2011.12.28 Wednesday

ところで今月号のENGINEの表紙、気づきました?

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



おはようございます。
さて皆さん、生沢さんが表紙を飾った今月号のENGINE誌、御覧になりました?


書店でも白い表紙に赤いジャケットと、なんともおめでたい絵柄で目立っていましたねぇ。ところで皆さん、件のヴィンテージクラブのジャケット以外に
何かお気づきになった点がありませんでしたか??

それは(本文では特に触れられていませんでしたが)、表紙に写った2台の964タルガ。
特に右側のメタリックグレーのタルガに注目していただきたい!


よーく見るとタルガの特徴であるロールバーの部分が、ナロー時代のように
メタル地に剥かれ、磨かれているのです。
実はこれ、生沢さんのアイディアにより仕立てられたとっておきの1台なのですが
これだけでガラっとクルマの雰囲気が変わって、すごくクラシカルに見えるのですよ。

正直に告白すると、それまで964のタルガっていまいちピーンとこない部分もあった
(タルガオーナーの皆さんすいません)のですが、実際に実車を見ると
964買うならタルガでしょ! と簡単に前言を覆すほど魅力的。
このタルガ、確か内装もグレーだったと記憶しているのですが、
これをティプトロで涼しい顔をしながら、サラっと乗ってみせるのは
相当お洒落じゃないかと、そう思うわけです。
(964のロールバーの塗装を剥がすモディファイが流行ったりして:笑)



また誌面には、このモータープレスでも掲載した
ナローレーシングもちょろっと紹介されているなど
近年の生沢さんの911遍歴がひととおり網羅されていました。

個人的に、これまでカー・マガジン&レンシュポルト誌の取材を通じて
その全貌を見てきたつもりではありましたが、改めて(客観的に)振り返ると新鮮。

それまでポルシェを“スポーツするための道具、移動する手段”としてしか
見ていなかった生沢さんが、911にそれ以上の“何か”を見いだした……という物語、
どこかクルマ好きの琴線に触れる部分がありますよね。

……これ以上書くとネタばれになりそうなのでこの辺で(笑)。


そんな生沢さんの記事の余韻を残しつつ、
今度はポルシェの広報誌”CHRISTOPHORUS”の話題。
最新号である353号(2011年12月/2012年1月号)のトピックは
早くも登場の911(991)カブリオレのインプレッションなのですが
その中にひとつ面白い記事を見つけました。


それがコレ、”アルプスの王者”という記事。
あのモンテ4勝のラリースト、ワルター・ロールが
新型911でモンテのコースを走るというものなのですが、
その中に描かれたロールの911評に目が止まりました。
いわく……

『……スポーツ性と実用性が両立している点にこそポルシェの強みがあるのです。
   (中略)スタッドレスタイヤを装着していても、荷物を満載していてもその乗り心地に
    変化はありません。サーキット走行を楽しんだ後にそのままパン屋に行けますし、
 そのためにわざわざ座席位置をずらす必要もありませんからね』

これって、長年の取材で生沢さんがすっと言い続けていた911の魅力と
ピッタリと一致する意見なのですよ。
確かに世に溢れるスポーツカーの中で、一般的に相反する
この2つの要素を高度にこなすスポーツカーって911以外にないですからね
(ロータス派にしてみれば、それが911の“可愛げのない”部分でもあるのだけれど:笑)。

そんなロールの記事の中でもうひとつ印象に残ったフレーズが。

『ハンドブレーキがないのが非常に残念です。私にとっては不可欠なデバイスなのですが
 若いエンジニアたちは考え方が違うようですね』

言われるまで気づかなかったけれど、この一言には納得(笑)。



あ、そうそう。ひとつ宣伝。
実は今月号からGENROQ誌(三栄書房刊)の連載、
“Gallery of Vintage"を担当させていただいてます。

花岡弘明先生(写真)、川上完さん(執筆)という2人の巨匠に囲まれて
仕事をさせていただく機会なんて中々ないだけに、実に新鮮。
毎回、いろいろ勉強させていただいております。

また、題材もこれまで苦手意識の強かった戦前車ということもあって
こっちの方も、勉強、勉強の日々。
ぜひ、御覧ください。

……ということで、個人的な仕事納めはちょっと先ですが、
今年のモータープレスは今日でおしまい。
いろいろあった1年でしたが、皆さん(ほぼ)毎日の駄文に
お付き合いいただきましてありがとうございました。
そして、貴重な情報の数々をお寄せくださった皆さん、
本当にありがとうございました。

来年も引き続き、極個人的な自動車偏愛日記は続けていく予定でおります。
皆様どうぞ、よいお年をお迎えください。

ではでは。


2011.12.27 Tuesday

LOTUS 23B - PORSCHE !?

