2011.05.31 Tuesday

忘れちゃいないぜ、ESSO RACING TEAM





Motor Press
(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


今日のモータープレスのために長々と書いていた文章を
さっき、バッサリと消してしまいました。

そのショックから立ち直れません(号泣)。

最近の気の抜けたブログからお察しの通り
ちょっとここ数日バタバタなんです。
こんなんじゃイケませんね。うんうん。

ということで、今日はすでに読者の皆さんにも忘れ去られようとしている
ESSO RACING TEAM STORYの予告編をば。

次回のお話は、1973年のFJ1300……ではなくこの画像。
 

え? 510ブルーバード??

でも侮るなかれ、このゴットーブルがESSO RACING TEAMと
関係アリアリなのです。
そして、ついにコメント欄でお馴染みのBobさんが登場!

この話、すんごく面白いんですが
きっと文章に纏めるために2〜3日まるまる必要でしょう。
果たしていつ解禁となるのか?
それは神のみぞ知る……です。

お楽しみに。

その前に良かったら過去のESSOの話でも
読み返してみてください。

ではでは。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※過去の記事

ESSO RACING TEAM STORY プロローグ1
ESSO RACING TEAM STORY プロローグ2
ESSO RACING TEAM STORY 第1回
ESSO RACING TEAM STORY 第2回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回
ESSO RACING TEAM STORY 第3回補足
ESSO RACING TEAM STORY 第4回
ESSO RACING TEAM STORY 第5回
ESSO RACING TEAM STORY 第6回
ESSO RACING TEAM STORY 第7回
ESSO RACING TEAM STORY 第8回
ESSO RACING TEAM STORY 第9回
ESSO RACING TEAM STORY 第10回
ESSO RACING TEAM STORY 第11回
ESSO RACING TEAM STORY 第12回
ESSO RACING TEAM STORY 第13回
ESSO RACING TEAM STORY 第14回
ESSO RACING TEAM STORY 第14回追記
ESSO RACING TEAM STORY 第15回
ESSO RACING TEAM STORY 第16回
ESSO RACING TEAM STORY 第17回
ESSO RACING TEAM STORY 第18回
ESSO RACING TEAM STORY 第19回
ESSO RACING TEAM STORY 第20回
ESSO RACING TEAM STORY 第21回
ESSO RACING TEAM STORY 第22回
ESSO RACING TEAM STORY 第23回
ESSO RACING TEAM STORY 第24回
ESSO RACING TEAM STORY 第25回
ESSO RACING TEAM STORY 第26回


※ブログ右端のカテゴリー欄に
ESSO RACING TEAM STORY を追加しています。
過去の記事はそこからもご覧頂けます。





2011.05.30 Monday

無念、ロータスに奇跡は起きず!

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


昨日は4輪モータースポーツ界においては
世界3大レースのうちの2つ! が開催される実に大盤振る舞いな1日でした。

でも……ロータス的にはちょっと不調。


すわっ、1965年のロータス38×ジム・クラーク以来、
久々にウィニングサークルに“LOTUS"の文字が輝くか? と思われましたが
琢磨選手は真っ先にリタイア。トニー・カナーンがなんとか4位に入って面目躍如。
(ま、あれダラーラですけどね)

しかし、そんなインディ500が地上派の生放送で見れなくなって久しいですね。
それもどうなんだか。

昔はTBSがやってて、裏番組のモナコGPの結果を先に口走って
物議を醸したなんてこともありましたな。


一方、GPの前に、2つの“LOTUS"F1にそれぞれロータスの名称使用権が
認められたりなんかして、一層訳のわかんなくなりつつあるF1界ですが、
こっちの方のロータスも結果は散々(悲)。

でも可夢偉選手の5位は立派。
10位を入賞だなんて認めさせないよ、やっぱ入賞は6位からでしょ
というスタンスの僕でも、この結果には素直に拍手。
まぁ、あの荒れ方、テレビ的にはOKでしょうが、レース的にはどうなんでしょうか?
という意見もあると思いますが。


