2011.06.29 Wednesday

チャップマンのギャラクシー

 


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



先週末、英国スネッタトン・サーキットで開催された
 ”Lotus Festival at Snetterton”。
英国特派員のB-Rev藤原さんによると、ロータス・カーズが
主催するこのイベントでは、エリーゼカップから、
F1デモランまで様々な催しが行われたそうです。

その模様を収めた写真数枚が早速メールで送られてきたのですが……。


おお! いつの間にやらClassic Team Lotusのトランポがすっごく立派になってる!! 
と思いきや、その脇に何やら見慣れぬクルマが……。


このフォード・ギャラクシーを見てピーンと来た人。
貴方はかなりのロータス通です。

では、B-Rev藤原さんに解説していただきましょう!

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このギャラクシーは、1965年のインディ500優勝にちなんで
フォードがチャップマンに送った車そのもの。だから右ハンドル!
当時、家族でのお出かけに良く使っていたそうで、
クライブによると、一度走行中にいきなり後方ドアが開き、
落ちそうになったこともある! そうです。
また、へイゼルも気に入ってよく使っていたとか。
 
コーリンはよくチェスハントとノーホークの間をこれで往復したそうで、
会社の首脳陣や取引先の人を乗せ走行中に会議をしていたみたいだとのこと。
 
家族の思い出が一杯詰まった車をレストアして今も使っている
あたり、やはりイギリス人ですね。
これが彼の子供たちに引き継がれていくんですね。きっと!

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いやぁ良い話!
他の話題に混ぜて紹介すると埋もれそうでもったいないので
敢えて単独で紹介させていただきました。
(Lotus Festival at Snettertonの話はまた後日)

ロータス・マニアなら、これだけで
ご飯を何杯でも食べられそうな話題でした(笑)。

ではでは。







2011.06.28 Tuesday

マイナーF1グランプリ



 
Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



先日、このモータープレスでもお届けした
イタリア・モンザ・サーキットで開催された
ヒストリックカーレースMonza Coppa Intereuropa 2011

その写真を大量に収めたDVDが英国特派員B-Rev藤原さんから届きました。
さっそく、エリオ・デ・アンジェリス没後25周年(もうそんなになるのか!)
のメモリアル・デモランの模様は、Classic Team Lotus Japan
公式HPにアップしたのですが、
その他にDVDには僕の脳髄を刺激する画像が……。

それはFIA HISTORIC FORMULA ONEに出場しているマイナーなF1たち。
なんといってもその筆頭は……


我らがClassic Team Lotusからエントリーしているロータス76/1。
その昔、あのTHE LOTUS BOOKの著者でもあり、Coterie Pressの社主でもある
ウィリアム・テイラーが所有していた時期もあった気がするのですが、
今はボーモンド・アンドリューがドライブし、HFOに参戦しています。

特徴的なリアの2枚刃ウイングは、ロンドンホテルでのプレゼンテーション仕様と
同じですが、もうひとつの特徴であるオートマティック・クラッチと4ペダルは
残念ながら外されてしまっているそう。ま、そんなもんが今も付いていたら
こうして走る姿は拝めなかったと思いますが。

しかし、この76くらいで驚いていちゃいけない。まだ序の口。


お次はコレ。マーチ701。マックス・モズレーとアラン・リースと
グラハム・コーカーとロビン・ハードという4人(今となってはスゴいメンバー)
が寄り集まって作り上げたコンストラクター、マーチのF1処女作。

開発にはピーター・ライトも加わって、特徴的な翌断面形状の
サイドポンツーンをデザインしたのですが、
これがのちにロータスで78として花咲くことになるのです。

このクルマはアンティーク・オートモービル(シェルがスポンサー)が
モナコGPから走らせたロニー・ピーターソン(仕様?)車。
確かこの年はティレルも701を前半戦で走らせていたから、
都合6台のマーチがF1を走っていたりしました。
(その辺の経緯を書くと長くなるので省略)

