2012.03.29 Thursday

11年ぶりのヨーロッパ

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


昨日の事、ある取材で久々にロケに行ってきました。
この日のお題は……


ロータス・ヨーロッパ・スペシャル。
1973年末にロールアウトした、1974年モデルの北米仕様で、
おそらく北米仕様としては日本でも(いや世界でも)屈指のオリジナリティを誇る個体。

ビニールレザーとファブリックのコンビネーションのシートも
トリムもステアリングもラジオもオリジナルのまま。
残念ながら、現状のエンジンルームはマフラーを前オーナーが交換した際に
ヒートパイプなどの補器類が外されてしまっていますが
通常なら捨てられてしまうそれらのパーツを、現オーナーは必死に確保。
今年中に完全オリジナル北米仕様に初期化するのだそうです。

……と書いてお気付きのとおり、このクルマのキャブレターはゼニス・ストロンバーグ。
なんでもウェーバーヘッドに交換されがちなロータスTCですが
実は完調なストロンの実力は侮れないんですよ……。

……と、熱く書いてしまったのは、
実はこの個体そのものに出会うのが、実に11年ぶりだったから。

当時、某誌の取材で修善寺のサイクルスポーツセンターに持ち込み
ドライブさせていただいたのですが、
そのオリジナリティの高さ、そしてシフトフィールを含めた乗り易さ等々
それまでのヨーロッパ感を一気に覆してくれた1台でした。

あれから11年……。
オドメーターに刻まれた総走行距離はわずか2万kmあまり。
フロントこそ交換したものの、リアのショックは未だにアームストロング製
というこのヨーロッパは、驚くほど当時のままの「良さ」を残していました。

たまにこういうクルマに出会うと興奮しますね。
コンディションを維持するために最低限乗りながら保存につとめるという
現オーナーの見識の深さに頭が下がる想いです。


ダッシュボードの中に、まだこんなコーションステッカーが残ってるくらいだもの!

いやぁ、良い1日だった。
でも突然の雨でちょっと濡らしてしまってゴメンね、ヨーロッパ。

ではでは。

2012.03.27 Tuesday

幻の1964年 館林ドラッグレースの動画!

 


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さて、ノバ01の興奮も醒めやらぬ今日この頃ですが、
フェイスブックから、これまた耳寄りな情報が寄せられました。

情報の主は、以前にも貴重な川口のストックカーレースの動画
アップしてくださったnosさん。
今回もまたまた貴重な動画をYou Tubeにアップしたというので見てみたらビックリ。



な、なんと、1964年11月22日に群馬の館林飛行場で開催された
伝説の0-400mドラッグレース、第1回JMSA(CDCJ?)ドラッグレースの動画なのです!

まだパーマネントサーキットも鈴鹿にしかなく、
レースイベントが少なかった時代に行われたこのドラッグレース。
しかしながら、当時を知る資料があまりなく(少なくともボクは持っていません)
詳細が分からないのが、悲しいところ。

レース自体はプリンスの横山達が16秒10を記録し
式場壮吉のポルシェ904を破って優勝したとのことですが……。

いずれにしろ、この映像は川口のストックカーレースの映像と並んで
もはや日本モータースポーツ界にとって国宝級の資料であることに
間違いありません!
S600(500?)やコンテッサ900、スカイラインなどの
国産勢に混じって、ミニ・クーパーやコーティナ・ロータス
そしてアバルト・モノミッレなどの外車勢が参加しているのも
しっかりと記録されていますからね。

いやーそれにしてもスゴい。
nosさん前回にひきつづき、またまたありがとうございました!

ではでは。
2012.03.26 Monday

伝説のFJ1300、ノバ01は蘇るか?

 

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こんばんは。
皆さん某オークションサイトにかつてESSO RACING TEAMから
1973年のFJ1300シリーズに参戦していたノバ01が出品されていたのをご存知でしたか?
 