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記




今日のモータープレスも引き続き、ロータスタレコミ情報です(笑)。
情報をお送りくださったのは、なんとポルシェ ジャパン広報の木内さん。

なんでも、先日ドイツ出張に出かけた際に
ポルシェ・ミュージアムを訪れたら
(な、なんと展示車に935/78”モビーディック”が加わったらしい、見たいっ〜!)
こんなモノを見つけたのだそうです。

photo:Yoji Kiuchi

「ミュージアムショップでこんなミニカーを見つけました。 
 こんなクルマあったんですね

とは木内さん。
どうやらスパーク製の1/43スケールのミニカーのようですが
台座をよーっく見ると、ロータス23ポルシェと書いてある。

ロータス・ポルシェ???

すいません、恥ずかしながらそのようなクルマの存在、知りませんでした。


そこで、ロータス23研究のバイブルといってもいい
Graham Capel著の『Lotus History 1962-1966』を引っ張りだしてみました。

この本、数年前にイギリスに行ったときにシルバーストーンの本屋さんで見つけ
思わず買ってきたものなのですが、当時の記事を挿入しながら、
ロータス23にまつわるストーリーを網羅した良書。
巻末には、全ロータス23/23Bのシャシーナンバー一覧まで載っています。
(しかし、あのピーター・ウォーの23のシャシーナンバーは分からず)


そんな23専門書だけあって、件のロータス23ポルシェの詳細もちゃんと載っておりました。

この謎のロータス-ポルシェのオーナーは、1973年にシャドウからF1に参戦した
経験も持つ、アメリカ人レーサーのジョージ・フォルマー。

まず彼は1963年にエンジンレスの状態で、ロータス23Bを購入。
シボレー・コルベア(!)の空冷6気筒ユニットを搭載してレースに出場しますが
思ったようなパワーを得られず、このプロジェクトを断念します。

その後1964年末になってフォルマーは中古の23Bを購入。
今度はポルシェ904の空冷4気筒ユニットを積む事を画策します。
それを受けメカニックのブルース・バーネスはエンジンベイのフレームを
拡張するなどの大手術を施し、904のエンジンをマウント。
フォルマーは、このロータス・ポルシェを駆って1965年の
USRRC(United States Road Racing Championship)に参戦します。

当時USRRCは、2リッター以上のクラスと、2リッター以下の2クラスによって
争われていたのですが、その開幕戦となったペンサコーラでフォルマーは
シャパラル2AやローラT70といった面々を尻目に、
アンダー2リッターのクラスながら、堂々の総合優勝を果たします。

以降も、2リッター以下クラスでは無敵に近い強さを誇り
シーズン6勝を挙げチャンピオンを獲得。
しかも、2リッター以上&以下、両クラスのチャンピオンのうち
獲得ポイントの多い方が総合王者という、当時のUSRRCのレギュレーションに則り
なんとフォルマーがジム・ホールを2点差で抑え、総合王者の栄誉にも輝くのです。


ということで、このロータス-ポルシェ。
僕が知らなかったというだけで、実は相当有名な個体なのでありました。

余談ながらこのクルマ、そのノーズエンブレムは
ロータスのバッヂの上にポルシェのクレストを被せたものが付いていたそうです。
(なかなか洒落てますな)

木内さん、報告は以上ですっ!

