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2011.03.07 Monday

ESSO RACING TEAM STORY 第19回

 



Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



―― ESSO RACING TEAM STORYは、1970年台の初頭に
東京・青山の片隅で、真剣にF1を夢見て集まった若者たちの情熱の物語です。



【新しいカテゴリーFJ1300に向けて

ESSO RACING TEAMの活動が軌道に乗り始めた1972年の後半
そのレース運営側の母体であったレーシング・クォータリーでは
新たな動きがはじまっていました。

それは故 風戸裕選手の父、風戸健二さんの出資による
新たなレーシング・コンストラクター“ノバ・エンジニアリング”設立の動きです。
すでに世界への挑戦を始めていた風戸裕の国内での
活動をサポートするために興された組織の代表を任されたのは
成蹊大学の先輩でもあったRQの山梨社長でした。

併せて手狭になっていた青山のRQのファクトリーは、
1972年の途中から御殿場に移転。
解良さんの記憶によれば当初は日仏自動車の
ファクトリーを間借りしていたといいます。

またレース界に話を戻すと、1970年代に入って盛り上がりを見せてきた
フォーミュラーレースの振興策として、1973年からFJ1300と呼ばれる
新しいカテゴリーがはじまる事が決定します。
これは、F2000とFL500/FJ360の間を埋めるために
考案されたF3に準じたカテゴリーで、エンジン排気量が
当時の国産市販車からの流用を見越して1300ccに設定されたのが特徴的でした。

ESSO RACING TEAMは、1973年シーズンをその新たなカテゴリーに
ステップアップし戦う事を決意します。

ESSO RACING TEAMの新型FJ1300のレンダリングと製作風景
AUTOSPORT YEAR '73 (三栄書房 刊)より

新しいマシーンの開発を任されたのは、もちろん解良喜久雄さん。
角パイプとアルミ板を組み合わせたセミモノコック形式をもつ
フロントラジエーター式のシャシーは、クラッシュしたときに
サスペンションアームがドライバーを傷つけないように設計されるなど
ドライバー経験をもつ解良さんならではの、
安全性と整備性も考慮したものとなっていました。

1973年東京レーシングカーショー  写真提供:尾崎郁夫

航空機のキャノピーのような特徴的なスクリーンをもつボディのデザインは
アウグスタMk3に引き続き、若き由良拓也さんが担当しています。

3月の東京モーターショーで発表された
ドライバーラインナップは、前年FL500にもスポットで参戦していた
鮒子田寛さんと高橋晴邦さんという、新旧トヨタ・ワークス・コンビ。
併せて搭載されるエンジンも、綱島ワークスによって
トヨタ・カローラ用3K-B OHVユニットが供給されることになったのも
大きな話題となりました。

また1972年度の実績を踏まえ、この年ESSOによるスポンサーフィーも
大幅に増額。1973年から本格的に活動を開始したノバ・エンジニアリングの
処女作ということで“ノバ01”と形式名が付けられたFJ1300マシーンは
“ESSO EXTRA"と、“ESSO UNIFLO”と別々の名称で呼ばれ、
エントリーすることになりました。

これは、この頃発売された新製品の高性能オイル
“ESSO UNIFLO”に因んだもので、それぞれ商品イメージに合わせ
EXTRAはブルーを基調に、UNIFLOはゴールドを基調に
カラーリングされたのも特徴的でした。

さらに、新たなプロモーション活動を画策していたマネージャーの尾崎さんは
オフシーズンの間、週刊プレイボーイ誌と、平凡パンチ誌に、
レースクィーンの先駆けと言える、ESSO クィーンを募集。
3人のESSO クィーンが全レースに帯同するという新機軸を打ち出したのです。

これに合わせる形で、ESSO側も広報体制を拡充。
当時のレーシングティームとしては非常に珍しいことに
オフィシャルカメラマンが用意され、これまた全戦に帯同することになります。
(つづく)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※過去の記事

ESSO RACING TEAM STORY プロローグ1
ESSO RACING TEAM STORY プロローグ2
ESSO RACING TEAM STORY 第1回
ESSO RACING TEAM STORY 第2回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回補足
ESSO RACING TEAM STORY 第4回
ESSO RACING TEAM STORY 第5回
ESSO RACING TEAM STORY 第6回
ESSO RACING TEAM STORY 第7回
ESSO RACING TEAM STORY 第8回
ESSO RACING TEAM STORY 第9回
ESSO RACING TEAM STORY 第10回
ESSO RACING TEAM STORY 第11回
ESSO RACING TEAM STORY 第12回
ESSO RACING TEAM STORY 第13回
ESSO RACING TEAM STORY 第14回
ESSO RACING TEAM STORY 第14回追記
ESSO RACING TEAM STORY 第15回
ESSO RACING TEAM STORY 第16回
ESSO RACING TEAM STORY 第17回
ESSO RACING TEAM STORY 第18回


※ブログ右端のカテゴリー欄に
ESSO RACING TEAM STORY を追加しています。
過去の記事はそこからもご覧頂けます。


※モータープレスでは、ESSO RACING TEAMはもとより
往時のレースシーンにまつわる皆様からの情報をお待ちしております。
コメント欄に載せたくないもの、または画像を添付したい
といった情報については、今後 

motorpress.jp@gmail.com

まで、メールにてお寄せください。
基本的に受信専用のアドレスのため早急なお返事ができない
可能性もありますが、どうぞよろしくお願いします。




コメント
ノバ・エンジニアリング”設立に日本電子の風戸さんが関係していたとは知りませんでした。それでコニリオの設計時にも風戸選手の目線を考えていたのですね。今後ますます楽しみです。

写真を数枚お送りいたしました。このMotor Pressの写真サイズにしておきました。
lotus49fordさん
非常に嬉しいです! ありがとうございます。
この成果は追って後日のMPにて。

さてさて、そうです。だから山梨さんが退任後にグレート猪瀬さんが引き継ぐんですね。
  • 藤原
  • 2011.03.08 Tuesday 00:20
藤原さん

猪瀬さんは「タキ・レーシング」解散後、風戸さんと行動を共にしています。
風戸選手がCanAm(ローラT222)に参戦した時も、猪瀬さんと高坂さんが同行しました。
高坂さんについては解良さんが親しくされていた筈なのでお尋ね下さい。
高坂さんは、風戸選手が「ワールドAC7」をドライブしていた時のメカニックです。バイク選手から「ワールド・ホンダ」のメカニックに成り、後にFL500「マルチ」を興し、一時ホンダHRCにもメカニックとして参加していました。
  • Bob
  • 2011.03.08 Tuesday 07:57
Bobさん
風戸さんと猪瀬さんとのタッグは知っていましたが、高坂さんは存じ上げませんでした。
そういう様々なメカやスタッフの皆さんにまでスポットライトが当たるようになれば! と想い、MPを続けていこうと思います。
  • 藤原
  • 2011.03.08 Tuesday 11:44
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