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2012.03.14 Wednesday

3.11 石巻へ 〜 イタリアの巨匠からのメッセージ その3

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



今日もラジオ石巻に届けられたイタリア自動車界の巨匠たちからの
「3.11」に想いを込めたメッセージを順不同でご紹介していきます。



Aldo Brovarone 
アルド・ブロヴァローネ/カーデザイナー

石巻市の住民のみなさんに心からお見舞い申し上げるとともに、
地震の残した傷跡が一日も早く癒えることを願っています。



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アルド・ブロヴァローネ  プロフィール
1923年生まれの自動車デザイナー。23歳の時にデザインの仕事を目指してアルゼンチンに渡り、チシタリアの創始者であるピエロ・ドゥジオが設立した自動車メーカー“アウトアル”でそのキャリアをスタート。1953年にイタリアに戻りピニンファリーナへ移籍。フェラーリ400アメリカ・スーパーファストIIを皮切りに、1988年まで様々な作品を残した。代表作はディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ、ランチア・ガンマ・クーペ、フェラーリ412など。




Enrico Fumia 
エンリコ・フミア/エンジニア・カーデザイナー

2011年3月11日、世界中に激しい恐怖と動揺が広がりました。
この日付は日本に大地震が起こった日として記憶に残ります。
しかしこの日はまた、日本以外の人々にとっても、
非常に重要な教訓を学んだ日として記憶に残ることでしょう。
日本のみなさんは、このような大惨事にも気高さを持って立ち向かう姿を
世界中に見せてくれました。そしてまた、真の勇気とはどういうものかを
教えてくれました。

日本では、日ごろから地震や津波に対する準備をしていましたが、
今回の地震は想像を絶する規模のものでした。しかしみなさんは自制心を
失いませんでした。理性や思慮分別を持って自暴自棄に陥ることもなく、
世界中にその威厳ある姿、市民としての自覚、連帯感を示されました。
もちろん、驚くべき短期間で日常に戻るための具体的な対処がなされたことは
言うまでもありません。

私の日本に対する愛着は、3月11日の大地震以来ますます強くなりました。
もちろんまだ原発に対する不安が完全に収まったわけではなく、余震も続いています。
災害の危険にさらされている日本の方々、地震で大きな被害を受けた方々に
一日も早く正常な生活が戻り、その忍耐と献身が報われる日が訪れるよう願っています。

世界中に真の勇気を示された日本のみなさんに、励ましの言葉を探すのは難しいことです。どんな言葉を持ってしても僭越に聞こえてしまうことでしょう。
ですから、私の心がいつも被害にあわれた方々と共にあるということだけを
お伝えしたいと思います。3月11日以前の平穏な生活に一日も早く戻るため、
力を出して頑張ってください!


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エンリコ・フミア  プロフィール
1948年5月16日イタリア・トリノ出身、伝統と革新を巧みにバランスさせるカーデザイナーとして有名。1976年ピニンファリーナに入社し1987年にはアルファ164をデザインし90年代のアル ファロメオのデザインの基調を作った。1991年ランチアに移籍しランチアの救世主となるイプシロンをデザインする。その後独立し2003年フミア・デザイン・アソチャーティ設立し現在も活躍中。



Mauro Forghieri 
マウロ・フォルギエリ/エンジニア

日本語で書くことが出来ればと思いつつ、
石巻市のみなさんの苦しみを我々イタリア人も共感しているという
メッセージをお伝えしたいと思います。
しかし私は日本のみなさんが過去の戦争から復興したように、
この苦しい逆境にありながらも、
さらに強くなって乗り越えられるものと確信しています。
みなさんを心から応援しています。

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マウロ・フォルギエリ  プロフィール
1935年1月13日、イタリア・モデナ出身。ボローニャ大学で機械工学を修めた後、59年にフェラーリへ。レース部門に配属されるも、ほどなく上司の主要スタッフが共同造反してフェラーリを退社。その結果、フォルギエリは26歳でフェラーリ・ワークスの開発責任者となり、64年には早くもジョン・サーティーズとともにF1を制覇。70年代中盤にはニキ・ラウダとともに、水平対向12気筒エンジンを持つ312Tシリーズでグランプリシーンを席巻するなど、フェラーリ黄金時代を技術面で支えた。87年にはランボルギーニに移籍し、同社のF1エンジン・プロジェクトを担当。その後、92〜94年にブガッティに在籍したのち、個人事務所 “Oral Engineering” を興し、現在に至る。



コメント
"マウロ・フォルギエリ"そういえば覚えているかな"ランボ"っていうF1チーム
ランボルギーニのワークスチームだってことで名前だけはすごかったのにドライバーが
"エリック・バン・デ・ポール"とかいう若手乗せたのに常に金曜朝の予備予選常連で
"ライフ"とかいうW型12気筒エンジン積んだマシンと常に最後尾争い
そのマシンに乗ってたのは"ブルーノ・ジャコメリ"どうですか覚えてますかバブル全盛期の頃でしたっけ?
  • 特・名機某
  • 2012.03.14 Wednesday 12:31
そうなんです!ライフはジャコメッリが乗っていました。あの車は、、、大変な車だったようです、、。
ランボルギーニのF1のスポンサーに日本の企業がついていませんでしたっけ?確か、、不動産業の方だったと思いますが、、
  • ,野口祐子
  • 2012.03.14 Wednesday 15:05
野口さん、藤原さん、こんばんわ。

野口さん、ご苦労様です。
被災された方々はさぞ喜んで折られると思います。

ランボルギーニF1が現役だった頃、ティーム幹部の女性とパドヴァで会った事が有ります。
スポンサーを探して欲しいと云う要望でした。
イタリアの弱小F1ティームは平気で約束を破るので、深入りしませんでした。
ランボルギーニF1ティームが破綻した後、ヴェネト州ノアーレ・スッドに在る「デュランゴエキップ」の工場を訪ねた時、、レストアされたランボルギーニF1ノマシンを一台見ました。
日本の不動産会社がランボルギーニF1のスポンサーだったとの事、色々な不動産屋さんがF1や他のレースに関わっていたので・・・・一体何処だったか。
調べてみます。
  • Bob
  • 2012.03.15 Thursday 19:55
祐子さんおつかれさまです。
"ランボ"に就いてたのって"セントラルパーク"じゃなかったでしたっけ?
例の山口県の"美祢サーキット"の管理会社だった。
今はマツダの試験場なんだそうですけれど一般にレースは開催されてないじゃなかったでしたっけ?
  • 特・名機某
  • 2012.03.16 Friday 09:49
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