ではでは。


2011.12.26 Monday

英国のエラン・フリークからのお手紙

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記




先日、英国から写真とともに
こんなメールがモータープレス宛に送られてきました。

差出人は、ネルソン文さん。まずはそのメール(一部抜粋)から。


こんにちは。はじめまして。
いつもブログを楽しく拝見しておりますネルソンと申します。
モータープレスのファンです。
 
夫が英国人でlotus anorak。現在、写真のようにELAN SPRINTを
数年がかりでレストア中です。間もなく完成予定で
5月のキャッスルクームでの走行を準備中です。
 
昨日ご掲載されていた浮谷さんの26Rも以前夫の命令?により
トヨタミュージアムまで撮影に出かけました。
結婚するまで車にほとんど興味がな勝った私ですが、
相方にトレーニングされた影響でLOTUSはステキだなと思うようになりました。
 
今年もあと残りわずか。
どうぞ素敵なクリスマスとよいお年をお迎えください。

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いやぁ、まさかイギリスからメールを頂くとは!
本当にありがとうございます。

anorak って、日本語訳するとオタクって感じでしょうか(笑)。

しかしながらこのガレージ、まさに“理想的”!
やはり俄仕立ての我が家とは違い、実際に“使っている”ガレージは
その雰囲気というか、説得力が違うのですよ。

しかもこのスプリント、程度もオリジナリティもかなり高そう。
ところで気になるのは写真右上に写っているエラン1600。
そこでネルソンさんに再びメールを送ってみたらこんなお返事が。

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お気きかと存じますが、写真の上部の黄色のシャシーはtype26なんです。 
スプリント完成の暁には、これが次のおもちゃというか、
本人いわくフルサイズのモデルカーなんだそうです。
それで浮谷様の26Rがとても参考になりまして、いろいろ調べているうちに
藤原様のブログを見つけ、以来ずっと拝見しております。

一つ一つパーツを探したり、作ったり、
まるで車のレストアは子供を育てるようです。
また、26Rの情報がございましたら、ブログや雑誌でご紹介くださいませ。
心待ちにしております。

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S4スプリントを完成させたら、次は1600だなんて、なんて贅沢な!
さすがは本場。個人的には、かつてのコーギーのミニカーを彷彿とさせる
イエローにグリーンストライプのカラーリングも新鮮。

このクルマのために浮谷号の資料を探していた……との事でしたから
オリジナル志向のS4スプリントとは違い
26Rスペックに仕上げられていくのでしょうか?
いずれにしろ完成が楽しみです!

それにしても、車のレストアは子供を育てるよう……って良い表現ですね!!

そして、文さんのご主人である、Mr.John Nelsonが手がけておられる
S4スプリントのレストア前の写真も送っていただきました。


パッと見、レストア前の状態もそんなに悪くは見えませんが
内装も全部剥いで、レストアが行われたようです。

それにしてもガレージの前にもこんなにスペースがあるなんて羨ましいなぁ。


そしてこれは、途中経過の写真。
完全なシャシーアップレストア! ですが、コレ全てセルフで行われたのでしょうか?

また、ボディの赤/白スプリントカラーに合わせて、フレームも赤っていうのも新鮮。
そういえば、東次郎の26R/27もフレームの塗色は赤でしたね。

ということで、ジョンさん、文さん
クルマが完成した暁……などといわず、なにか進展があったら
随時ご報告ください! よろしくおねがいしますね。

ではでは。


2011.12.24 Saturday

Merry Christmas !

 

Motor Press(モータープレス)
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こんにちは。
さすがは師走! ということで
このモータープレスのアップも滞り気味になっております。

そして気づけば、もうクリスマス・イブ。
エンスー諸氏の皆さんはサンタさんにどんな願い事をされたのでしょうか?
良い子にはきっと良いプレゼントがあるはずです。

枕元には何時もより大きな靴下をぶら下げて寝る事にしましょう(笑)。


で、子供に指摘されてはじめて
我が家の3台が、何ともおめでたい
クリスマス・カラーだったことに気づきました(笑)。

来週からは、もうちょっと真面目にアップします。
良いクリスマスを!

ではでは。


2011.12.22 Thursday

生沢徹 ENGINE誌に登場!