ーク・オートモービル
おおー。これはエマーソン・フィッティパルディが
1978年シーズンにドライブしたコパスカーF5Aではありませんか! 
ロータスからラルフ・ベラミーを引き抜いてなんとなくロータス78みたいな
マシーンを作ってみたものの、実はサイドポンツーンが
グラウンドエフェクト機能をもっていないという、なんともトホホな1台。

でもエマーソンはこのF5Aで、地元ブラジルGP2位、
ドイツ&オーストリアGP4位、オランダ&アメリカGP5位など、
意外な好走をみせ、ノンチャンピオンシップの
ブランズハッチでも2位に食い込んでみせたのでした。

F1史というマクロでみると、なんともなクルマなのだけれど、
コパスカー&フィッティパルディというミクロな視点で
見ると傑作車という不思議な1台。


さぁ、段々ディープな世界に入ってきました。これは1979年のシャドウDN9B。
前年アローズFA1にまんまとコピーされ訴訟でバタバタしつつも、
そこそこ走ったDN9を無理矢理ウイングカーに仕立て直したという、
マイナーF1にありがちな悲しい経緯で生まれたマシーン。

この年からシャドウに加入したヤン・ラマースの持ち込みスポンサーである、
サムソン・シャグというタバコメーカーのライオンマークを
マシーン全体に描いたことが数少ない話題だったということからも、
その残念加減が伺えるというもの。

そんなシャドウがこの年唯一光ったレースが、最終戦のアメリカ東GP。
このレースで望外とも言える4位を獲得したのが、セカンドドライバーとして
この年からF1デビューを果たしたエリオ・デ・アンジェリスなのでありました。


じゃあこれはどうだ! 1982年型アロウズA4。1980年から81年にかけて使われた
A3をベースにデイブ・ワォスがデザインしたマシーンで、ブライアン・ヘントン、
マルク・スレール、そしてマウロ・バルディという、これまたクルマに負けず劣らず
地味なメンバーがドライブ。最高位はスレールの5位が1回というものながら、
実は現代のHFOでは、これが意外と速かったりする。

しかしながら、個人的にRAGNOカラーのアロウズで思い出すのは
1981年のベルギー・ゾルダーでのスタートシーン。
マシーンは前年モデルのA3。



パトレーゼ車に突っ込んだジーク・フリート・スレールの落ち込みようは
半端ありませんが、この敷かれたメカニック氏は無事だったそうです。

もう、こんな古いエピソード知ってる人はいないですかねぇ。

えー今日は元気なのでまだまだ続きます。


はい、これはなんでしょう。
香港の富豪、テディ・イップ率いるセオドールレーシングが1978年に持ち込んだ
その名もセオドールTR1。まるでF1には見えないアピアランスですが
それもそのはず、なんとF2/F3マシーンとして生まれた
ラルトRT1(これは傑作)をロン・トーラナック御大自ら
(本当に手を下したのはレン・ベイリーだったはず)が改造して
F1に仕立ててしまったというシロモノなんです。

当然成績にはまったく見るべき物がなかったのでありますが、
これを当時ドライブしていたのは、なんとあの82年のF1王者、
ケケ・ロズベルグなのでありましたとさ。

※下記コメント欄で田中むねよし先生からのご指摘通り
南アGPの後に開催されたノンタイトルレース、
インターナショナル・トロフィー(シルバーストーン)で、
ケケはこのTR1で奇跡の優勝を飾っているのでした。
世界中のTR1ファンの皆さんごめんなさい。

でもよくこんな駄作マイナーF1が残ってましたね。
いや、こんなクルマでもちゃんと残るのが、F1というものなのかも。


そして個人的にジュワ〜っと来たのがこのクルマ。1983年型オゼッラFA1D。
そもそも1980年にデビューしたオゼッラFA1を生み出したひとりが、
あのストラトスや、フェラーリF40の設計技師であった
ニコラ・マテラッティ御大(へぇ〜)。

