新年明けましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願いします
個人的にはブログの使命は終わったかな? という気がしなくもないですが
アーカイブとして、このプラットフォームが残る限りは存続していくつもりです
今年も各媒体をはじめ、フェイスブック、Twitter、インスタなどでも情報を発信していきます
皆さんにとっても良い1年でありますように
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新年明けましておめでとうございます
結局2019年は1回しかアップしなかったモータープレス。
果たして今年は何回アップするのか?
今年もよろしくお願いします
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新年明けましておめでとうございます
なかなか、日々の原稿書きに追われ
モータープレスの更新が滞っておりますが
今年も折を見て、こちらの方でも情報を発信していければと思っております
皆様にとっていい1年となりますよう、お祈りしております
今年もどうぞよろしくおねがいします
モータープレス 藤原よしお
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こんばんは。
なんかまだ遠くで耳鳴りしてる気もするし
お尻も腰も痛いし、腕はパンパンだし、身体中がミシミシ、ガタガタ言ってますが
実はこの19日から22日まで、La Festa Mille Miglia に参加してまいりました。
先月末くらいかな? ラフェスタ・ミッレミリアのオフィシャルHPに名前が出てからというもの
各方面から「同姓同名?」「本当に出るの?」「このドライバーってもしかして……」と
様々な問い合わせ(もしくは冷やかし)をいただいておりましたが
な、なんと光栄なことに世界で行われているポルシェ70周年記念プログラムの一環として
このイベントのためだけにポルシェ・ミュージアムから空輸された1956年型の550A 1500RSスパイダーに
ポルシェジャパンの七五三木敏幸社長のコドライバーとして参加させていただくことになったのでした。
で、イベント当日にヒルトン東京お台場の地下駐車場でご対面。
いやぁ、やばいな。ビカビカじゃん。これで4日間1400km近く走るの??
ものすごい責任重大。この時点で既にじわじわプレッシャーに押しつぶされそうになってます。
しかもボディサイドにはしっかりと僕の名前が……。
うわぁ、たまんない。この部分だけパネル切り取って飾りたい(笑)。
前日の夜、ポルシェ・ミュージアムのマネージャーのアレキサンダー・クラインさんから
「いいかい、550は純レーシングカーだからね。扱いのセオリーをしっかり覚えて気をつけて乗ってほしい。
あとまだレストアが完成したばかりで、テストはしてるけど未だ長距離は走ったことがないんだ」
と言われていたのでさらにドキドキ。
っていうか、そもそもラフェスタ・ミッレミリアに出るのは初めてだし、こういうレギュラリティランの
取材には何十回と出かけているけど、取材の時にはPC競技をパスして先回りするのがほとんどで
まともに競技として出るのは人生初。しかもドライバーは七五三木社長だし、これ、万が一なんかあったら
完全に世界から抹殺されるな……(笑)。
これまで550スパイダーって何度も接する機会があったし、大昔にちょっとだけ運転させてもらったこともあるけど
じっくりと腰を据えて付き合うのは無論、これが初めて。改めてみると美しいクルマだよね。
唯一問題があるとすれば、レーシングカーゆえ車内が狭いこと。無論シートバックにスペースなんて
存在しないので、携行する荷物はミニマム。とはいえ、ルートブックやファイルは必要だし
寒いからウエアはいるし、ヘルメットも必須。だってウインドスクリーンこれしかないからね。
当然、幌もないので雨対策もマスト。というわけで、コンデジ以外のカメラを持ってくのは早々に断念。
え? 福島入ったら雨なの?? しかも寒い??? 10度以下??? どーすんのよ。
ちなみに今回、ポルシェ・ミュージアムからは他に3台の356が参加。
この1955年式356プリA1500スピードスター
パティスリー・サダハル・アオキ・パリのシェフ・パティシエであり、自身も356Bオーナーである
青木定治さんと、パリ帰りのフリーライター南陽一浩さん組。
ちなみにこのクルマ、スピードスターの生みの親でもあるマックス・ホフマンに納車された
記念すべき第1号車だったりしたんですよ。気づきました??
