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2011.06.01 Wednesday

ESSO RACING TEAM STORY 第27回



Motor Press
(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



―― ESSO RACING TEAM STORYは、1970年台の初頭に
東京・青山の片隅で、真剣にF1を夢見て集まった若者たちの情熱の物語です。



【営業車はワークスカー!?

ESSO RACING TEAM STORYが始まって暫く経った頃
コメント欄に以下のような書き込みが寄せられました。

「藤原さん
 元・RQの尾崎さんに尋ねて下さい。
 昔、尾崎さんは、日産自動車ワークスティーム(特二)が
 510でサファリ・ラリーに優勝した時のスペアカーを所有されていました。
   今でもあの510は現役なのでしょうか?」

このコメントの主は、毎回ディープでマニアックな
話題を提供してくださるBobさん。
早速、その話題をESSO RACING TEAMのマネージャーだった
尾崎郁夫さんに振ると、今まで見た事のなかった写真が出てきたのです。



「懐かしいですね。そう、確かにESSOの頃、僕はP510ブルーバードの
 元ワークスカーをアシにしていました。手に入れたのは1972年末のことだと思います」


尾崎さんによると、このクルマは1969年7月4日から6日にかけて
SCCN主催で開催された“日本サファリラリー”の優勝者である
稲葉一義さんに、副賞(!)として贈られたもので、
日産ワークスがサファリ用のテストカーもしくは
スペアカーにしていたという、正真正銘のワークスカーなのだといいます。

「稲葉さんはこのクルマにほとんど乗らず、湯河原の方に住んでいた方に
 譲られたそうです。その後、その方も手放すことになるのですが、
 その話を僕に持って来てくれたのが、Bobさんこと日嗣紊気鵑世辰燭鵑任后

そう、いつもコメントをくださっていたBobさんは
このESSO時代のRQCを良く知る人物のひとりだったのです。
そこで我々は、Bobさんこと日嗣紊気鵑砲会いすることにしました。



日高さんは、東京生まれの東京育ち。
高校2年生の時、自らホンダAK250のエンジンを使って
フォーミュラカーを作ろうと思い立ったのが、そもそものきっかけだと言います。

「当時はピロボール一つ入手する事も困難だった時代だったんです。
 パーツが欲しくてRSCに手紙を書いて、いざ買おうと思うと
 グランプリの前にメーカーに全部パーツを持っていかれちゃったりしてね(笑)。
 そんな難題が続いて、この計画は2年目に頓挫しました。
 ただ、その流れでレーシング・クォータリーにも足繁く通っていました。
 ちょうどRQCがジュニア7チャレンジ、オートスポーツ・トロフィー
 ミニカー・フェスティバルなどを相次いで主催している頃でして。
 あるとき、山梨さんに“オフィシャルやれよ”と言われて
 RQCミニカー・トライアルの技術委員を始めまたんです」

以来、日高さんは技術委員としてオフィシャルを長い間務めることになります。

「NAC(日本オートクラブ)、FISCOクラブ、
   GSS(グループ・オブ・スピード・スポーツ)にも所属し、
   富士と鈴鹿の両方でオフィシャルを勤めました。
   富士と鈴鹿の両方でオフィシャルを勤めたのは私ひとりです」

しかし1976年の筑波でレース中の事故に巻き込まれ重傷を負った日高さんは
そこでオフィシャルとしてのキャリアにピリオドを打ちます。
そこから暫くは、レースから離れた生活を送っていたそうですが
1985年にたまたま鈴鹿サーキットを訪れたのを機会にオフィシャル業に復帰。
F1日本GP開催のために尽力したのち、1989年には
パオロ・バリッラを擁したティームを立ち上げ、全日本F3000ティームに参加。
ほぼ同時期に、古谷直広選手を擁してF3ティームも立ち上げ
イタリアF3、全日本F3(90年度ランキング2位)に参戦した経緯をお持ちです。
さらに、その後はF1のスポンサー・ハンティング・ビジネスを手がけ
ベネトンのフラビオ・ブリアトーレとは通算で4年間仕事を続けたそうです。

いわば日本(世界?)レース界の生き字引的存在。
それゆえ、Bobさんから寄せていただくコメントは、広く深いモノだったのです。


さて。尾崎さんとブルーバードの話に戻りましょう。
1972年末、以上のような経緯からすでに日高さんとは懇意にしていた尾崎さんは
「湯河原でワークス・ブルーバードを売りたい人がいる」
という話を日高さんから聞きつけ、すぐに購入を決意したと言います。

「そもそもラリーが好きでしたからね。それに加えて僕はこのP510ブルーバードが
 大好きで何台か乗り継いだほどですから、そのワークス仕様は究極の1台だったんです」



今も尾崎さんが大事に保管されているブルーバードの写真を見ると、
確かに内外装ともスペシャル・エクイップメントをフル装備した
クルマであることが分かります。ただし、ワイパーがサファリに出場したのと違う
初期型の"ケンカワイパー”であることから、1967年の東京モーターショーに
参考出品されたラリー仕様と、同時期に製作された1台という可能性もあります。
(納車時にオドメーターは数万キロを記録していたという)