そのFA1をコツコツネチネチと改良し続け(お金がないだけ)、
1983年からはじまったフラットボトム規定に合わせたのが、このFA1D。
ちなみにその改良作業を任されたのが、
若き日のトニー・サウスゲート率いる
オートレーシング・テクノロジーでありました。

前年不幸なカナダGPでの事故で、リカルド・パレッティを失い、
エースだったジャン・ピエール・ジャリエにも逃げられてしまったオゼッラが
1983年に招聘したのは、ピエルカルロ・ギンザーニとコラード・ファビ。
(テオ・ファビの弟って、いまやテオ・ファビ知らないか!)

オゼッラ・ティームはシーズン途中にアルファV12エンジンの獲得に成功し
改良型のFA1Eを投入するものの、ご想像通りさしたる結果を残すことなく
テールエンダーとして、この年のシーズンを締めくくるのでした。



2011.06.27 Monday

野口祐子 From Italy―あのトリノ自動車博物館はいま!

 


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



以前、この野口祐子コラムでお伝えしたトリノ自動車博物館
たしか、祐子さんが取材したプレス向けお披露目会では、
オープン間近だというのに、展示の大半が着工中で
果たしてどうなることか……といった感じでありました。

あれから数ヶ月。いまトリノ自動車博物館はどうなっているのか?
ミラノ在住のジャーナリスト、野口祐子さんによる突撃レポートです。
(※小さい写真はすべてポップアップします)
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トリノの自動車博物館に舞い戻りました。

前回はオープニング前だったので、まるで舞台裏を見るような内覧会。
はて、約3ケ月たってどんな状況になっているか……

それが一言でいうと……”面白い”。
以前のレポートでお伝えしたように、ここには自動車の文化がある。
自動車単体として見たのではなく、自動車が人々の生活の中で
どんな役目を果たしていたかが語られている……。
だから私たちは、ここで車と社会生活から”時代”を感じることができる。
すると車の世界に奥行き、膨らみが出て来る。



トリノ・オリンピックの突貫工事のように、この博物館も
最後の数日で綺麗に仕上がったらしい。
ほんとにイタリアという国の瞬発力は素晴らしい。
いつも……どういうわけか……出来てしまうのである。


さすがトリノの映画博物館の装飾を指揮したFrancois Confino。
この自動車博物館の方も映画のシーンがよく使われていた。
考えてみると、人々の暮らしに欠かせなくなった自動車は映画の上でも
欠かせない存在になっていたのだ。兎に角、この空間に居るだけで楽しくなる!
車という物体が、昔は人々の暮らしの中でどのよう存在だったのか。
常に脇役でありながら、無くてはならない脇役車なのである。


以前の自動車博物館は1年のうち3000人以上のの入場者は数回しかなかったそうだ。
どころがこの新しい博物館になってからは、週末だと1日3000人を軽く超えるとのこと。
オープンして3ケ月足らずで、10万人の来場だったそうだ。


この博物館のように昔の文化が語られている場所には、子供と一緒に来場して頂きたい。
子供達の手を引いて、現在に至るまで、私たちはどういう時代を経て来たのか……
自分たちが住む“今の点”は、決して今築きあげてきたものではない
ということを体験させて頂きたい。
過去の上に今があり、そしてこれから将来に向かって行かなければならないのだから。 