そんな可夢偉選手の昨年型ザウバーC29日本グランプリ仕様の
1/43モデルは、アタクシのお手伝いしているプラネックス・コレクションでも
販売していたりします。よかったらどうぞ(笑)。


あ、ちなみに先日入手したClassic Team Lotusのステッカー
我らがスバゾール(スバル・トラヴィックのなんちゃってボグゾール仕様)に
貼ってみました。


おおっ、いい感じ♪


でもこれでますます営業車っぽくなった気も……。
皆さんのイカすロータスにも是非!

ではでは
仕事が溜まり込んでいるのでこの辺で。



2011.05.27 Friday

Classic Team Lotus な日々 その後




Motor Press
(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


昨日は1日、Classic Team Lotus のモロモロの作業。
前職にひきつづき、好きな事を仕事にできる
(というかそれ以外出来ないという説多数)というのは幸せなことなのですが、
故に寄り道、道草、アブラ売りの誘惑が多いのも事実。

昨日は昨日でこんな写真を見つけたりして……。


幻に終わったF2マシーン、タイプ58に収まるコーリン・チャップマン。
リアにラジエーターを配する超ウエッジシェイプなボディ。1.6リッターのコスワースFVA。

何気にウエッジ好きの僕としては、理想の1台だったりもするんですね、これ。
ヒルやマイルズがテストするも好結果は出ず、
じゃあF2がダメならタスマンでどうだ! とばかりにエンジンをコスワースDFWに積み替え
タイプ57としてテストするも、これまたダメで放棄されたという哀れな1台。

ちょうどこの頃、クラークの事故もありましたから、
ロータス的にも一番↓↓な時期だったんでしょう。

でも、この写真1枚だけで色々楽しめるのも事実。
背後に写るモスグリーン? のコーティナは、よく色んな資料や映像
(1967年のTeam Lotusを追ったフォードの広報映画”Nine Days in Summer")
にも出てくるクルマと同じなんでしょうか?
当時のスタッフカーだったりしたのかなぁ??

……そんなことを考えているだけで、
あーーーーっという間に時間が過ぎてたりして(泣)。


ちなみに僕は今から3年ほど前、ロータス・コレクターの重鎮
マルコム・リケッツのガレージで、唯一現存(というか生産台数1台)する
タイプ58を拝む事ができました。
(その前のTeam Lotus 50周年のときにもチラ見してるけど)

もうそのときの感動といったら!

しかし、こんなワンオフのプロトでも
しっかり実働状態で保存されているのがスゴいですよね。

……でもそれより奥のマーチが気になるって人もいらっしゃるでしょう。
実はこれ、あのジャン・ピエール・ジャリエがドライブしてた
マーチ782なんですねぇ。

こんなオリジナル状態の782っていうのも珍しいですよね。
あまりジロジロ見てたら、マルコムさんに
「預かりもんだから、売らないよ」
なんて言われたんだっけ(笑)。

ま、買えないけど(号泣)。
皆さん、よい週末を。

あと、CTL Japanのフェイスブックもよろしくお願いします! 
いいね!をクリックしてフォローしてください。


※モータープレスでは、ESSO RACING TEAMはもとより
往時のレースシーンにまつわる皆様からの情報をお待ちしております。
コメント欄に載せたくないもの、または画像を添付したい
といった情報については、今後 

motorpress.jp@gmail.com

まで、メールにてお寄せください。
基本的に受信専用のアドレスのため早急なお返事ができない
可能性もありますが、どうぞよろしくお願いします。








2011.05.26 Thursday

Concorso d'Eleganza Villa d'Este 2011

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


先日、RMオークションの結果を速報をお届けした

その模様を撮影したモータープレス英国特派員? 
B-Rev 藤原功三さんからの写真が届きましたので、ご紹介します。


エンスー諸氏には“耳タコ”かと思いますが、
コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステは、
イタリア・チェルノッビオ市のコモ湖畔にある高級リゾート“ヴィラ・デステ”を
舞台に毎年行われているコンクール・デレガンス。