もう1台は1956年式の356A 1600S クーペ。
実はこれは、7月にスイスで行われたポルシェ・クラシックのワークショップに行った時に
運転させてもらった個体そのもの。ナンバーズマッチングのものすごく良い個体。
こちらのクルーは、ミュージアムのアレキサンダーさん(写真に写ってるのがそう)と
ドイツ人ジャーナリストのローランド・ローウィッシュさん組。
最後の1台が1963年式の356B 1600スーパー90。
これも先日、スイスで乗せてもらった個体。もー完璧、完調で、
毎日足に使えるほど乗りやすい1台なんですよ、これが。
ポルシェ・ミュージアムのアヒム・ステヤスカル館長と、
ドイツ人ジャーナリストのミハエル・シュローダーさんのコンビで出場。
そのほか、ドイツから動画クルーは来てるわ、PRチームやメカたちも来てるわの大所帯。
しかもこの模様は後日、ウェブやクリストフォーラスなどでバッチリ世界配信させるほか
ポルシェ・ミュージアムでも公開されるのだそうな。
あーーーー。もっとプレッシャー。
でもね……確かにありえないほどの土砂降りに見舞われたり、エキゾーストノート以外何も聞こえなかったり、
あまりの寒さにメチャクチャトイレ行きたくなったり、腰やお尻が尋常じゃない痛みに見舞われたり
まー、とにかく色々あった4日間だったのですが、いざ目の前にこんな風景が広がって
そこを気持ちよ〜く走れたりすると、ぜ〜んぶ吹っ飛んじゃうくらい楽しいんだよねー。
途中何回か七五三木社長に交代してもらって、思いっきり550スパイダーを堪能できたんだけど
1956年(550のデビュー自体は1953年だもんね)の時点でこの完成度のミッドシップ・レーシングカーを
作れちゃったポルシェの技術力ってすごいわ、と改めて思い知らされましたね。
走ってる間は会話すらままならない状況だったけど、車内は終始この表情ですからね。
どんだけ楽しかったかわかるでしょ??
そーいえば、七五三木社長は550どころか、クラシック・ポルシェに本気で乗るのは初めて
っておっしゃってたけど、スイスイ乗りこなして思いっきりハマってました(笑)。良いこと、良いこと。ウシシ。
あとね。今回参加していたもう1台の荒木一実さん、辻本淳哉さん組の550 RSスパイダーが
な、なんとミュージアムカーのシャシーナンバーと連番だったことが判明!
デリバリーから62年ぶりに同じタイミングで作られたシスターカーが奇跡の再会を果たすなんて
さすがのアヒム館長も、アレキサンダーさんも驚いてたな。
メカニックのマーカスさんに「ブレイブマン」といわれたり、「雨の藤原」と言われたりしたことなど
その道中にあったいろんなこと、感じた様々なことについては、このあと色々な媒体で書かせていただければ
と思っておりますが、超貴重なミュージアムカーを4日間しっかりと走らせて、無事にミュージアムに戻すという
重要なミッションは無事に終了。
ちゃんと走るのが精一杯でとても競技どころではなかったけど、ちゃんと完走できたし
(個人的にここ何年かヘタながら69君に乗ってきた経験を活かせたのもよかった)
本当に本当に得難い経験をさせていただきました。
今回の素晴らしいプロジェクトに参加させていただいた、ポルシェジャパン、ポルシェミュージアムの皆さん
そしてラフェスタ・ミッレミリアの事務局、スタッフの皆さん、沿道で応援してくださった皆さん
いろいろ声をかけてくれたり、写真を送っていただいたりした皆さん、ありがとうございました。
ではでは。
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こんにちは。
皆さん、覚えていますか? モータープレスです(笑)。
7月に入ってから、スイスに行って日本に戻って
今度はマン島に行って、ミュンヘンにも行って、また日本に戻って
イギリスはマルヴァーン(発音はモルヴァンらしい)に出かけて
日本に戻ったと思ったら、すぐにアメリカ・モンテレー〜マイアミへ旅して
またまた日本に1週間いただけでイギリスに行くという……なんとも時差ボケな毎日を過ごしておりました。
(毎月イギリス行ってるわけだ)
おかげで溜まった仕事を処理するだけで手一杯で、モータープレスの更新をサボってました。ごめんなさい。
というわけで、9月7日〜9日に開催されたグッドウッド・リバイバル・ミーティングに行ってきました。
リバイバルは今年で20周年。思えば会社を辞めて独立した2010年に初めて行って
そのスケールのデカさに度肝を抜かれて「少なくとも20周年を迎えるまでは毎年行けるように頑張ろう!」と
固く心に誓ってから、あっという間に8年が過ぎたのですね。
そしてその誓い通り、この場所に通い続けられることを感謝!
まだその興奮さめららぬといった感じで、なにをどう書こうとか頭の中がまとまっていないのですが
20周年にふさわしく、コンテンツは盛りだくさん。そしてお客さんも超満員! さらに週末を通じてお天気は最高!!
と、最高のグッドウッド・リバイバルになりました。
その一方場内には、このイベントの顔のひとりだった、バリー”ウィゾー”ウィリアムが、
土曜の朝に亡くなったという悲しいニュースが流れました。
日曜のセレモニーでは、リッチモンド公爵がスピーチの中でそのことに触れ
場内から暖かい拍手が巻き起こったのが、彼の人柄を表しているようでもありました。
細かな話は、また各媒体で書かせていただくとして、相変わらず素晴らしいレーシングを見せてもらったし
素晴らしい自動車世界を体験させてもらいました。
いまではライブ中継もあるので、日本でもリアルタイムに楽しめるようになりましたが
やっぱ現場で見て、聞いて、匂いを嗅ぐのは別格。
「毎年ここに来るために働いている」
と公言している僕ですが、やっぱ今年も来て良かった。
1年分の自動車養分を吸収できた気がします。
あと、あちこちで「ヤァヤァ」と色々な人に再会できたのも良かった!