さて、ここに紹介するのは、イタリア、もしくはイタリアの自動車文化の中で活躍した
12人のデザイナーの展示。この中の人、全員知っている方は、かなりのイタリア通。

以下はデザイナーの名前と、各氏が選んだ
”羨望ー私がプロジェクトしたかった車” です。


Aldo Brovarone シトロエンDS19 1955

Leonardo Fioravanti シトロエンDS19 1955

Giorgetto Giugiaro シトロエンDS19 1955

Flavio Manzoni ランチア・ストラトス・ゼロ 1970

Michael Robinson ランチア・ストラトス・ゼロ 1970

Andrea Zagato チシタリア202 1947
        フェラーリ166MM ZAGATO PANORAMICA 1948

Tom Tjaarda ランボルギーニ・ミウラ 1966

Fabrizio Giugiaro シトロエンDS19カブリオレ 1960

Paolo Pininfarina ランチア・アウレリアB24 1950

Marcello Gandini シトロエンDS19 1955

Walter Maria de Silva シトロエンDS19 1955

Chris Bangle BMW5シリーズ 

半分の6人のデザイナーの方がシトロエンDSを選んだ……
ちょっと思いつかなかった返答なので驚きました。
このブログを読んでいる方は車関係の方が多いかと思いますが、
この結果どう思われますか? 是非、教えてください!

また下記のように、それぞれのデザイナーに
以下のような質問が投げかけられていました。
画像と大きくして是非、見てください。思いもよらぬ答えが面白いです!

*La mia fonte di SPIRAZIONE
 私のイスピレーションは何処から?

*L'auto del mio ESORDIO
 私の初めての車は?

*Il mio maggior SUCCESSO
 私の最高に成功した車は?

*iNVIDA L'auto che avrei voluto progettare
 羨望 私がプロジェクトしたかった車は?

*L'INVENZIONE piu geniale della storia
 発明 歴史の中でもっとも天才的なー

*ll mio OMAGGIO
 私からのプレゼント


この12人の中に、かつてZAGATOの黄金時代を築いたエルコーレ・スパーダ氏 、
そして現在のZAGATOのチーフデザイナーの原田氏がいないのが
残念でならないのは、私だけ?


若しもイタリアに出張、バカンスに行かれる方は、
是非、このトリノ博物館に足を運んでください。
普段の生活とは全く異なる空間です。
また、この中に入っているBAR,レストラン、とても美味しいですよ!

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トリノ自動車博物館
URL:http://www.museoauto.it/home/
***************


では。







2011.06.26 Sunday

1920年代の巴里/アール・デコと自動車の時代

 



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極個人的な自動車偏愛日記



昨日はお昼から電車に乗って六本木へ。
国際文化会館で行われたCCCJ(Clasic Car Club of Japan)の定例会である
CCCJサロンにお邪魔してきました。

今回のお題は「1920年代の巴里/アール・デコと自動車の時代」。
講演をされたのは、かつてカー・マガジン誌で連載「オートモビリア・ファイル」を
10年あまりにわたって担当させていただいた、名古屋の自動車雑学殿堂
「ガレリア・アミカ」の主、岡田邦雄さん。


昨年10月平凡社から、氏の脳内宇宙のほんの一遍だけを取り出した著作
「ル・コルビュジエの愛したクルマ」が出版され、話題を呼んだのは
記憶に新しいところですが、今回はそこに書かれていた1920年代の
アール・デコと自動車との関係性を、改めて多くの画像や動画、そして
岡田さんの言葉により、より幅広く、より深く紐解いていくという、
いわば、「ル・コルビュジエの愛したクルマ」の補習というべき講演会でした。

用意されていた3時間という時間が、あっという間に感じられるほどの濃い内容。
当時の芸術、建築、思想、風俗がいかに自動車と密接にリンクしていたかを
改めて知るとともに、実はそれって今もまったく変わりがない
(あまり自覚はありませんが)ということを思い知らされた3時間でありました。

講演後は、CCCJのメンバーの皆さんとお話しさせていただいたほか、
久しぶりに小林彰太郎さんとも長い時間お話し(かつてのS600欧州冒険旅行の
エピソードは面白かったです!)させていただいたりして
色々勉強、刺激になりました。


こういう自動車アカデミックな週末も良いものですね。

ではでは。









2011.06.24 Friday

Javel ― Citroën




Motor Press
(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



いよいよ梅雨明けか? と思わせるようなギンギンな太陽が照りつけてますね。
皆さん、熱射病、熱中症には十分お気をつけ下さい。

さて、そんなわけでイマイチ集中力が上がらないので
今日はこんなネタを。

この仕事をしていて思うのは、どんなに美辞麗句を考え抜いて書き散らしても
迫力のある1枚の写真の前では到底太刀打ちできないということ。
そんな僕のお気に入りのひとつがこれ。