そもそもは、1929年に開催された"Coppa d'Oro Villa d'Este"という
コンクールに端を発する、由緒正しきもので
1949年に一時中断の憂き目にあうものの、1995年から復活し、
今では世界最高峰のコンクール・デレガンスとしてその名を轟かせています。


そんなヴィラ・デステの今回の目玉は、なんといってもベルトーネから放出された
各種プロトタイプが競りにかけられたRMオークションでしょう。
(写真はVilla Elvaに移動し一般公開されたときのもの)

もう一度オークション結果をおさらいすると

Villa Erba  21/5/2011

1978 Lancia Sibilo       85,000 euro
1974 Lamborghini Bravo  525,000 euro
1980 Lamborghini Athon  310,000 euro
1963 Chvrolet Testudo    300,000 euro
1967 Lamborghii Marzal    1,350,000 euro
1970 Lancia Stratos HF ZERO 680,000 euro
(+Comission  + tasse )


話題のストラトス・ゼロは下馬評を下回る68万ユーロ。
一方、レーニエ大公、グレース王妃が乗ってモナコGPでパレードしたという
ヒストリーをもつランボルギーニ・マルツァルは
135万ユーロで競り落とされました。


あのカングーロと衝突事故を起こし、長らくカングーロを闇に葬り去った?
ことで知られるシボレー・コルヴェア・テストゥードはたった? 30万ユーロ。
安い! と思うんですがね。どうでしょう?


そんなヴィラ・デステには昔からの習わしどおり、
カロッツェリアやメーカーによる最新ファッションのコンセプトや
ワンオフカーも出品されます。

これは冠スポンサーを務めるBMWが持ち込んだBMW328オマージュ。


そしてコンセプトカー部門の栄冠を勝ち取ったのが
このアストン・マーティン・ザガート・クーペ。

すいません、一瞬日産GT-Rのザガート・バージョンか? と思ってしまいました。失礼。


さて、一方のヒストリックは相変わらずの粒ぞろい。
手前は1953年型のシアタ208S、
後ろは1955年型のアルファ・ロメオ1900Cスーパースプリント・ザガートです。


さて、これはなんでしょう?

正解は1953年式シアタ400F 。
さきほどの208Sのボディがモット製だったのに対し
こちらはBalbo(バルボでいいんですか?)製なんですね。
美しくも個性的なデザインです。


はい! みんな大好きTZ2。
我らがエルコーレ・スパーダ御大の生み出した傑作のひとつ。
アルフィスタでなくとも惚れてまうがな。



そして1972年式シトロエンSMオペラ。
シャプロンの換装したボディをもつリムジーネですね。
美しい!

このクルマ、実物をみるとたまらなく妖艶でいいのですよ。



でも、なんだかんだ言って個人的なベストはこれかなー?
1963年型ジャガーEタイプ・ライトウェイト・ロードラッグクーペ “4868WK”。

当時ドイツのピーター・リンドナーにデリバリーされたクルマで
1964年のパリ1000kmに出場したときに、モンレリーでクラッシュして
リンドナーが死亡する悲劇に見舞われた1台なんですよね。

その後しばらくモンレリーのバンク下に放置(!)されていたのを
ほぼニューパーツでリビルドしたのがこのクルマ。
ちなみにクラッシュしたオリジナルボディはイタリアの
ロッソ・ビアンコ・コレクションに飾られていた(!)はず。