あと個人的には、と〜っても楽しみにしていたリヤエンジン&ディスクブレーキFJの
チチェスター・カップを堪能できたことですね。
よし、頑張ってもうちょっと働いて、来年は69直して走るぞ‼︎
ではでは。
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こんばんは。
台風一過(?)の昨日、我らが69君が眠る(泣)QED JAPANにお邪魔してきました。
そこであったモロモロは置いておいて(笑)、皆さんにご紹介したいのがコチラ!
わかります??
このマシンの名はBELLCO(ベルコ)98C。
1973年からスタートした全日本F3選手権のルーツというべきナショナル・フォーミュラ
FJ1300シリーズに向け、横浜の鈴木板金が開発、製作した純国産FJ1300マシン
ベルコ98Aの最終進化版というべき1台なのです。
1973年のFJ1300といえば、このモータープレスで連載してきたESSO RACING STORYでおなじみ
エッソ・レーシング・チームのエッソ・エレクトラ&ユニフロ(ノバ01)が、
鮒子田寛、高橋晴邦のコンビで参戦していた年ですが、この73年に圧倒的な強さでシリーズタイトルを
獲得したのが、真田陸明のベルコ98Aだったのです!
AUTO SPORTS YEAR '74(三栄書房 刊)
これがそのオリジンたる1973年型のベルコ98A。フロントラジエーター、ボディ一体型のリヤウイング
独創的なリヤショックのマウント方法などがよくわかります。
そしてこちらが98Cの現在の姿。ホイール&タイヤは運搬用のノンオリジナル。
「リヤウイングはこのあたりですかねぇ?」とあてがうのは、ひょんなことからこの98Cを発見し
某所からサルベージしてきた(その模様はまた後日)、QEDのケン鈴木。
本来搭載されていたはずの”土屋チューン”のA12は失われてしまっていますが
それ以外のパーツは揃っており、なんとか走れるようにレストアしたいとのこと。
その模様はモータープレスでも順次お届けできれば(無論協力いただけるメディア大歓迎です)と
思っております。
ということで、まずはディテールを……。
※小さな写真はクリックで拡大します
こうしてみるとオリジナルの姿をよく保っていて、思いの外欠品も少ないようにみえます。
ステアリングなんかもオリジナルだし、足回り、モノコックなどのダメージもないみたい。
当時のダンロップ・レーシング(スリック)を履いたマグネシウム・ホイール(2セットもある!)は
神戸製鋼製との噂。となりはなんとスピードスター製のアルミホイール。
ちなみにマグの裏をみると「73 12」の刻印が。ということは73年12月の製造。
つまりこの98Cはもともと98Aとして製造されたものかもしれない。
その証拠? にモノコックに残されたシャシープレートをみると、形式のところが
98・の後、なにかを消したような跡があって、違う書体でCと打ってある。
製造番号も最初の10と次の7の位置が離れているようないないような……
もしかしたら最初は98A-10として製作されて、その後98C–107にされたのかも??
レブカウンター、油圧計、シフトレバーなどがないのが惜しいところですが、オリジナルステアリングが
残っているのは、とってもとっても貴重。
……というかFJ1300のベルコ98シリーズで現存しているのは、ほかにあるのだろうか??
ちなみにA12用のヒューランドや、ガーリングのブレーキなど、さまざまなパーツ、スペアパーツも残っています。
さらに驚くべきは、最初に紹介したマーチ743風のノーズ(もしかしたら、そのものかも?)のほかに
マーチ752風? のノーズも付属していること。一体、どちらをつけて走っていたんでしょう?
AUTO SPORTS 1978年10-15号(三栄書房 刊)
……と調べたら出てきました!
このベルコ98C(アルファスピードベルコ)をドライブしたのは田中恵。
1976年からFBレースにベルコで出場し、
FJ1300には1978年8月26〜27日の'78 筑波チャンピオンズレース第4戦と
10月1日の第5戦の2戦にのみ出場。FPとFJの混走となったこれらのレースで
第4戦では、和田孝夫、見崎清志に次いで総合3位、FJクラス1位でゴール。
第5戦では長谷見昌弘、和田孝夫、都平健二、見崎清志に次ぐ
総合5位(FJは2台のみ出走でクラス不成立)でゴールしているのです!!
