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2011.06.07 Tuesday

ESSO RACING TEAM STORY 第28回




Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



―― ESSO RACING TEAM STORYは、1970年台の初頭に
東京・青山の片隅で、真剣にF1を夢見て集まった若者たちの情熱の物語です。



【ワークス落ちの営業車……後日談

前回、番外編として1972年から73年にかけて
ESSO RACING TEAMのマネージャーだった尾崎郁夫さんが
営業車兼アシとして使っていたexワークスのP510ブルーバード(!)の
エピソードを紹介したところ、案の定? 大反響をいただきました。

ということで、ちょっと寄り道(こういう寄り道大好きです!)して
exワークスのP510尾崎号の話を掘り下げてみましょう。

このワークスP510が、1969年の日本サファリラリーの副賞だった!
というのは、前回の記事でもお知らせしましたが、
その優勝者であり、初代オーナーである稲葉一義さんが
このクルマについて記事を書いている! という貴重な情報を寄せてくださったのは、
ホンダ ツイン カム クラブの重鎮、鈴木さんでした。

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ご無沙汰しております。
尾崎さんのP510、Bob日高さんの件拝見しました。
物凄い方たちですね。

尾崎さんの510についてオートテクニック70年2月号に稲葉一義さんに
よる紹介記事がありました。どこかに記憶があり探しましたらありました。
よく見ますと68年後期以降のボディかと思われ、ワイパーが喧嘩ワイパー
ではありません。稲葉さんの記事では「日本サファリラリー」の賞品で獲得
した69年サファリラリー仕様のSSSとなっています。
内装機器はハルダスピードパイロットやフューズボックスは同じようですが
ハルダツインがシングルマスターです。内装はともかくとしてまたまた謎が
出て来ましたね。

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ということで、鈴木さんに見せていただいたのがコレ。


『オートテクニック1970年2月号(山海堂 刊)』
この中に”ラリー用特別装備の実際”というタイトルで
稲葉さんによる記事が掲載されています。


その記事に出てくるクルマがコレ。確かに鈴木さんの仰る通り
最大の特徴であるワイパーが喧嘩式になっていません。
また記事中で稲葉さんは
『なお説明に用いた車両は、昨年の「日本サファリラリー」の賞品として
 獲得した、69年サファリラリー仕様のブルーバードSSSを使用した』
と書かれています。

そこで改めて尾崎号の写真を。


これは尾崎さんの元に納車された直後に撮影された写真。
よく見ると、よく似ていますが、ワイパー以外にもフォグランプが2灯になっていたり
バンパーにオーバーライダーが付いていたりと随分違いが見受けられます。


そして決定的な違いはナンバープレート。
オーテク誌の個体が『品川51 21-36』だったのに対し
尾崎号は『品川55 69-79』。尾崎さんによると、このナンバーは
稲葉さんの元に納車された時からそのまま
付いていたものだそうで……ということは、オーテクの個体とは
別物ということでしょうか? 謎は深まるばかり。


確かにエクイップメント類は似ているのですが
まったく全て同じものが付いているというわけでもないのですよ。


これは『日本のショーカー 1 1954〜1969年(二玄社 刊)』に載っていた
1967年の東京モーターショーに出品されたP510ブルーバード・ラリー仕様の写真。
この時の展示車は喧嘩ワイパーを装着。
しかしながら、フォグランプが3灯だったり、
ドライビングランプの形状が違ったりと、尾崎号との差異も多い。


一方、こちらは1968年の東京モーターショーに出品車。
こちらも装備の一部に違いが見受けられる上
ワイパーが通常のタイプとなっています。
(1970年のサファリ優勝車はフロントに派手なオーバーフェンダーが
 付いていたりと完全な別物ですよね)

果たして稲葉車=尾崎車なのか? 
それとも副賞の個体が、稲葉さんの所有中に
なんらかの理由で入れ替えられたりしているのか?
それともオーテクで取材したクルマは、普段稲葉さんが
ラリーに使用していたSSS を取材したに過ぎなかったのか?

モノがモノだけに、真相が明らかになることは難しそうですが
日本モータースポーツ史の裏のミステリーとしては
なかなか面白い研究課題になりそうです。

ちなみに同時期に放出されたexワークスの石原プロ所有車については
これまたportago さんから、当時都内にあった秋山自動車に
よく置いてあったという書き込みを頂き、そちらの方の行方も気になるところ。

日産系に強いマニアの皆さんからの追加タレコミ、お待ちしております。


さらにBob日高さんの回想を見て
lotus49fordさんがもしや? と書き込んでくださった
AK250のエンジンを流用したフォーミュラ“キング・スペシャル・ガタロ”はコレ↑。

ネタ元は鈴木さん提供のAUTO SPORT 1969年1月号(三栄書房 刊)です。
大阪の日柳政俊さんが、商都日産レーシング・チームのメンバーとともに
作り上げた自作のフォーミュラで、最初はサニー用の1000ccエンジンを積んで
レースに出ようと計画したものの、
『強度とか、安全性にまったく自信がなく(本人 著)』
ホンダS600 → ホンダS500 → ホンダT360と使用するエンジンを
どんどんランクダウン(!)させていったという、異色の1台なのです。
(しかもKSCC鈴鹿ミーティングにエントリーするも決勝を辞退!)

果たしてBob日高さんの幻のフォーミュラが
どんな形で生まれる予定だったのかも気になりますね。

ということで、かなりディープすぎる内容でしたが
モータープレスおよびESSO RACING TEAM STORYでは
このような情報提供を歓迎しております。
なにか面白いネタを見つけられたら
motorpress.jp@gmail.com
までご連絡ください!





コメント
そうそう,この記事です。どなたかがおっしゃっていましたがAKは2座席ミッドシップフォーミュラーで今でも速いです。
lotus49fordさん
そういうトラックを生み出しちゃう(しかも初の4輪として)ホンダって
すごいメーカーでした(意味深)よね。
今でも内外にマニアが根強くいらっしゃるのは頷けます。はい。
  • 藤原
  • 2011.06.07 Tuesday 23:07
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