そんな話を昔のカー・マガジン(先月号じゃないよ)で見た事があります。
なんか当時の安東編集長が熱く語っていたのを聞いたような……。




※モータープレスでは、ESSO RACING TEAMはもとより
往時のレースシーンにまつわる皆様からの情報をお待ちしております。
コメント欄に載せたくないもの、または画像を添付したい
といった情報については、今後 

motorpress.jp@gmail.com

まで、メールにてお寄せください。
基本的に受信専用のアドレスのため早急なお返事ができない
可能性もありますが、どうぞよろしくお願いします。



2011.05.25 Wednesday

Classic Team Lotus な日々

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


この先暫くは変則的なアップになる(と思われる)モータープレス。

というのも、ここ数日は日本版Classic Team Lotusにまつわる
モロモロに取りかかる日々。いわばロータス漬けの日々を送っているからなのですね。

幸せです(強調)。

とはいえ、すべてが手探り状態。
となれば、何事も実践あるのみ!  ということで
実際にCTLグッズを買ってみたりして……。


僕が買ったのは、CTLのロゴステッカー
日曜の夜にクリックしたら、今朝届きました。速い! ふむふむ。

オフィシャルな雰囲気を味わうために? スバゾール君とミニ太君に貼ってあげよう。

そんなことと平行して、既存のCTLグッズを調べたり。


これは現在販売しているTEAM LOTUSのピンバッジ
1968年にゴールドリーフと提携するまでは、このマークがチームの
エンブレムだったんですよね。

ということは? と色々調べていると……


こんな写真に行き着きました。
そう1967年のオランダGPで49デビューウィンした時の1枚です。

もしかして、このときチャップマンの襟に着いているバッジが
今売ってるバッジと同じデザインのものだったんじゃないか? と思うのですが……。
そこでさらに、いろいろ資料をひっくり返して調べたり……。
……とまぁ、そんな日々を送っているわけです。

あと、facebookにも日本版CTLのページを開設しました。
さらにツイッターのCTLページでもたまにつぶやいてます。

こちらもどうぞよろしくお願いします。

眠くて支離滅裂な文章ですんません。
ではでは。











2011.05.23 Monday

人とくるまのテクノロジー展2011

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


先週の話で恐縮です。
木曜日、パシフィコ横浜で20日まで開催されていた
に行って参りました。

自動車メーカー、部品関連メーカーの見本市といった
性格のイベントなので、モータープレス的にはちょっと場違いな雰囲気。
でも、結構楽しめました(笑)。


この展覧会の一番の目玉はGMのEVカー、ボルトでしょうね。
まだ日本導入は未定とのことですが、
デザイン的にはなかなか魅力的なクルマでした。
一見サイドウインドーが大きく見えますが、下部を黒く塗る事で
そう見せているのですね。面白いデザイン処理。

という感じで、この会場も基本的にEV、HV、エコがキーワードだったのですが……


個人的には、どうしてもこういう展示に引き寄せられます(笑)。
これは童夢のブースに展示してあったDOME F107の風洞モデル。
今のウインドトンネルモデルって、カーボンで出来ているのですねぇ。


で、ついついこんな写真ばかり撮っていたり……
我ながらどうしたものか。


あと、ル・マンカー、S102のウインドトンネルモデルも。
でかいけど、ウチに1台欲しいなぁ。
個人的に、風洞モデルってそそられるんですよね、そのワンオフ具合に。


そんな童夢のブースには、お得意のカーボン技術を使った
製品の一部が展示されておりました。
なるほど、レーシングかー以外にも色々転用できるのですね!
楽しみ。

という、人とくるまのテクノロジー展2011でちょっと気になった展示がこれ。


フェラーリF430のラジコンがウィーンと走り続けているブース。
よく見ると、電磁波シールドと書いてある。

ん? と思い、出展社の日本パーカライジングの担当氏に聞いてみると
なんと、電磁波をブロックする特殊塗料のデモンストレーションなのだそう。


模型の裏面、左側が塗装済み、右側が未塗装。
なんでも銅を主体に開発した特殊な塗料を使っているそうですが
酸化などの経年変化等に関しては、まだ対策の余地が残っているとのこと。

でも、確かに実験を見ていると、
塗装済みの方が電磁波をカットしているのが分かる!