DSの生産が最盛期を迎えたジャベル工場を写したシトロエンの広報写真。
色とりどりのDS、活気のある工場、奥に見えるHトラックの群れ。
……この写真だけは、1日中飽きずにずっと見ていられます(笑)。

そういえば、このカットを見開きに大きく使ったメインカットから始まる
一大シトロエン特集を組もう! なんて思っていた時期もあったっけ……。

ま、そんなたわいもないことを思いながら、1枚の写真をニタニタ眺めるのも
クルマ好きにとっては至高のひとときかと。

さて来週は、イタリアの野口祐子さんから送られてきた
その後のトリノ自動車博物館のお話をお送りします。

ではでは。


2011.06.23 Thursday

ESSO RACING TEAM STORY 第30回

 


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極個人的な自動車偏愛日記



―― ESSO RACING TEAM STORYは、1970年台の初頭に
東京・青山の片隅で、真剣にF1を夢見て集まった若者たちの情熱の物語です。



【幻のアウグスタMk2 つづき

昨日お届けしたアウグスタMk2のお話。
色々反響をいただきありがとうございます。

そんな中、情報を提供していただいたN-Z Racing Sports Club
染谷代表から、アウグスタMk2のノーズに搭載されていた
燃料タンクの写真が送られてきました。


昨日ご紹介した、戸張号の写真にもありましたが
ノーズの形に合わせた特徴的なスタイルのタンクになっています。


リアから。


これは裏面。

AUTO SPORT (三栄書房刊)より

当時のAS誌に載っていたアウグスタMk2の透視図を見ると、その構造が良くわかります。
ノーズに搭載した燃料タンクの安全性はもちろんですが、
こんな部分にレース中に内容量が変わってしまう燃料タンクを積んで
操縦性が変わってしまったりはしなかったのでしょうか?
(つづく)

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【イベントのお知らせ】

このモータープレスでもお馴染み、テクニカルイラストレーターの大御所
大内誠さんが中心となって、10月8日(土曜日)千葉県茂原ツインサーキットで
『リバイバル・モータリング・ジャパン in 茂原』というイベントが開催されます。

これは今から30数年前に、筑波サーキットで開催された 
「クラシックカー・フェスティバル」に倣った新しいヒストリックカーイベントで
本格的なレース形式ではなく、車格にもこだわらない
「誰でも気楽に、楽し く参加できるイベントを再現したい」という主旨のもと
開催されるものです。
詳細は上記のインフォメーション、もしくは公式ブログをご参照になってください。











2011.06.22 Wednesday

ESSO RACING TEAM STORY 第29回

 

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極個人的な自動車偏愛日記



―― ESSO RACING TEAM STORYは、1970年台の初頭に
東京・青山の片隅で、真剣にF1を夢見て集まった若者たちの情熱の物語です。



【幻のアウグスタMk2

今回のESSO RACING TEAM STORYは、ちょっと時計の針を前に戻して
ESSO設立以前のRQ(レーシング・クォータリー)時代のお話をお届けしましょう。

先々週のこと。今年1月にお台場で行われたJCCAニューイヤーミーティングで
N-Z Racing Sports Clubの染谷代表から
「いまならアウグスタMk2のフレームがあるけれど見に来ませんか?」
というお誘いを頂いたのです。

そこで対面したのがコレ。


染谷さんによると、その昔埼玉県のお寺! に
長らく保管されていたものを譲ってもらったものなのだそう。
この後愛知のオーナーの方に引き取られレストアが行われる予定だそうです。


角型のパイプで組まれたシャシーは、のちのMk3と比べても比較的シンプルな構成。


このフロントに、燃料タンクが取り付けられていたのですが(下写真参照)、
染谷さんによると、どうやら燃料タンク自体が、
カウルのステーの役目も果たしていたようです。