 

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こんばんは。
やっと鹿児島遠征から戻って参りました。
結局むこうからアップする機会がほとんどなく、音信不通となり申し訳ありません。

そんな帰京直後、生沢さんからこんな画像とともにメールが。
 12月24日(土)発売、次号「ENGINE」は、ポルシェ特集号です。
 ポルシェと言えば、もう、それは「生沢 徹」。
 生沢が表紙になります。

 生沢 徹

ということで、以前にも撮影風景をご紹介したとおり
24日のENGINE最新号の表紙(とインタビュー)に生沢さんが登場します。


ちなみにこの表紙で生沢さんが着ている赤いジャケット。
先日、お会いしたVANショップ多治見の橘さんによると

「これはヴィンテージクラブのエンブレム刺繍じゃないだろうか。
 画像が小さくて細部まで確認できませんが、
 ブガッティ タイプ30をモチーフにしたワッペンです。
 伝説の赤ブレザーです。
  当時の浅岡さんや、式場さん、生沢さんも、ミッキーカーチスさん、
 石津裕介さん、杉江さん、三保さん。
 1964年頃だろうか。確認はしていないけど、VAN JACKET製だと思います。
 デザインは当時、くろすとしゆきさんが発案したと思います」

とのこと。
あー、ヴィンテージクラブといえば、その昔のメンズクラブか何かに
載っていた記事を、生沢さんから見せていただいた記憶がありますが
そういう由緒正しい物を着ての撮影だったのですね。はい。
(そもそもウン十年前の服をそのまま着られるってこと自体もスゴいですが)

なにはともあれ、詳しくは書店で手に取って(もち買って)ご確認ください。

ではでは。


2011.12.19 Monday

1963 Indy 500 Pace Car

 

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こんばんは。
先週ちょろっとお知らせしましたが、
日曜から今週いっぱいの予定で、僕は鹿児島に来ております。

鹿児島といえば……。

そう、羽仁コレクションですね。
日本有数のヒストリックコレクションは
あの故 五十嵐平逹先生も驚嘆したという、世界屈指のコレクションのひとつ。
特に戦前〜戦後期にかけてのアメリカ車のコレクションは
まさに世界遺産級であります。

そんな羽仁コレクションでの成果は、来年以降のGENROQ誌の連載
Gallery of Vintage でご確認いただきたいのですが
日頃、アメ車&戦前車には縁が無い僕も、あの規模にはビックリ。
その中でも個人的に、まずピーンと来たのがコレ。


羽仁さんのコレクションのうちの1台、
ハニ バイエルン本社に展示されている1963年クライスラー300コンバーティブル。
な、なんと、この年のインディ500マイルレースのオフィシャルペースカーなのであります。


何年か前のグッドウッド・リバイバルでクライスラー300がフィーチャーされたことが
ありましたが、インディ500のペースカーは別格。
コンディションの良さもさることながら、この何ともいえない
ブルーのカラーリングがお洒落。

そんな1963年のインディ500といえばやっぱり……。

© Ford Motor Company



Team Lotus でしょう!

1963年といえばレン・テリーがロータス25 F1をベースに設計したミドシップマシーン、
ロータス29を擁してTeam Lotusが、インディ500マイルレースに初参戦した
記念すべき年でもあります。

このレースで、初めてインディに参戦したジム・クラークは
パーネリ・ジョーンズに破れ、僅差の2位(いろんな妨害もありましたが)に
終わったものの、大きなインパクトをインディアナポリスに残したのでした。

© Ford Motor Company

そーんなTeam Lotus の記念すべきレースに関連したクルマに出会えるなんて、ちょっと感激。
というわけで、残念ながら何をどう取材しているのか詳細をお伝えできませんが、
(ペースカーの取材をしているわけじゃないですよ)
興奮と感動に包まれながら、鹿児島での日々は続いております。

ではでは、でごわす。




2011.12.16 Friday

カーグラに載っちゃった!