確かに今流行のEVなり、HVってバッテリーとモーターを抱え込んで
走っているわけですから、電磁波ってどうなんだろ? という疑問を
ずっと持っていたんです個人的に。
電子レンジやIHコンロでも、問題になるんだから
EVやHVでも無縁ではなかろうと。

聞けばやはり、モーターとインバーターが主な発生源なんだそうで。
クルマの電磁波に関しては基本的に各社任せなのだとか。
(某メーカーの技術者の方もその昔、電磁波に関しては問題ありって言ってました)
まぁ鉄ボディのクルマの場合、かなり軽減されるということを聞きましたが
ある程度、ユーザーは頭に入れておいた方が良い知識かも。

そういう意味では大変勉強になった1日でありました。
たまにはこんなネタもいいでしょ?

ではでは。






2011.05.22 Sunday

ストラトス・ゼロは68万ユーロで落札!

 


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


速報です。
今イタリア・コモ湖畔で開催されている
コンクール・デレガンス“ヴィラ・デステ・コンコルソ・デレガンツァ”の
会場にいる野口祐子さんから、メールがきました。

以前このモータープレスでもご報告した
ベルトーネ秘蔵コレクションのオークションの結果が出たようです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Villa Erba  21/5/2011

1978 Lancia Sibilo       85,000 euro
1974 Lamborghini Bravo  525,000 euro
1980 Lamborghini Athon  310,000 euro
1963 Chvrolet Testudo    300,000 euro
1967 Lamborghii Marzal    1,350,000 euro
1970 Lancia Stratos HF ZERO 680,000 euro

+Comission  + tasse 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マルツァルが意外な高値。
目玉だったストラトス・ゼロが伸びなかったのは
あまりコンディションが良くないという
事前情報ゆえだったのでしょうか?

詳しくは、野口さんがコーディネートを務めている
来月末発売のGENROQ(三栄書房刊)にて!
きっと、深いネタをもってくるハズ! です。


2011.05.21 Saturday

もうひとつのTetsu Ikuzawa Collection

 


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


先日のこと。
このモータープレスにも書き込みをいただくsevenさんから、メールが届きました。
そこを開くと1枚の写真が……。



あれ? sevenさんも静岡ホビーショーにお出かけに……? と思いきや
こんなコメントが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

藤原様
いつも楽しくmotorpress拝見しております。
時々コメントにお邪魔してますsevenです。
エブロの生沢徹コレクションは衝撃でした。
何故なら、私自身が生沢徹コレクションを作っているからです。
私のコレクションはHONDA S800,BRABHAM BT21,
PORSCHE910, PORSCHE917, PORSCHE908です。
全てレジンの1/43です。現在製作中はLOTUS59で
そのあとLOTUS69もGRD 各車も考えていますが、
あぁ早くしないとエブロに抜かれちゃうー、もう抜かれたか?

seven

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

え、えーーーーっ、自作ですか!?
とおどろき、ホビーショーの写真をみると、


確かにラインナップが被ってるけど、違う!
スゴい。

ほら、sevenさんからの写真をアップにすると


ブラバムBT21だってありますしね。しかもヘルメット付きですぜ!
やりますねー。展示のアクリル版に書かれた生沢さんの直筆サインも泣けます。
(もてぎで貰いました?)

というか。BT21のレジンキットってあるのでしょうか?
元エレール(後ユニオン)の1/24キットしか知らないもので。
もしかしてスクラッチ?

いやー生粋の生沢ファンの底力を見ました。
次回作ができたらまた送ってください。
生沢さんにも写真、メールしておきますね!