また、ちょっと頼りないロールバーは、一体ではなく
頭頂部中央でパイプを溶接&整形した跡が見受けられました。

そして、このフレームの写真を見たBob日高さんから、以下のような
メールをいただきました。

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アウグスタの個体が生息しているんですね。
レストアが済んだら実車を見たいものです。
 
1967年、船橋サーキットで開催された「RQCミニカー・トライアル」に始まって、
FL500が消滅した70 年代終わり迄に登場した全てのFL360とFL500を一同に揃えたら、
当時のコンストラクター達が如何に情熱に燃えてマシンを製作していたかが判る筈です。
「何も知らない」「何も解らない」「何も無い」
「大体、フォーミュラなんか見た事も無い」……当時の人達は皆
"無いものづくし” でフォーミュラカーを造り始めたんです。
 
渋谷のRQガレージで、解良さんがアウグスタのフレームを組んでいる
光景を今でもはっきり覚えています。
既に遠藤さんはRQを辞めて、新しいメカニック(お名前を失念)が
解良さんの助手を務めていました。
当時の ”常識” とは、「シームレス丸型断面鋼管」を低温蝋付け溶接して
スペースフレームを組み上げる事でした。
"チャンネル(角型断面鋼管)"は、故・鴻池さんが先鞭を切って
FL500に採用したのではなかったでしょうか。

薄らいだ記憶の中では、1969年か1970年の「鈴鹿シルバーカップ」
第1戦に登場したマシンがそうだったと思います。
在りし日の鴻池さんが、それは目を輝かせて(確か彼は河内弁を話していました)
「エェ車やろ」と自慢げに話していました。
チャンネルは丸型鋼管と比較すると溶接加工が容易な反面、
強度が落ちるの欠点がありました。
そこで、アルミパネルをチャンネルにリベットで固定して
ストレスを分散する手法が採られました。
やがて、アルミ・ツイン・モノコックが主流に成る迄の過渡期、
チャンネルとアルミ・スキンの組み合わせが盛んに採用されました。
 
渋谷のRQガレージで戸張君のアグスタが完成した時、
解良さんが「勉強になるから一度コックピットに座ってみろよ」と誘って下さいました。
アウグスタの左側から、先ず右足をコックピットの中に入れ、
次いで左足を床から持ち上げた途端、”ゴトン”と云う鈍い音がしたんです。
すると「ダメダァァァ!!! ノーズが地面にクッツィチャッタ」と解良さんの叫び声が。
戸張君の体重は確か60kg以下、それに対し当時の私の体重は100kgを超えていたんです。
その時、私はフォーミュラカーに乗る事を永久に諦めました。

以後、私は自分のローラT89/50、ローラT90/50、レイナード90D、
ラルトRT34、ダラーラ389の何れにも、唯の一度もコックピットに
座る事は在りませんでした。
但し、私の会社の税理士さんが購入したレイナード913
(ex ジル・ド・フェラン/1991年ブリティッシュF3チャンプカー)
のコックピットには、何度か座りました。
現在67kgに迄体重が減った私なら、アウグスタMk2にも乗れるかも知れません。
 
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戸張さんが1971年シーズンに乗ったアウグスタMk2の製作過程の裏側には
そんな裏話があったのですね。それにしても、日高さんの記憶力には驚かされるばかり。

残念ながら、当時のアウグスタにはフレームナンバーやシャシープレートの類いはなく
今残るクルマが、ex戸張車なのか? ex高原敬武車なのか? 
それとも鮒子田さんや、米山さんがドライブしたex RQワークスカーなのか
それとも、また別の個体なのかは判然としません。

ただ、染谷さんの証言では、引き上げてきたときのカウルのカラーが
赤ではなくオレンジ色だったとのことですから、
1971年のオートスポーツ・トロフィ第5戦で風戸裕もドライブした
ex RQワークスカーである可能性もあると思います。