AUTO SPORTS 1978年11-15号(三栄書房 刊)
ちなみに両レースとも装着していたのは752風のノーズの方。こうして残された数少ない写真をみると
当時のカラーリング、スタイルのまま残されているのがわかります。
この98Cが田中恵の元に渡る前に、どういう経緯を辿ったのかはまだ不明。
いずれにしろこの98Cの発掘劇をきっかけに、これまであまり語られる機会の少なかった
FJ1300にスポットがあたり、1台でも多くのFJ1300が走行可能な状態に復活していけばいいなと思っております。
もしかすると70sヒストリック・フォーミュラや、ヒストリックFJ1300ができるようになるかもしれない!
というわけで、さまざまな情報もお待ちしてます。
ではでは。
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こんばんは。”すぐヤル課”の藤原です(キリッ!)。
というわけで、日曜日に袖ヶ浦フィレスト・レースウェイで開催された
"Festival of SIDEWAY TROPHY 2018 Spring"の模様をお届けします!
毎回、これでもか! ってくらいに素晴らしい天気に恵まれることでも有名な
日本最高峰のヒストリック・クラブマン・レースのサイドウェイでありますが、この日も朝から
素晴らしいお天気。ちょっと暑かったんで、コスプレ的にはキツイものもありましたが
そのあたり、どんなアイデアで乗り切るか? ってのも、課題として面白いかも。
そんな今回の最大のトピックといえば、初開催となる40分間の耐久レース
”シーブリング40mトロフィー”が行われたこと! につきますね。
その分、フォーミュラ・クラスが消滅してしまったのが残念でもありますが
(ちょっと現状では、他のイベントとのスケジュールを考えるとフォーミュラやるのは難しいかな?)
いきなり21台のエントリーが集まったのは、なにはともあれ素晴らしい!
その昔は耐久といえば、ヒストリックレースの花形でしたからね(昔やってたなぁ:遠い目)
個人的にも変則ル・マン式でマシンが居並ぶ光景にはゾクゾクしましたよ。
さらに今回は、あのクレイジーケンバンドの横山剣さんが、愛機BMW 2002を引っさげて
桑島正美さんとともにエントリー! 横山さんが物凄いエンスーであることは、既に皆さんご存知かと思いますが
変則ル・マン式のスタートでタッチ役を任された際に、わざわざ顔が見えるジェットヘルで登場し
自分が運転する時には最新のフルフェイスを被り直すという、「見せ方」にプロ意識を感じました。
もうひとつはマシンに乗り込んだ時の桑島さんのこの目線!
スロットカーや、デモランでは決して見られない、この”本気の目”が見られただけでも来た甲斐がありました。
さらにあの鈴木恵一さんまでが、MGBでエントリーするという豪華っぷり。
また応援に片桐昌夫さんや、戸谷千代三さんもサーキットに姿をみせるなど、すっごく華やかな雰囲気に。
今後、オーナードライバーとレジェンドドライバーがタッグを組んで出るなんてスタイルが流行るかも?
そういう意味でも、いろいろな可能性が出てきたといえますねぇ。
しかも、桑島さんも鈴木さんも、初めての袖ヶ浦とか、久々のレースとかおっしゃる割に
すぐに袖ヶ浦の攻略法をマスターして、素晴らしい速さを見せてくれたのにもまた感動。
朝からこんな豪華な光景が繰り広げられるって、海外のヒストリックカー・レースみたい。
それにしても桑島さん、鈴木さんの服装にズケズケとダメ出しできるのは生沢さんだけだわ(笑)。
※写真はクリックすると拡大します
そんなこんなで、初めての開催ながら耐久レースは大盛況で大成功。
耐久って、みんなで和気あいあいと楽しめるのも良いですよね。
元ネコ・ヒーリー復活しないかな(笑)。
※写真はクリックすると拡大します
一方、2輪の各クラス、サルーンカーのティントップ・カップ、そしてサイドカーのフレディ・ディクソンなど
各カテゴリーともにマシンもドライバー、レーサーも精鋭ぞろいだし、レース自体の内容も
ものすごくクリーンかつ、コンペティティブですっごく楽しめたのも、今回の特徴でしたね。
あと酷いトラブルや、クラッシュの類もなかったし。みんなこのイベントの楽しみ方を熟知してる!