ではでは。


※モータープレスでは、ESSO RACING TEAMはもとより
往時のレースシーンにまつわる皆様からの情報をお待ちしております。
コメント欄に載せたくないもの、または画像を添付したい
といった情報については、今後 

motorpress.jp@gmail.com

まで、メールにてお寄せください。
基本的に受信専用のアドレスのため早急なお返事ができない
可能性もありますが、どうぞよろしくお願いします。











2011.05.20 Friday

野口祐子 From Italy―”L’INGEGNER FORGHIERI”

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


イタリア在住のジャーナリスト、野口祐子さんのイタリア便り。
昨日に続く2回目は、BUGATTI EB110を手がけたあの人の
素晴らしい展覧会のリポートです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


MODENAで行われている、”L’INGEGNER FORGHIERI”に行って来た。

マウロ・フォルギエリと言えば、フェラーリには欠かせないエンジニア。
その後の代表作についてはLAMBORGHINI F1、BUGATTI EB110がある。

(1991年式 モデナ・ランボルギーニ291 この車もいろいろな話があって面白そうだ)

そんなイタリアの自動車文化の発展に貢献した彼の展覧会なのだ。

フォルギエリは1935年1月13日、モデナに生まれた。
1959年にボローニャ大学を卒業後、FERRARIに入社。

(1961年モナコGP フェラーリ156“シャークノーズ”)

その僅か3年後の1962年、彼はレース部門の責任者になる
(1962年のフェラーリ取締役の人達の反逆事件は皆さんご存じでしょう)。
1987年〜1991年はLAMBORGHINIエンジニアリング勤務。 
その間LAMBORGHINI F1を指揮。
その後、1993年にBUGATTIテクニカル部門責任者に就任(〜1994年)。
現在は、ORAL ENGINEERINGで、プロジェクト、リサーチ、開発などを行っている。


何と彼の父親RECLUSは、1945年以降のFERRARIレース部門のチーフメカニックだった! とのことで小さい頃から家の中では車の話ばかり飛び交っていたらしい……。

そんなあまり知られていないマウロ・フォルギエリの展覧会が
開かれているのは6月12日まで。
この間、イタリアにいらっしゃる予定の方、是非、モデナまで足を延ばして下さい!

ではフォルギエリにまつわる多くのモノが展示されている様子をご覧ください。


1964年モナコGPのポスター。


1972年フェラーリ312B3"Spazzaneve"

除雪車という有り難くないニックネームを付けられたこの車は
1972年のイタリアGP前後のテストにジャッキー・イクスとともに登場。
しかしそのままお蔵入りに。マニアには人気の高い、幻のフェラーリ。


1979年に使用されたジョディ・シェクターのヘルメットとスーツ。
この年にシェクターは念願のワールドチャンピオンに輝く。


その1979年、シェクターがジル・ヴィルヌーブとともにドライブし
フェラーリにドライバーズ、コンストラクターズのWタイトルを
もたらしたのが、この312T4だ。


1981年のモナコGPでジル・ヴィルヌーブがフェラーリ126CKで
優勝したのを記念に作られたFERODOのポスター。珍しい。


そして1982年――ジル・ヴィルヌーブが使用していたGPA製ヘルメットとグローブ。
フェラーリのエースに登り詰めた彼は、同僚ディディエ・ピローニとの確執の末
この年のベルギー・ゾルダーで帰らぬ人に……。


ヴィルヌーブ亡き後、フェラーリに加入したフランス人
パトリック・タンベイが1983年に使用していたヘルメット。


これは1988年、ターボF1最後のレースとなったオーストラリア・アデレードで
エンツォが愛した最後のドライバー、ミケーレ・アルボレートが使用していた
JEB'S製のヘルメット。マシーンはフェラーリF187/88C。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Viale Corassori 110 Modena
月〜金  15:00 ― 19:00
土日   10:00 ― 13:00/15:00 ― 19:00
入場料  5ユーロ
www.modenaterradimotori.com
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

では。








2011.05.19 Thursday

野口祐子 From Italy―今も眠るブガッティEB110

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


さて、イタリア在住のジャーナリスト、野口祐子さんから届いたイタリア便り。
今回は、バブル期に突如復活したBUGATTI EB110にちなんだ話題を2点。
あまりに濃いお話なので、今日、明日と2回にわけてお届けします。

―――――――――――――――――――――――

1990年に夢物語の様に登場した、BUGATTI EB110。
日本でも発表会を行ったので、そこに足を運んだ方もいらっしゃるのでは?