いずれにしろ、このアウグスタMk2が復活し、Mk3ともども
我々の目の前に再び姿を見せてくれることを願わずにはいられません。
染谷さん、貴重な物をみせていただき、ありがとうございました。

次回のESSO RACING TEAM STORYは、このMk2でフォーミュラ・デビューを
果たした、あの大物レーサーにご登場いただく予定です。
(つづく)





2011.06.21 Tuesday

Monza Coppa Intereuropa 2011

 

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昨日、ちょっと写真をお見せしましたが、さる6月3日から5日にかけて
イタリア・モンザ・サーキットで開催されていたヒストリックレース
Monza Coppa Intereuropa 2011の模様が、英国特派員B-Rev藤原さんから届きました。

59回目を迎えるという、この老舗イベント。
レースカテゴリーは戦前車から、葉巻型フォーミュラ、スポーツプロト、
ツーリングカーなどなど、あらゆるジャンルを網羅。


やはり地元だけあってイタリア車のエントリーが多いようですが
ツーリングカーレースではこんなシーンも。
コーティナを追うGTAだなんて、まるで往時のETCのワンシーンみたい。


そんなMonza Coppa Intereuropa 2011に、我らが
Classic Team Lotusも参加。
エキシビジョンでは、レストア成ったばかりのロータス81を
あのベッペ・ガビアーニ(昔全日本F2にも来ました!)が、
ロータス91をエマニュエル・ピッロがドライブ!


大失敗に終わったタイプ80の後を受け、79を焼き直す! という
安易かつ不幸な経緯で生まれたタイプ81。
そのあんまりな出来映えにさすがのマリオ・アンドレッティもやる気をなくした
1台でありましたが、今改めてみるとエセックスカラーともども、ちょっとカッコイイ。
最近ミニチャンプスからミニカーも出ましたしね。ブームが来るかも? ですね。


ちなみに左がベッペ・ガビアーニ。右がエマニュエル・ピッロ。
ガビアーニは1979年にF2で、ピッロは1988〜89年にF3000&GCで
レースをしているので日本でもお馴染み(のはず)。

ガビアーニはサーティースやオゼッラでF1にも出た事のあるドライバーですが
日本では、和田孝夫のマルティニに乗り上げて和田さんに瀕死の重傷を負わせた
悪名高きドライバーとしての方が、有名かもしれません。

いずれにしろこの人選、渋すぎる。
あ、二人の後ろで渋い顔をしているのは、CTL代表のクライブ・チャプマンです。


さて、今回のMonza Coppa Intereuropa 2011には、ヒストリックF1のレースである
FIA Historic Formula Oneがプログラムに組み込まれていたのですが、
このモンザ・ラウンドの主役となったのが、このダン・コリンズとタイプ91。

なぜ、コリンズが今回の主役だったのかというと……。


なんとプラクティスで、このようなクラッシュ!
もちろんダン自身は無事だったものの、哀れタイプ91はこんな姿になってしまいました。


しかしそこはCTL ワークスパワー! 脚まわりを潰したくらいで
レースを諦めたりはしません。
ということで91はたった一晩で、ものの見事に復活したのでした。


そして迎えた決勝レース。
ウエットとなったレースにも関わらず、ダンはスリックを選択。
スタートこそホイールスピンが多く出遅れたものの、そこから怒濤の追い上げを開始。


結局、レース途中でスピンアウトして6位に終わりましたが、
スリックながらファステストラップを記録。その走りに会場は多いに沸きました。


またCTLからはダンのほかに、ボーモント・アンドリューがタイプ76/1で参戦。
こちらは後方からのスタートながら、堅実な走りを見せ5位入賞を果たしました。


もちろん、リアは2枚ウイング!
ただフットペダルは悪名高い4ペダルではなく、通常の3ペダルだそうです。

ではでは!