さて、気になるTeam Ikuzawa とエヴァーグリーン・カップの行方です。
1ヶ月前から、このレースウィークに合わせて日々のスケジュールまで調整していた(!)という生沢さん。
事前のテストも順調だったようで、この表情(横山剣さんが緊張している光景が新鮮でした:笑)。
対する関口さんと26Rも、40分の耐久レースでブッチギリ優勝を飾るなどの好調ぶり。
その争いは、朝の完熟走行から始まっていて、両車ともかなり気合の入った走りっぷり。
好条件下での開催となった予選で、どちらがどんなタイムを出すのか? に注目が集まりました。
完熟走行では、早めに出すぎてしまったために、後続車に早く追いつきすぎてクリアを取れなかったという
生沢陣営は、ちょっとタイミングを遅らせてコースイン。すると今度は集団の中での走行を強いられることになり
クリアを確保するために、予選から関口26Rと生沢911が決勝並みの先陣争いを展開。
生沢911が21秒1を出してトップに立つも、最後の最後で関口26Rが0.2秒差の20秒台に入り逆転ポールを獲得。
さらに田中宏昌さんのエランも21秒台を記録し、トップ3がかなり近接した展開に。
去年からの流れをみると、このクラスのセッティングもかなり煮詰まってきて19〜20秒台が
ひとつのターゲットになりつつありますね。当初は27秒とかでポール争いをしていたことを思うと隔世の感があります。
迎えた決勝。チーム監督の宮坂宏さんに聞くと
「スタートで前に出られたら勝機があるけど、そこで関口さんに前に行かれたら苦しい」
というコメントが……。
してその結果は……というと、生沢さんが見事なスタートを決め関口さんに並びかけるも
関口さんのスタートもまた見事で、予選順位のまま1コーナーへ突入。
4コーナーで田中エランが生沢911を攻めますが、そこはしっかりブロックして(笑)
1周目をクリア。2周目も関口26Rが先行する形となり、このまま行くか? と思われたのですが……
プロとしてのスイッチが入った(僕はそう思ってます)生沢さんが、3周目の1コーナーで
マシンを関口26Rのインにねじ込み、そのまま並走状態で3~4コーナーへ。
ここでイン側になった生沢911が関口26Rをパス。トップに立ちます。
以後はいつもの”生沢パターン”で逃げ切って2連勝!
「75歳と11ヶ月、よくやっていると思うけどなー」とはレース後のご本人の弁ですが
75歳になってもレーシングできるって、本当に素晴らしいことだし、
肉体的に衰えることがあっても、ドライビングって進化し続けられるんだってことは
我々にとってもすっごく励みになることだと思んですよね。
そういう意味でも、今回の生沢さんの鬼気迫る走りはすごかった。凄いもの見た感が半端なかった。
で、最後の表彰式での出来事。
締めの言葉として、大会顧問の生沢さんが毎回いろいろなエピソードを話してくれるんですが
今回は初めて参加する桑島さんのために(ご本人はそうじゃないというかもしれないですが)
わざわざ、1973年のポール・リカールF3での写真を大判に引き伸ばして持っていらしたのです。
そう、生沢さんってこういう”気遣い”の人なんですよ(ご本人はそうじゃないというかもしれないですが)。
昔の雑誌や映像でみるだけでは伝わらない、こういうナマの姿を見られるってのが
サイドウェイのすっごい魅力だと思うんですよね。生沢ファンはぜひ!
というわけで、次回"Festival of SIDEWAY TROPHY 2018 Winter"の開催は
12月2日(日曜日)となります。
みなさんスケジュール空けておきましょうね!
ではでは。
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こんばんは。
早速、昨日開催された"Festival of SIDEWAY TROPHY 2018 Spring"の模様をお届けしたいところですが……
昨日の朝、パドックで生沢さんにご挨拶するや否や
「アンタ、もうブログ止めたの?」と生沢さん。
ドキッ!
「そう、記事載せないのかな? 止めちゃったのかなーって?」と日登美さんまで。
ドキ、ドキッ!
すいません、なんか忙しさにかまけて更新せずに放っておいて、機会を完全に逃しておりました。
しかしながらTeam Ikuzawa復活後の活動をずーーーーーっと追っていたモータープレス的には
このまま前回のレースを語らずには、今回のレースは語れない!
つーことで、遅れ馳せながらFestival of SIDEWAY TROPHY 2017 Winter のご紹介です。
Festival of SIDEWAY TROPHY 2017 Winter が行われたのは、昨年の12月3日のこと。
そうだ、本来なら皆さんのご厚意でなんとかフォーミュラ・クラスが成立するはずだったのに
張本人が鈴鹿でブツけたりしたもんだから、クラスが不成立になったりして
個人的に結構凹んだ状態で見に行ったんだった……
(※画像はクリックで拡大します)
な〜んてことを思い出しつつ、レースの方は4輪2クラス、2輪3クラスの開催で
結構盛り上がっていたんだった!
このレースの注目は、前回のエヴァーグリーン・カップで関口26Rの後塵を拝し2位に甘んじた
生沢911が、リベンジを果たすか否か? でありました。
関口さん、生沢さんともに事前の自主練もされていたようですし、当日は天気も良く
気温も低めに安定していたので、もしかすると19秒台……いや、18秒台が出ちゃうかも?
という期待があったのですが、結果は生沢さんが1分20秒733でポールポジション!
関口さんも1分20秒880という僅差で続きます。完全にこの2台だけが頭抜けている……って感じでしたね。
迎えた決勝は心配されたフライングもなく(笑)、生沢さんが現役当時を思わせるロケットスタートで
ホールショット。そのまま関口26Rの追撃をかわしきって、見事に優勝を決めたのでした。
というわけで、改心の勝利にピットで待ち構える日登美さん以下、Team Ikuzawaのクルーも大満足!