この新生ブガッティは、いろいろなところで、これでもか、これでもか……と
お金を使って夢物語を作り上げていました。
だから世間は、どうしてあんなに散財出来るのか? と疑問に思っていたし、
いつかは絶対崩壊するぞ……と思っていたら、本当に崩壊してしまった。
 
カンポガリアーノにあった本社は、まるで007のセットに使われるのでは?
と思うほど、近代的で華やかだったのですから。
 

BUGATTI EB110――これは、ロマーノ・アルティオリという人間の夢物語でした。

イタリアでスズキのインポーターを経営しているのをはじめ、
各業界で活躍をしていたアルティオリ。
その彼が壮大な夢を描き始めたのが、BUGATTIだった。

夢に向かって生きるということは、素晴らしいことだと思う。
けれど、現実というものが自分の中から消えてしまい、
夢の生活一色になってしまった時が怖い。
現実は現実として常に隣で歩んでいるのだから……。
そして自分以外の人をそれに巻き込んでしまうのは……。
夢と現実の境を知るというのは、難しいことなのでしょう。

この車を作り上げたのは、パオロ・スタンツァーニ、
マウロ・フォルギエリ、ニコラ・マテラッツィといった、
’60年代以降にイタリアのスーパーカーの”全て”を築き上げた技術者たち。

そしてデザインは鬼才、マルチェッロ・ガンディーニ!
さらに後継車のEB112はジウジアーロと、
華麗なる人々が携わった、正に“イタリアの血”で作り上げられた車なのです。


さて、ここに紹介する車は、4台あるEB110の開発用プロトタイプの中の1台。第1号車です(5台とも言われていますが、現存するのは4台)。


写真をよーく見て下さい、時間が無かったということで、いろいろなメーカーの部品が使われているのがよくわかります。


そして 鮮やかなブルーのクルマは、パリでEB110が発表された時に使われた車。


GTは100 台くらい、SPORT SSは30台くらい生産されたと聞きましたが
日本にも、未だ10台くらいは存在するのでは?

私自身、このBUGATTI EB110の物語はバブル最後の時期に登場した、
歴史的にとても興味深い車だと思います。どういうことで、
BUGATTIが再生されることになったか、アルティオリが何故関わってきたか?
開発に関わったエンジニア、デザイナーの人間模様などなど……。
未だこの4台のプロトが1人の所有者の元に残っているので追いかけたい!
 
でも……その中の1台、売られてしまうかも……。
 
聞くところによると、いまだに、BUGATTI時代の従業員が集まる会があるのだそうだ。
つい先日も100人以上が集まったらしい。でも、そこにアルティオリの姿は無い。
そして各巨匠エンジニア達も同席することは無いそうだ。
毎回、誰を招待するか気を使うらしい……。

まだ20年しか経っていない物語。
この夢に関わったことによって、それが悲しい結果に終わってしまったことによって
人生が変わってしまった人が居るかも知れない。なので、人間模様も未だ生臭い。
でも、アルティオリの夢は車の世界に歴史を残したことは確か。
彼は居なかったらこの“夢車”は生まれなかったのだから……。

歴史というものは後になって形が見えて来る。
 あと10年くらい経ったら、アルティオリを囲んで
腰が丸まった、髪の毛が無い、真っ白の髪の毛をした
おじいさんやおばあさんに一同に集まって貰って、
BUGATTI物語を語りあって貰いたい。

でもその頃は、重鎮の方達は既に80歳過ぎ……
車を作るよりも、難しそうな“夢”、出来るかなぁ〜。



Calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< May 2011 >>
Selected Entries
Categories
Archives
Recent Comment
Recent Trackback
Links
Profile
Search this site.
Others
Mobile
qrcode
Powered by
30days Album
無料ブログ作成サービス JUGEM