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



今月は、モーターショーがあったり最初の週末にMEGA WEBフェスタがあったり
なんだかんだドタバタしていたこともあって、書店になかなか行けずにおりました。


で、昨日。ちょっと外出したついでに近所の書店に寄って
遅ればせながら、今月号のCAR GRAPHICを買ってきました。

カーグラに限らず、今月はどこの雑誌も新型911フィーバーに沸いておりますが
個人的に911の記事はさることながら、ズキーンと心を射抜かれた記事がコレ。


な、なんと10月に袖ヶ浦フォレストレースウェイで行われた
ホンダ ツイン カム クラブの35周年記念イベントの記事に、うちのエスロク君の勇姿が
載っていたのであります(号泣)。

先日、生まれて初めて記事を書かせていただいたばかりではありましたが、
今度は愛車で走る姿(これ中々貴重)まで載せていただけるなんて。
この世界にいながらにして初めて、本に写真が載る嬉しさを実感しました(笑)。
沼田さん、大谷さん、ありがとうございます。

……そういえば、某誌からこのイベントに行く前に、「取材してきて」って
頼まれたけれど、結局すっぽかされちゃったな。ま、いいけど。
でもHTCCの皆さんすいません。あ、まだ会費払ってないし……。


一方、これまた先日行われたJAPAN LOTUS DAYの記事でも
我らがロータス88Bの写真をメインカットに使っていただいちゃったりして。
(しかもThe Garage Pressの扉にも使ってもらってる!)
これまたありがとうございます。


そしてさらに個人的な興味を引いたのが、編集部の早田さん(お元気ですか?)による
ドン・ニコルズのインタビュー記事。
いやーあのドン・ニコに逢いにいったとは! さすが早田さん。
この続編は非常に楽しみにあります。


閑話休題。
突然? ですが、実は日曜日から写真家の花岡弘明先生とともに
鹿児島に行って参ります(勘の鋭い方はどこへ行くかおわかりでしょう)。
ということで、来週のモータープレスはちょっと不定期なアップになるかも?

いずれにしろ、そんな鹿児島紀行の模様もお届けしたいと思っておりますので
どうぞよろしくおねがいします。

ではでは。


2011.12.15 Thursday

YOKOHAMA Y-415 & BRIDGESTONE R-1!

 

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極個人的な自動車偏愛日記


早速ですが昨日の続きです。
先日大久保力さんのお宅で譲っていただいた年代物の2本のレーシングタイヤ。
その素性をご存知の方……と、このブログで呼びかけさせていただいたところ、
たった1日でものすごい展開となったのです。今日はそのご報告。


最初に情報を寄せてくださったのは、ヴィンテージタイヤの輸入販売などでも有名な
福岡のタイヤ専門店、村上タイヤのオーナー、村上浩一さん。

「さて  " Y-415 " というのが、このタイヤの名称なのでしょうか?  と
 ブログに書いてありました。そうですヨコハマは伝統的に(ヨコハマの)Yと
 その後に3桁の数字を表記しています。現行の商品ラインナップの中にも
 Y828やY356などの名称のタイヤがあります」

とのこと。なるほど、僕の読みは正しかったのですね(笑)。
村上さん、ありがとうございます。

……すると間髪入れずに、レーシングオンなどでお馴染み
株式会社イデアの長谷川俊也さんから、こんな貴重な資料が送られてきました。


「昔のレース用品のことを調べていたら、何かのはずみで
 藤原さんのサイトのタイヤが引っかかりました。
 添付写真の出展は、自動車技術1966年6月号です(コメント一部抜粋)」

おおー、さすがプロ。長谷川さんありがとうございます。
この自動車技術の写真を見て一目瞭然、大久保邸にあったヨコハマのタイヤは
1966年頃に製造されたY-415ということになりますね!

つまりヨコハマにとっても初期のレーシングタイヤということに!
いやぁそんな貴重な物だとは思わなかった。


さらに長谷川さんからは、もうひとつのブリヂストン製タイヤについての情報も!