僕らとしても、戦後日本のレースを支えたレジェンドの本気走りを見られるって、すっごく幸せなことですよ。
だって、グッドウッドでリチャード・アトウッドや、ヨッヘン・マスやデレック・ベルの
鬼気迫る本気走りをみたら、いまでもゾワゾワ〜ってするもの。それを日本でも見られるんだから、いいレースだわ。
3位に入ったのは、藤崎さんのロータス・エラン。
「エランとかジネッタ相手に911で立ち向かうのはもう限界!」
ってレース後に生沢さんが言ってましたが、確かにコース的にはエランが有利。
でもねぇ、ファン心理としては生沢さんには911で走って欲しいなぁ……
そんなことを思っていたのを、いま思い出しました(笑)。
なにはともあれ非公認レースとはいえ、75歳で優勝って
もしかしたら国内最高齢記録だったりするんじゃないでしょうか?
なんてったって、海の向こうじゃスターリング・モスも80歳までレースしてたし
70代のヒストリックグループCレーサーや、F1レーサーもいますからね。
そういう意味でも、日本のヒストリック・レース界も欧米並みになってきたって感じがしますよね!
ということで、"Festival of SIDEWAY TROPHY 2018 Spring" の記事に続きマス。
ではでは。
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こんばんは。
いま帰りのニース空港でございます。
フェイスブックの方では、随時様子をお伝えしてきましたが
11回目のモナコ・ヒストリックGPが無事に終了しました。
個人的にはこれが3回目のモナコ・ヒストリックでしたが、
今回のモナコは、ある意味これまでのどのモナコより面白かったかもしれない。
というか、これまで見てきたヒストリック・イベントの中で確実に五指に入る面白さでした。
この週末に何があったのかは、追って各媒体に書かせてもらえればな……と思ってますが
まずは膨大な量の写真の中からチョイスした数点をご紹介します。
久保田さんのレースは残念だったけど、どのレースも中身が濃かったし
なんか色々コツをつかんで、コースのあちこちに行って写真撮れたし
憧れのクルマたちを隅々まで観察できたし、本当にいい週末でした。
そして一番嬉しかったのが、様々な出会い。
あっちこっちで「おー、お前も来てたのか!」とか「今年も鈴鹿に行くよ!」とか
たくさんの人たちと再会したり、出会ったりできたのが、なによりの収穫でしたね。
歩きすぎて足が腫れて痛いけど、本当に充実した3日間でした。
最後のレースが終わったときに、やっと終わったという安堵感よりも
もう終わっちゃうの、寂しいなぁ……という気持ちになったのは久々でしたね。
やっぱクルマ好きなら、グッドウッド・リバイバル、ル・マン・クラシック
そしてモナコ・ヒストリックは絶対見ておいた方がいい!
ちょっとクルマ観というか人生観変わると思う。
ではでは。
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こんばんは。
休眠状態のモータープレスへようこそ。
最近はブログをアップするどころか、フェイスブックやインスタに
アップするのですら、億劫になりつつあります。
まぁ、人間堕落したらキリがないっつーことで。ええ。
そんな中、4月29日に筑波サーキットで行われた26th JAPAN MINI DAY の会場にお邪魔して
2018年シーズンの第2戦を迎えたHFRの観戦に出かけてまいりました。
いやぁなんか去年のSSOEでクルマをブツけてから、それまでのイケイケを反省して
ちょっとちゃんと貯金して体制を立て直そう! っと決意したはいいものの
なんかそれをきっかけに、走りたい熱がどんどん冷めちゃってたんですよ。
だからスーパーバトルオブミニの開幕戦も見にいかなかったし、先日のJCCAなんて
気がついたら寝坊してたし(ごめんなさい)……もう全然だめ。
そんな中、今回のHFRにエントリーしてたタイタンMk4の真北さんが誘ってくださったので
これ幸いとばかりに、原稿をすっぽかして行ってきたのでありました。
とにかくこの日の筑波は暖かい(いや、ちょっと暑い)し、風もないし、花粉も飛んでないし
もう絶好のフォーミュラ日和。エントリーは19台(出走18台)といつものミニデイに比べると
ちょっと少ないかな? と思ったものの、19台ですからね! 十分に台数多いです。パドックも賑やか。
※小さい写真はクリックで拡大します。
こうして朝イチに始まった予選ですが、コース全体にオイル処理のおが屑(5月から筑波のオイル処理有料になるそうです!)