実は先日、このコメント欄にchroさんから書き込みをいただき(多謝!)
かなり本気で落札すべく、設計者の解良喜久雄さんや、デザイナーの由良拓也さんなど
”ホンモノ”の方々を巻き込んで、静かに深〜く盛り上がっていたのでした。

まぁ、来年でノバ01誕生40周年ですし、来月にはESSO RACING TEAMの面々が集まる
プライベートな同窓会も開かれることになってますし、
これも何かの縁とばかり、連日解良さんとの間で(結構マジな)
レストア計画まで検討していたりしました(笑)。

photo:尾崎郁夫

しかし結論から言うと、ボク個人の資金力の限界であえなく敗退(泣)。

でも、ホンのちょっとだけ良い夢を見させていただきました。
(個人的には、すべて当時のスタッフの手でレストアする
 プロジェクトをしてみたかった!)

ただ、今回の調査で分かったこともいくつかありました。
そのひとつがウインドスクリーン。
出品されていた個体(元日産A12搭載車だとか※)のフロントスクリーンは
この写真の時のような2分割(由良さんいわく、コンコルドデザインと呼ぶのだそう)では
なく一体型になっていたのですが、由良さんによると一体型は後期の生産型に使用された
ものなのだそうです。

また解良さんの見立てによると、リアフレームなどは現在搭載されていた
スバルの水平対向エンジンを載せるために、一部改造されていたようですが
アップライトなどはオリジナルのまま残っているようだ、とのこと。

いずれにしろ、日本のコンストラクター自製のフォーミュラとしては
極初期の作品のひとつで、おそらくノバ01の現存は1台のみでしょうから、
新オーナーの元でしっかりと考証されたのちに、復活するといいな!
と、個人的に思っております。

※73年のESSO時代は綱島チューンのトヨタ3Kユニットですが、その後74年シーズンに 
ノバ(ESSO)から出場したクルマは日産A12に載せ換えられて参戦。
さらにノバの2台以外にも、柳田春人さんがA12を搭載したシャシーを1台購入しています。
その後、ノバワークスの1台は無限MF318を搭載し、スポーツカーノーズになったり
色々改造されていくので、おそらくオリジナルESSOの1台か、もしくは柳田ノバか?
と思うのですが……。

あ、ちなみに、かつて船橋サーキットが輸入したロータス22
(現在は第4回日本GPにハセー・ボブがエントリーした時のままの仕様)も
某オークションサイトで売りに出ていますよね。
欲しいなぁ(涙)。

その前にESSOの物語も纏めないとね! 

ではでは。
2012.03.23 Friday

R.I.P. Alan Mann―フォードの名将、アラン・マン逝去

 

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イギリスから、悲しいニュースが飛び込んできました。
特徴的な赤とゴールドの2トーンカラーに彩ったレースカーで
1960年代のツーリングカーレース、スポーツカーレースを沸かせた
プライベーターの雄であるアラン・マン・レーシングのボス、
アラン・マンが、さる3月21日に75歳で亡くなったそうです。

1966年のシーブリング12時間 グラハム・ヒルと話すアラン・マン © Ford Motor Company

1950年代から60年代にかけ、アマチュアレーサーとして、自らもステアリングを
握っていたアラン・マンに転機が訪れたのは、1962年のこと。
サウスコースト・フォードのディーラー権を取得した彼は、商売を軌道に乗せると、
ジミー・ブルマーに自らのガレージのコーティナを託しレース活動を開始します。

そして、1964年にアラン・マン・レーシングを設立。
この年のモンテカルロ・ラリーで、彼らのファルコンが
ミニに次ぐ2位に入ったことが評価され、フォードが本格的な支援を開始。
いわばサテライト・ティームとしての活動がはじまります。

そこからの活躍は皆さんご存知のとおり。

© Ford Motor Company

1965年には有名なコーティナ・ロータスを駆った
サー・ジョン・ウィットモアやジャック・シアーズらの手で、
ヨーロッパ・サルーンカー・チャンピオンシップのタイトルを獲得。