「こっちは、オートテクニックの1970年12月臨時増刊 ”日本のグランプリレース”より。
 吉田正司さんの執筆企画。サイズ的に表1の第2回日本GP頃のタイヤでしょうか?
 でも大久保さんのBSタイヤだと何のレースでしょうかね

確かに。元BSのレーシングタイヤ開発エンジニアである吉田さんの記事中の図版を見ると
ウチにあるタイヤは、1964年から65年にかけて製造されたR-1/R-2とパターンが
すっごく良く似ている。なかなか昔の国産レーシングタイヤに関する記事というのは
少ないだけに、貴重な資料を見せていただき感謝です!
長谷川さん、ぜひ記事にしてください。現物お貸しします(笑)。

……が、ここで終わらないのが今日のモータープレス。
実は昨日の記事のことを、フェイスブック(FB)上にもアップしたのですが
僕の元上司である業界の大先輩、山本亨さんがFBを通じて
吉田さん本人に直接確認してくださったのですっ!!
以下、その証言。

吉田さんからです。
 → これはブリヂストンが1963年からレースタイヤを開発の参画してから
 開発したスクウェアーショルダータイプのR1と言うタイヤで
 このときにラウンドタイプのR2と言うタイヤも同時に発表しています、
 年代は1964年です。大久保力さん、田中八郎さんが開発ドライバーとして
 手助けしてくれたものです。
 ですって、サスガだね、吉田さん。藤原さん、実物持って吉田さんを訪ねてみれば?

これはスゴい!!
まさにBSのレーシングタイヤの祖といえるモノじゃないですか!
その開発を大久保さんがされていたのですね。
いやぁ、たった1日でここまで詳細が明かになるとは思いませんでした。
山本さん、吉田さんありがとうございます。

……と、いうことは……


1965年の船橋CCCレースで、浮谷東次郎の26R/27が履いていたタイヤと
同タイプのモノということになるかも!

この26R/27、今はダンロップレーシングを履いていますが、
CCCの当時はBS製のタイヤを履いていたはず。
確かこの浮谷&26Rの勝利が、BSのレーシングタイヤの初勝利だったと
BSの社史みたいな資料(昔、某編集部の書庫で見た気がする)を見て
記憶しているのですが(違いましたっけ?)。

いずれにしろ、なんか「繋がった!」って思いませんか?
続編はまたいずれ。

ではでは。





2011.12.14 Wednesday

BS & YOKOHAMA Racing Tires!

 

Motor Press(モータープレス)
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昨日のモータープレス。
我が家のガレージの大掃除のネタのあとに、
生沢さんのガレージのネタが続くとは、なんとも皮肉な巡り合わせでしたが、
今日はそんな我が家のガレージに眠っているお宝(?)の話題。

といっても昔からあるものではなく
先日、大久保力さんからお譲りいただいた歴史遺産。


なんだか分かります? 
実はこれ、年代物の未使用(!)のレーシングタイヤなのです。
(もちろん賞味期限はとっくに過ぎていますが)


最初にご紹介するのはこれ。
ヨコハマタイヤ製のレーシングタイヤで、サイズは5.00-5.60/13。
おそらく1970年代初頭のGT&ツーリングカー用だと思うのですが……。


特徴的なトレッドパターン。

「当時はまだトレッドパターンの如何でグリップが増すと思われていた時代でね
 ゴムのコンパウンドで変わるということに気がつくのは、もう少し後になってから」

とは大久保さんのお話。
なんでも当時ヨコハマの開発の手伝いをしていた関係で
このタイヤが手元にあったらしいのです。


確かにサイドレターのロゴも旧い書体です。
ただ、資料がほとんどなくて一体何年頃のモノなのか
判別できないのですよ。


" Y-415 " というのが、このタイヤの名称なのでしょうか?
どなたか詳しい方、教えてください。




一方コチラは、ブリヂストン製のレーシングタイヤ。
サイズは4.50L-13。
さきほど紹介したヨコハマのよりもナローなサイズです。


ちょっとダンロップレーシングっぽいパターンのタイヤですが
当時のBS製レーシングタイヤといえば、”RA100“ が有名ですよね。
ところが、昔のオートスポーツなんかをひっくり返しても、
なかなかタイヤにスポットを当てた記事が見当たらないので、いまいち確証がないのですが。


いずれにしろ、BEIDGESTONEのロゴも旧いタイプなので
年代物であることに間違いはないと思います。
左にある、TS64 1 という刻印が、なにかのヒントになりますかねぇ?