※ お知らせ
微力ながらお手伝いをさせていただいている、埼玉県八潮市の輸入中古車専門店
プラネックスカーズ(只今ロータス88Bの実車展示中です)のホームページが
リニューアルいたしました。全日本F3選手権に参戦する山内英輝選手のレポートの
ほか、ヒストリックカーから最新の1台まで、様々なクルマの情報発信もしていく
予定です。もちろん最適なアシグルマをお探しの方も是非アクセスしてみてください。



2011.06.20 Monday

解良さんのMONZAの記憶

 

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先日以来、モータープレスで盛り上がりを見せているモンザ・サーキット。
前回お届けしたバンクの裏側に引き続き、英国のB-Rev藤原さんから
先日行われたFIA Historic Formula Oneの写真の第一弾が届きました。


本国のClassic Team Lotusからは、タイプ76とタイプ91の2台が参戦。


しかもレースウィーク中には、あのエマニュエル・ピッロが
タイプ91に乗ってデモランをしたそうです。

さて、そんなモンザ情報に沸くモータープレスに
あの解良喜久雄さんから、こんなメールがありました。

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藤原さん

モンザで思い出しましたが
1975年にマキF1のお手伝いで行った際に
(当時のドライバーはトニー・トリマー)
私の車バンプラに乗って三村、小野、イアンとで行きました。
その予選前日の豪雨でイアン(マキと彼の関係は不明)に車を貸したところ
トンネル下を通過の際、溜まった水の中を勢い良く通過した際に
エンジンブロックが割れました。
モンザでエンジンを下ろしたあと、近くの解体屋を探しましたが
エンジンのスペアが無くて断念、アホのイアンとバンプラを置いて
列車でUKに帰った事が思いだされました。
ちなみにマキは予選落ちでした。

解良

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当然、当時の様子を伝えるAUTO SPORT誌にもそんなことは書いてありません。

AUTO SPORT 1975 11-15 三栄書房 刊 より

というか、個人的にカー・マガジンでかつて連載した
”失われた時を求めて”で、マキF1を取り上げた時に、色々ナカジー氏とともに
調べた記憶があるのですが、解良さんが助っ人に行っていたという事実は
知りませんでした。

モンザって、皆さんそれぞれに色んな想い出のあるサーキットなのですね。

ではでは。





2011.06.18 Saturday

MONZAのバンク

 



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昨日は早朝からQED JAPANのケン鈴木とともになぜか鈴鹿へ。
が、子供から伝染った風邪が悪さして、なんと声が出なくなるハプニング
(よくあるんです、これ)。
すいません、モータープレスも1回休みました。

本当なら、今日も悪いオジさまたち(?)に連れられ
某所の秘境を訪ねる予定だったのですが、こんな体調なのでリタイア。
だって明日は父親参観ですから。これ行かないと裏の竹林に埋められてしまうので……。

そんな折、某コミュニケーションサイトにあった
lotus49fordさんの書き込みで、あの映画GRAND PRIXがDVD化されたのを
知りました(拍手ーーーー!)。

なんでもブルーレイ対応のソフトだそうで、電機業界の魂胆に
地団駄を踏む思いでございますが、何はともあれ目出たい。
見ていない人は必見です。1960年代のGPシーンにトリップできます。

この映画のハイライトはなんといっても冒頭のモナコと
最後のモンザのシーン。



今は亡きモンザのバンクの様子が残った映像は貴重です。
そんな折、先日モンザで行われたFIA HISTORIC FORMULA ONEを
取材した英国B-Rexの藤原さんからこんなタイムリーな写真が。


現在のモンザのバンク。
完全に閉鎖され、いまはモニュメントとして残っているのみ。
ただ、富士のように公園のような整備のされ方をしていないのに
却って好感をもつのは僕だけでしょうか?


バンクの裏側ってこうなっていたのですね。


このバンクから飛び出して
イヴ・モンタンは絶命しちゃうんですよ。嗚呼。


ほら、ちょっとGRAND PRIX、見たくなりませんか?
週末のお供に是非。

ではでは。






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