が大量に巻かれていて、なかなか思うようなラインで走れないという苦しい展開。
それでもマイスター白井さんのシェブロンB15が圧倒的なスピードでポールポジションをゲット。
2位につけた山本さんのロータス59、3位の関口さんのロータス41、4位の大平さんのブラバムBT21といった
クラス3勢が「ストップ・ザ・白井」を果たすのか? はたまたさらなる伏兵が現れるのか? に注目が集まります。
迎えた決勝は、全車見事なクリーンスタート(カメラの設定間違えてその瞬間が写ってない:泣)!
やっぱこれだけの台数が集まると迫力ありますなぁ。
序盤こそ、上位陣がトップの白井さんに肉薄しますが、5周目に1分00秒164のファステストを
記録した白井さんが、往年の星野パターンを彷彿とさせる「白井パターン」で2位に26秒差をつける
独走で優勝。不敗伝説をさらに更新しております。
一方2位以下は、あちこちで接戦。山本さんの59と関口さんの41の2位争いも面白かったし
本橋さんのシェブロンB9と塩野さん、築山さんの51、福永さんのマーリンMk17、河西さんのMk11A
とのバトルも面白かったし、伊藤さんのブラバムBT29、真北さんのタイタン、清水さんのロータス59の
バトルも面白かった!! やっぱヒストリック・フォーミュラ最高じゃないかっ!
ということで、総合の暫定表彰台。優勝は白井さん。2位が山本さん、3位が関口さん。
またクラス1の優勝は1リッターながら1.6リッター・ツインカムに割って入って
総合でも5位に食い込んだ本橋さん。フォーミュラ・フォードのクラス2の優勝は
最後に築山さんをかわした福永さんとなりました。
んでもって、レース後にパドックで正式な表彰式を行ったあとにみんなで記念撮影。パシャリ。
戦い終われば和気藹々のこのアットホーム感がいいでしょ?
おかげさまで、冷め切っていたフォーミュラ熱にも少し火が入りました。
がんばって仕事して修理代貯金します(笑)。
ではでは。
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おいっす!
「おーす」
おいっす!!
「おーす」
声がちいさーい、もう一度、おいっす!!
「おいーーーーーすっ!」
シーーーっ。静かししろー!
……というわけで、もうすっかり5月。あれ?今年ももうすぐ半分じゃね?
とバタバタしてるうちに、いろいろお世話になった各媒体のご紹介を忘れておりました。
たぶんこれが3月末から4月末にかけて書かせていただいた雑誌の数々(のハズ!)。
みなさん、ご紹介が遅れてすいません。
この他にもMOTOR FAN WEBやLE VOLANT CARS MEET WEB にも書かせていただいたり
あと他にも仕事した気がするんだけど……。
で、さらに今月も迷惑をかけまくっているという……
とにかくこのGWは書店にGo! っことで。
だめだこりゃ。
ではでは。
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そうそう、今回のグッドウッドでの収穫。
レースの間に場内のモニターで流れている宣伝の中にこんなものが!
おおーーーー。なんだかワクワクする!
photo:Goodwood Road & Racing
その名も「Goodwood Revival Racing Experience」
これまで、グッドウッド・サーキットを舞台にした様々なスクールが行われていたのは知っていましたが
このたび、10台のヒストリックレーサーをスクールカーとしたレーシング・エクスペリエンスが開校したそう。
気になるスクールカーは……
ミニ・クーパーMk2
BMW 1800Ti
アルファ・ロメオ・ジュリア2000GTV
フォード・コーティナ
MGB
フォード・ファルコン
ランチア・フルヴィア
ポルシェ912
ジャガー・マーク2
オースティンA40ファリーナ
という顔ぶれ。ある意味、ちょいハズしの車種選択が渋い!
いやぁ、なかなか上手いモノを考えますねぇ。
詳しくはこちらをご覧あれ。
ではでは。
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こんばんは。
ただいまグッドウッド・メンバーズ・ミーティングに来ております。
現在は17日(土曜日)の午後10時30分。
例年、お天気に恵まれず、寒いことで有名なイベントですが
今年はなんと雪! 気温は氷点下!! そして強風!!!
いやぁ、久々に命の危機を感じました(笑)。
とはいえ、イベント自体はここ数年の中でも1、2を争う面白さ!
しかしながらレポートを書く気力はないので、撮った写真の中から
何枚かをセレクトしてご紹介。
雪ですよ! 雪!! そこをF5000マシンが走る姿はシュール。
いやぁ、マジでこんなに寒いグッドウッドははじめて。
風邪ひきそう……
ではでは。
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こんばんは。
今日はもう1本アップ!
まだ昨年末のサイドウェイ・トロフィーのレポートもアップしてないんじゃないの?
