子を記録した貴重な写真が残っていました。

ESSO RACING TEAM アウグスタ
写真提供:戸張薫

教習車はアウグスタ(Mk1)。講師は米山二郎さんと津々見友彦さん。
米山さん(中央で立っているヘルメット姿)が先導するアウグスタMk2に付いて
筑波サーキットを周回するといった内容だったそうです。
(まだピットウォールが存在していないのに注目)

その模様は当時のAUTO SPORT(三栄書房 刊)にも掲載されていました。

ESSO RACING TEAM アウグスタ 戸張薫
資料提供:戸張薫

記事を読むと、座学を含めた本格的な内容だったようで
戸張さんの他にも、当時カレラ6を手に入れて売り出し中の新人だった
高原敬武さんや成田修さんらも受講していたようです。

当時のRQがただのコンストラクターや、オーガナイザーではなかった
ことを示す貴重な資料といえるでしょう。

さて、こうしてフォーミュラ転身を決めた20歳の戸張さんは
愛車N500レーシングを売りに出し、最新モデルであるアウグスタMk2の
購入に踏み切ります。

「アウグスタは、ボディが塗装じゃなくて、成形色で最初から色がついてるなど
 当時の他のFJに比べても洗練された印象でした。確か山梨さんからローンで
 買ったのだと記憶していますが、それでもお金がないので、20歳からレースを
 辞めるまでの間、銀座三越にあったRQCショップでアルバイトをさせてもらいました
 確か6階のレコード売り場の隣にあったはずです。今では考えられないことですが」

銀座三越にRQCショップ! があったなんて初めて知りましたが
何はともあれ、念願のアウグスタ(エンジンはN500)を手に入れた戸張さん
(当時のスクラップブックには、アウグスタやFL500に関する記事が
 多く集められていて、その憧れの強さが伺える)は、
1971年4月18日に開催されたオートスポーツトロフィー・レース第2戦で
FL500デビューを飾ります。

ESSO RACING TEAM アウグスタ 戸張薫
写真提供:戸張薫

これは予選の時の写真でしょうか? 後ろに見えるポルシェ906は、
同日開催のジュニア7レースに出場する高原敬武さんの愛車(元 生沢車)。

初めてのフォーミュラで戸張さんは、予選6位を獲得。アウグスタ勢としては予選2位の
鮒子田さんに次ぐポジションで、8位の高原敬武さんよりも上位につけるのです。
(レースリザルトは残っていないので決勝はリタイアした模様)

「僕は予選はいつも結構良かったんです。でも決勝は中々うまく行きませんでしたね」

一方、愛車がトヨタ・スプリンターの新聞広告に使われたことも。

ESSO RACING TEAM アウグスタ 戸張薫
資料提供:戸張薫

「確かパドックで貸してくれと言われて、クルマだけ出演したんだと思います。
 よく見るとボディにK.TOBARIと書いてあるでしょう。この時の貸し出し料なんかも
 レース資金の足しとして随分助かった記憶がありますね」


そして、この年のFL500の写真の中には、こんな運命的な1ショットもありました。

ESSO RACING TEAM アウグスタ 戸張薫
写真提供:戸張薫

これは1971年6月27日に開催されたオートスポーツトロフィー・レース第3戦のグリッド。
予選8位につけるゼッケン28のアウグスタMk2
(コルトF2をイメージして白に塗り替えたとか)、その隣予選9につけたゼッケン66の
マシーンは、なんとMANA 06をドライブする解良喜久雄さん!
さらに後方、予選11位につけるゼッケン1のアウグスタMk2は高原敬武さんなのです。

ESSO RACING TEAM MANA 06 解良喜久雄
写真提供:解良喜久雄

なぜ1971年の東京レーシングカーショーで特選に選ばれ話題を呼んだ
三村建治さん作のMANA06に、RQのメカだった解良さんが乗ることになったのか?
その理由を解良さんは

「アイツ(=三村)、自分で作っておいてヤバいクルマには俺に乗れって言うんだよ。
 これは酷かったね。まず最初に乗ったら、1コーナーでリアタイヤがクルマを
 追い越して行った(笑)。これ、エンジンがダイレクトマウントで振動が酷いんだ。
 しかも前は見えないし、棺桶みたいなクルマだから腹筋がすごい疲れるの。
 だから俺が乗りながら、直して良くしていったんですよ。
 確か決勝で3位に入ってるでしょう? 写真の後ろはオトキチだよね。
 レース終わったあと、押さえたってゴチゴチ言われた気がするな(笑)。
 でもこのクルマは本当に酷かったね。ただ三村は当時
 “人ひとり殺さないくらいじゃないと、良いクルマは作れない”
 なんてうそぶいてたからなぁ」

と述懐します。

写真提供:戸張薫

これはその当時のパドックでの風景。カウルが外されたアウグスタMk2のシャシーの
様子がわかる貴重なショットです。フロントにドラムブレーキのついたサスペンション。
そして以前解良さんも言っていた、危険なフロントマウントの燃料タンクも写っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こうして念願の FL500レースを戦っていた戸張さんですが、思わぬ事情により
そのレース活動の危機に直面します。