© Ford Motor Company

1966年にはツーリングカーでの活躍が評価され、GT40での活動も託されます。
この年のル・マンでは、このゼッケン8(XGT-1)にウィットモアとフランク・ガードナーが、
ゼッケン7(XGT-2)にヒルとブライアン・ミューアが乗り込み
フォードによるル・マン完全制覇計画の一翼を担いました。

© Ford Motor Company

その後、1967年に再びツーリングカーに活動の場を移していたアラン・マンは
翌68年、英国フォード主導によるスポーツカー計画のマネージメントを任される事となり
世界一美しいプロトタイプ、P68(F3L)とともに、スポーツカー選手権に復帰します。

しかし、コスワースDFVを搭載したレン・ベイリー設計のマシーンは
クルマ自体の問題に加え、ドライバーにラインナップされていたジム・クラークの死、
そしてニュルブルクリンクでのクリス・アーウィンの悲劇的な事故など不運に見舞われ、
実力を発揮しないまま、表舞台から姿を消す事となります。


ボクがそんなアラン・マンの姿を見かけたのは、2006年のル・マン・クラシックでのこと。
フォードGT40優勝40周年を記念して、サルト・サーキットに集まった
GT40のレジェンドとともに、楽しげに記者会見に応じる姿でした(左から3人目)。

しかし、スタートの時刻が迫っていたために、このワンカットを撮ったあと
ボクはそそくさとコースへ……。今思えば、録音テープをプレスルームに置き去りに
してでも、この時のインタビューを残しておくべきでした……。

© Ford Motor Company

またこの世から、偉大なレジェンドが一人いなくなってしまいました。
ご冥福をお祈りします。




2012.03.22 Thursday

タイヤ交換と、不毛な妄想と。

 

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お陰さまで、日本のみならず海外とも頻繁にやりとりがあるのは
非常に良い事なんですが、ということは時差に関係なく24時間いつでも
連絡が入るってことなんですよね(涙)。
そろそろ自分が2人欲しくなってきました(笑)。


さて、そんな先日のこと。
新聞に混じって、近所のオートバックスから決算処分大セールのチラシが入ってきました。
見ると、我らがミニ太君御用達のオートバックス・オリジナルブランド・タイヤの
マッククラン(145/70R12)が、な、なんと4本セットで8800円って書いてある!

しかも数量限定無し。

タイヤ交換してから5年(!)。フロントはスリップラインが出ているどころか
すでにカットスリック状態だし、リアはスリップラインどころか
サイドショルダーがヒビ割れだらけだし……ということで交換を決意。

工賃処理代入れても1万5000円ほどで交換できました。安い! エラい!
いやぁ、最近ハイオクが高いのがタマにキズだけれど、経済的ですよ、ミニ太君。


Photo:Kozo Fujiwara(B-Rev)

そーんなミニ太君を見直しつつも、最近はオリジナル・ミニ
(つまりMk1とかMk2とか)のMTを手に入れて、自分好みにイジって遊びたいななんて
良からぬ虫が騒ぎ始めたり。あははは。
(なんかカッコいいミニ欲しいって1年に2回くらい発症します)

ま、妄想するのはタダですからね(笑)。
そんな事をニヤニヤ考えながら、1日かけてエスロク君と
ミニ太君とスバゾール君の3台の洗車を成し遂げたのでした。疲れた!

ではでは。

2012.03.20 Tuesday

サイドウェイ袖ヶ浦ラウンドに集ったクルマたち

 
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今日は、先日袖ヶ浦フォレストレースウェイで行われた
袖ヶ浦ラウンドに終結した21台のマシーンをすべてご紹介。
(もし写っていない方がいらっしゃったら、ゴメンナサイ)

それぞれの写真はクリックするとポップアップします。
ごゆっくり御覧ください(笑)。













手抜きでスイマセン(画像処理で疲れちゃった)。
たまにはこんなんも良いでしょ?