と言われそうですが、2月17日に横浜のBANPROでMFC SLOT NEXT の主催により行われた
第11回『レジェンド・レーシングドライバー・スロットカーレース大会』のレポートです。
今回はCAR GRAPHICをはじめ、レジェンド・ドライバーズ・クラブ、WIDS/Jaguaria
そして新たにヨコハマ タイヤもスポンサードに名乗りをあげる大きなイベントとなりました。
集まったレジェンド&ゲストは以下の皆さん。
▪︎レジェンド・カップ
大久保 力/片桐 昌夫/片山 右京/北野 元/久保田 洋史/桑島 正美/多賀 弘明/高橋 晴邦
津々見 友彦/寺田 陽次郎/戸谷 千代三/長坂 尚樹/長谷見 昌弘/鮒子田 寛/見崎 清志
柳田 春人/千代 勝正/後藤 将之
▪︎ゲストレース
飯田 裕子/加藤 純也/河野 義和/高橋 こまち/山口 正己/田中 仁/原 富治雄
レーサー鹿島/山田 善照/橋本 哲/桂 伸一/野呂 政樹/藤原よしお/
このうちレジェンド・クラスで初参戦だったのが、おなじみ片山右京さんと……
F2、GC、ツーリングカー、耐久など様々なカテゴリーで活躍した長坂尚樹さん。
またスケジュールの都合で予選のみの出走となりましたが
1968年日本GPウィナーの北野元さんが久々に参戦!!
そしてモータープレスでもおなじみ、見崎清志さんも久々に参戦してくださいました。
※小さな写真はクリックすると拡大します
レースの方は……というと、この写真を見ていただければお分かりのとおり、終始賑やかで
和気藹々とした雰囲気で無事終了。ギャラリーの皆さんにもたくさん集まっていただき
ものすごく盛り上がった1日になりました。
詳しいレポートはカーグラフィック誌に飯田裕子さんが書かれるはずですので
ぜひそちらをごらんくださいませ(←手抜きですいません)。
……で、気になるレース結果の方ですが、レジェンドカップで優勝したのは
2位に2周差の113周というダントツの成績を記録した長坂尚樹さん!
なんと初参加、初優勝! これで完璧にスロットカーにハマされた様子。
2位は前回優勝の片桐昌夫さん、3位は長谷見昌弘さん。
以下、高橋晴邦さん、鮒子田寛さん、寺田陽次郎さんと続きます。
いやはや、今年も皆さん長い時間おつかれさまでした。
そしてMFC SLOT NEXTの田村さんをはじめとするスタッフのみなさん、BANPROの伴野さん
さらにスポンサー各位やギャラリーのみなさんもありがとうございました。
また来年お会いいたしましょう!
ではでは。
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こんばんは。
ブログを更新する余裕がなくってごめんなさい。
まずは遅ればせながらの今月の推薦図書から。
最初にご紹介するのは、ENGINE 2018年4月号(新潮社 刊)。
巻頭は毎年恒例の『エンジン大試乗会』!
今年も名だたるジャーナリスト諸氏に混ぜていただいて
大磯プリンスホテルの駐車場に集まった世界の名車たちに乗せていただきました。
なにがどーだったかは、本誌をご覧いただければと思います!
続いては GENROQ 2018年4月号(三栄書房 刊)。
本誌では、ベントレーのプレオウンドと、911S2.4のレストアレポートでお世話になってます。
結構、911のレストア進みましたよ!
また LE VOLANT 2018年4月号(学研プラス 刊)では
本誌ではなく、別冊付録の IMPORT CAR DATA BOOK の方で書かせてもらっております。
これ、サイズもコンパクトで結構便利です。普段使ってます(笑)。
さらに! 3月1日発売のMotor Magazine 2018年4月号(モーターマガジン社 刊)で
初めてモーターマガジン誌に原稿を書かせていただきました(拍手)。
今回は巻頭がポルシェ大特集ということで、ポルシェ・クラシック探訪記と、ミュージアム探訪記を
あわせて10Pも書かせていただいております(多謝)。
なかなかこれまで書くことができなかったこととか、色々書きました。ぜひ。
あと3月7日発売の GENTLEMAN/DRIVERS 04(三栄書房 刊)にも書かせてもらっています。
今回取材させていただいたのは、日本を代表するコレクタブルカー・スペシャリストのひとり
三浦商事の三浦社長。なかなかメディアには登場しない三浦さんの元を訪ね
いろいろと深いお話を聞いてきました。個人的にすっごく刺激を受けた取材でしたね。はい。
あと、紹介し忘れてすでに最新刊が発売されちゃってますが、
2月6日発売の Tipo 345号(ネコ・パブリッシング刊)では、ポルシェのグッズコレクターである
新関さんの元を訪ね、貴重なコレクションを見せていただいております。
いやぁ、いけないいけない……と思いつつも、最近356に惹かれる自分にフト気づくんだよね。
この取材はそういう意味でも本当に危なかった。
しかも東京に大雪が降った日だったから、別の意味で帰り道も危なかった(笑)。
な〜んて言ってるうちに、もう次号の締め切りが迫ってますね。
がんばりますぅ〜。
ではでは。
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