ほかにもRACINGと書かれているだけで、名称みたいなものは書かれていないのですよ。
そんな当時のレーシングタイヤについて、お馴染みBob日高さんが、
こんなコメントを寄せてくださいました。
一部抜粋してご紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
リキさんが藤原さんにプレゼントして下さった70年代の
BSとヨコハマのレーシングタイヤは、性能が向上し品質も安定した優秀な製品でした。
高価なGYとファイアストンを買う必要が無くなった頃です。
 
70年代BSレーシングタイヤの成功は、
BS小平研究所の吉田さん/志村さん/黒澤元治選手三人の功績が
大きかったのではないでしょうか。
RA100は吉田さんが開発したBSレーシングだったと思います。
BS/RA100は安価で性能が良かったので、とても好評でした。

1973年、BSはGCに参戦する6台
(黒澤元治、高原敬武、風戸 裕、高橋晴邦、生澤 徹、酒井正)にスポンサーしましたね。
その他にも、全てのカテゴリーのトップ選手をスポンサードしました。
ダンロップもBSに負けじと、有力選手をサポートしました。
1973年は、実に面白いシーズンでした。
そんな中で、ヨコハマの存在はBS vs ダンロップの影に埋没していました。
 
70年代、ヨコハマで陣頭指揮を執った方のお名前を覚えていません。
その後「アドバン」成功に尽力された水野さんは、
当時スタッフの一員としてレース部門に携わって居られたと思います。
70年代、ヨコハマ製レーシングタイヤの性能は決して感心できる物では在りませんでした。
タレが早く、また硬いストラクチャーにも問題が在りました。
然も、BSの様にレースタイヤ専用の生産ラインが無かった為に、
時にはプライベート用タイヤの供給に支障が在った様です。

そんな中でも「東京日仏自動車」(生田社長/西尾CM)の
ヨコハマ・ユーザーは健闘していました。
谷口芳浩(240Z/エンジンは日産ワークス)と
大塚光博(Z432/240Z/セドリック・ストッカー)は頑張っていました。

私の“レースの師匠”の一人「佐藤全弘」さんは、
『ヨコハマを履いたが為にホンダのオーディションの落ちた。』と悔いていました。
亡くなる迄、其れを言い続けていました。
S6/ワールド・ホンダ/ヨコハマで挑んだ、鈴鹿のオーディションに落選したんです。
1965年か1966年の大昔の話です。
ヨコハマを履いているドライバー達に、『ヨコハマは止めろ、止めろ、』と
事ある度に言い続けていました。

ヨコハマの成功は、日本よりもアメリカやイギリスの
ライベート・レーサーの功績に拠るのではないでしょうか。
特に、アメリカ西海岸では、ヨコハマは早くから高く評価されていました。

日高

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ということで、この2本のタイヤについて何かご存知の方が
いらっしゃいましたら是非教えてください。

2011.12.13 Tuesday

ENGINE × TETSU IKUZAWA

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



先日、このモータープレスで "Tetsu Ikuzawa Special Night" の模様を
お届け(大反響ありがとうございました)しましたが、その生沢さんから
4枚の写真を添付したメールが送られてきました。

そこに写っていたものとは……


世田谷某所にある生沢邸の前の人垣。


なにやら何かのロケをしている様子……。


よーっく見ると、ガレージの中に何やら見慣れた人影が。


おおー! 往時のファンには涙モノの赤いブレザーを着てポーズをとる生沢さん。
その横に佇むのは、普段のアシにしようと仕上げ中の964タルガじゃないですか。
そしてメールにはこんな文面が。

「本日、24日発売の ”ENGINE” の取材がありました。
 この写真は、表紙用の撮影です。
    次号は、ポルシェ特集号です。
 鈴木さん、最後の表紙インタビュー

そう、鈴木正文 前編集長が在籍する最後の号となる次号のENGINE誌
表紙&インタビューに生沢さんが登場する事になったのだそうです。

しかし、そんな記念すべき号ということで、とっておきの964(しかも2台!)と
赤ブレザーで登場だなんて、粋なことされますねぇ、相変わらず。
果たして、生沢×鈴木対談で何が語られたか……については
今月24日発売のENGINE誌で御覧ください。

ちなみに、生沢邸に2ヶ所あるガレージのうち
こちらのガレージが誌面に出るのはかなりレアだったりもします。
そういう意味でも生沢ファンは買いですね(笑)!

ではでは。

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