「エンジンにはSUキャブが付いていましたが、おそらく放出するに辺り
 ディチューンしたエンジンに載せ換えられたものだと思います。
 しかし、それでも吹け上がりのスゴく良いエンジンでした。
 また、ボディにもすごく剛性感があって、グラベルを飛ばしてもストラットタワーに
 クラックが入るなんてことはありませんでした。
 特にスゴいな〜と思ったのは、ダートを飛ばせば飛ばすほど乗り心地が良いことです。
 この時代のギャランとは何処に行くか分からないクルマでしたからね(笑)。
 だからFISCOからの帰りなんかは、中央道や東名道を走らないで、
 この車で丹沢の北を抜ける地方道をかっ飛ばしたもんです。 
 当時は7割方グラベルでしたが、府中の家へ帰るのに
 渋滞した高速より遥かに速かったですよ(笑)。
 それにしても元ワークスカーにナンバーがついて放出されるなんて
 当時としても考えられない話でしたね。確かナンバー付きの元ワークスカーは
 石原プロも所有していて、駒沢にあった自動車工場で見た事があります」

尾崎さんはこのワークスカーをアシ代わりに乗って、日々ESSO RACING TEAMの
営業に使っていたと言います。

「当時、ESSOの本社がTBS会館の中にありましてね。その前に石田商事って
 ESSOのSSがあるのですが、よくそこにクルマを停めさせてもらって
 営業に行きました。もちろん当時はこれ1台ですから、新婚旅行にもこれで行ったし
 生まれた長男を病院に迎えに行ったのもこのクルマでしたね(笑)」

そして、シーズンオフの時にはこのワークスカーを駆り
月刊ザ・モーター主催の“青木ヶ原ウインタークロス”にも出場しています。



「サイドに大きくESSOのステッカーを貼って出場しました。
 RQCの社員だった吉田君をコドライバーにして出場したはずですよ。
 とにかく、このクルマには色々な想い出がありますね。
 営業車に使って、背広来て街を走っていると、
 交差点で怪奇の目でジロジロ見られました(笑)。 
 FIAMMの7連エアホーン(当時は問題でなかった)で
 ピララピララピーと都内を流していましたよ。
 あと、トヨタの綱島にも、これで乗り付けたことがあります。
 日産のワークスカーが綱島に入ったのは前代未聞だったんじゃないですか(笑)?」

そこで最初に日高さんの疑問に戻ります。
尾崎さんのアシとして、ESSO RACING TEAMの営業車として
活躍していたこのワークス・ブルは、その後どうなってしまったのでしょう?

「1974年になって僕がESSO RACING TEAMを離れた時に
 お金もなかったので売ってしまったんです。ザ・モーターの売買欄に載せて
 もらったら、発売日に買いたいって連絡がありましてね
 大阪に住む竹中工務店の社員の方が、現金もって引き取りにきましたよ。
 確か100万円持参して! しかもそのまま乗って帰りました。書類は後でイイと……。
 その後、このクルマがどうなったか消息は聞かないですね。
 今でも残っていたら嬉しいですけど」

今回、貴重な情報をご提供いただいた日高さん(そのストックされた
資料は実に膨大なもの)には、また改めてご登場いただく予定です。

というわけで、ESSO RACING TEAMの知られざる1ページをお届けしました。

次回はまた1973年のFJ1300シリーズに戻る予定です。

(つづく)














コメント
その後の消息解るといいですね。
石原プロというとあの裕ちゃんの出たサファリラリーの映画「栄光への5000キロ」のものでしょうか?
  • エスロクレーサー
  • 2011.06.01 Wednesday 12:04
>駒沢にあった自動車工場
秋山自動車とかいう整備工場で、「サファリ出場車」とか書いてありました。同じ小学校同学年のコの家だったはず。
  • portago
  • 2011.06.01 Wednesday 13:14
エスロクレーサーさん
ビンゴ! です。栄光の5000キロの撮影に使ったクルマはそのまま石原プロ所有になっていたみたいですね。さて、この2台どこへいったのか? ディープな日産ファンなら知っている事実なのか?
  • 藤原
  • 2011.06.01 Wednesday 14:23
portagoさん
さすが! すごい情報。個人的にブルーバードって言われてもピーンときませんが、exワークスが市井に放出されたとなれば話は別です(笑)。何処へいったんでしょうねぇ。
  • 藤原
  • 2011.06.01 Wednesday 14:24
何かゾクゾクするお話、楽しみました。ホント、消息が解るといいですねえ。でもどこかに存在しているような気がするけどなあ・・・。510あのグニャとしたシフト感覚が懐かしい・・・。
  • ua5
  • 2011.06.01 Wednesday 19:59
AK250のエンジンを流用したフォーミュラーというとキング・スペシャル・ガタロが有名(一部だけ?)ですが別のマシンでしょうか?
ua5さん
そうですか! 喜んでいただけて嬉しいです。
これで「いま、ココにありますよ!」なんてタレコミがあると最高なのですが。
ま、果報は寝て待てということで。ZZZZZZ……。
  • 藤原
  • 2011.06.01 Wednesday 21:43
lotus49fordさん
日高さんのマシンは結局完成には至らなかった幻のマシンだそうです。
その話も面白いので、追ってESSO外伝としてお届けしたいと思っています。
  • 藤原
  • 2011.06.01 Wednesday 21:48
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