ESSO RACING TEAM アウグスタ 戸張薫
写真提供:戸張薫

「いつのレースだったか忘れたのですが、筑波の前の日に山梨さんから
  “オヤジがきたぞ”と言われたんです。なんでもRQに自ら出向いて息子をレースに
  出させるなと言ったらしいんですね。それでも僕は出たかったので、かたちばかりの
 家族の同意書を山梨さんに提出してレースに出たわけです」

「ところが、決勝でグリッドにクルマを並べたら、仲間が
 “薫、オヤジがコントロールタワーにいる!” というわけです。
 そこでスタート前なのにピットにクルマを戻してタワーに上がったら、
 オヤジがコーラの瓶を握りしめて抗議していたんですよ。
 これじゃ皆に迷惑がかかるからと、レース出走を
 取り消したのですが、それで暫くレース活動も休止することにしました」

若い頃はモーターサイクルにハマり、地元では一番早くに自動車を手に入れるなど
乗り物好きであったというお父様は、それゆえに息子の身を案じていたのだろうと
戸張さんは振り返ります。

そんなホトボリも冷めた1971年の秋、10月24日に行われた
オートスポーツトロフィー第5戦に戸張さんはアウグスタMk2で出場。
浅岡重輝、米山二郎、津々見友彦、成田修、堀雄登吉、田中弘、林将一など
ビッグネームがそろい、44台ものエントリーを集めて行われたこのレースで
グループB決勝を10位で終えた戸張さんは最終レース決勝に進出します。

しかし迎えたスタート直後の1コーナーで、
金子ファルコンのスピンに巻き込まれるかたちで大クラッシュ。
身体には別状ありませんでしたが、クルマは大きなダメージを負っていまいました。

「この時のクラッシュでフレームが逝ってしまって、クルマが廃車になったんです
 それでレース活動を続けられなくなりました」

“20歳でレースを辞める”と決意していた戸張さんのレース活動は
これでピリオドを打つはずでした。
しかし、翌年になって状況が変わります。

「ある時、山梨さんの方から、“もう1回乗ってみろ”って声が掛かったんです。
 メインのスズキ・エンジンではなく、ホンダの方が空いてるからどうか? と
 電話があったんだと思います。それで日本GPに出られることになったんですよ」

諦めかけていたレースの道に再び訪れたチャンスが
なんと日本GPという大舞台……
ESSO RACING TEAMの初陣となる1972年の日本GPの舞台裏には
こんな知られざるエピソードが隠されていたのでした。

さぁいよいよ次回は、1972年の日本GPに移ります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※過去の記事

ESSO RACING TEAM STORY 第1回
ESSO RACING TEAM STORY 第2回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回補足
ESSO RACING TEAM STORY 第4回
ESSO RACING TEAM STORY 第5回
ESSO RACING TEAM STORY 第6回
ESSO RACING TEAM STORY 第7回
ESSO RACING TEAM STORY 第8回
ESSO RACING TEAM STORY 第9回
ESSO RACING TEAM STORY 第10回
ESSO RACING TEAM STORY 第11回


※ブログ右端のカテゴリー欄に
ESSO RACING TEAM STORY を追加しています。
過去の記事はそこからもご覧頂けます。





コメント
藤原様、毎日楽しく見ております。エッソレーシンチーム、全然知らなかったのに引き込まれています。面白いですねえ。
いま、リンドバーグで個展をやっているのですが、きのう高校の同級生のお友達と言う方とお会いしました。彼もスポーツカー好きで私の模型の本をご購入いただきました。
いいですね。
ミゾロギさん
こんばんは。お世話になります。
そうそう個展の最中なのですよね。一度お邪魔に上がらなくてはと
思っております。よろしくお願いします。
  • 藤原
  • 2011.02.07 Monday 21:26
解良さんとMANA06の写真いいですね。ヘルメットは風圧で変な方向に向いているのでしょうか?MANAは見るからに華奢な足回りですね。強度は大丈夫か心配になってしまいます。
>“人ひとり殺さないくらいじゃないと、良いクルマは作れない”
まるでどこかの有名監督のお言葉のようです。
それにしてもコントロールタワーにまで上った雷オヤジ、ドラマになりそうですね、いいな〜。
  • エスロクレーサー
  • 2011.02.08 Tuesday 11:55
lotus49fordさん
往時のレースファンには人気のあるマナ06ですが
解良さんに言わせると、結構乗りにくいクルマだったそうです。
でもそれで3位に入っちゃうんだから、解良さんが
そのままレーサーになっていたら……。
  • 藤原
  • 2011.02.08 Tuesday 15:53
エスロクレーサーさん
やっぱ現場にいた人のナマの声に勝る物なしです。
今後も色々な証言者が登場予定なのでお楽しみに。
  • 藤原
  • 2011.02.08 Tuesday 15:54
コメントする








 
この記事のトラックバックURL
トラックバック
Calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2020 >>
Selected Entries
Categories
Archives
Recent Comment
Recent Trackback
Links
Profile
Search this site.
Others
Mobile
qrcode
Powered by
30days Album
無料ブログ作成サービス JUGEM