ではでは。

2012.03.19 Monday

2012サイドウェイ・トロフィー at 袖ヶ浦フォレストレースウェイ

 

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生みの向こうオーストラリアではF1の開幕戦が行われておりましたが、
ここ日本でも生憎のお天気ながら、千葉県の袖ヶ浦フォレストレースウェイを舞台に
今年のサイドウェイ・トロフィーの開幕戦が開催されました。


英国グッドウッド・リバイバルに範を倣い、1950〜60年代のヨーロッパレースシーンを
モチーフとしたヒストリックカーレースとして、定着したこのイベント。
海外のヒストリックカーレースの定番といえる、バイアスのダンロップレーシングの
装着を義務づける国内唯一のレースでもあります。



またこのサイドウェイといえば、
参加者も当時のコスチュームに“コスプレ”することを
強く推奨されるイベントとしても有名。
でもエントラントも率先してそうした雰囲気作りをするのって重要です。
本家グッドウッドもそうした遊び心が寄り集まって、
ああいう雰囲気が作られているのですから。


さて今回のサイドウェイは、スポーツカークラスのEVERGREEN CUPと
サルーンカークラスのTINTOP CUP、合わせて23台がエントリー。

この日は朝から生憎の空模様で、予選はウェット、決勝は雨こそ降っていないものの
乾ききらずのセミウエットという微妙なコンディション。
そんなこともあって、FF勢に有利に働いたようですね。




決勝は大きなトラブルもなく無事終了。
エラン、ミニ、ビッグヒーリーによる上位3台(ミニはTINTOP CUPです!)の
クリーンながら迫力のあるバトルは中々。

元々雰囲気が英国風のサーキットですし、コース幅もあるし
レイアウトも距離もヒストリックカーにはちょうど良いしと、
サイドウェイの舞台として袖ヶ浦フォレストは最適かもしれませんね。


ということで、参加された皆さん、お疲れさまでした!
エコスカーズの金子さん曰く、秋には袖ヶ浦で
ヒストリック2&4のイベントも計画しているのだとか?? 楽しみですな。


そんな会場で見つけたカルトカー(残念ながら決勝出走せず)。
ご存知ですか? トルネード・タリスマンといいます。
トルネードは1957年に設立されたバックヤードビルダーのひとつで
このタリスマンは、1962年発表の2+2 GT。
スティール製のチューブラーシャシーに、FRP製のボディを組み合わせていて
エンジンはウェーバー40DCOEを2基組み合わせ85bhpにチューンした
1.5リッターのフォード105E OHVが標準なのだそう。その生産台数は186台と言われています。


いやー世の中にはまだまだ知らないクルマがいるんだなぁ〜と
勉強になった1日でもございました。

ではでは。

2012.03.18 Sunday

ラジオ石巻での、イタリアの巨匠たちのメッセージの放送時間。

 

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12日からご紹介しているラジオ石巻に届けられた
イタリア自動車界の巨匠たちからの
「3.11」に想いを込めたメッセージですが、
ラジオ石巻での放送時間が下記のとおり決定したそうです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

野口さんやフェラーリCEOはじめ、
各メッセンジャーからの紹介について来週3月19日(月)から、
日本時間の16:00〜16:10の間で、数日間かけて放送したいと思います。
大きな余震や突発的なゲストが無い限り、優先してお預かりした文書を
紹介させていただきたいと思います。


以上、取り急ぎご報告まで

ラジオ石巻 今野雅彦より




2012.03.16 Friday

3.11 石巻へ 〜 イタリアの巨匠からのメッセージ その4

 

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再びラジオ石巻に届けられたイタリア自動車界の巨匠たちからの
「3.11」に想いを込めたメッセージをご紹介します。

Sandro Munari
サンドロ・ムナーリ/ラリードライバー


昨年日本を襲った震災のニュースは、世界中の人々へも深い悲しみとともに広がりました。
我々の運命は神の手に委ねられています。しかし今回の災害が引き起こした大惨事は、
単に運命だけでは語れません。人間の側にも責任がありました。
地震のニュースを知ったとき、私はすぐに日本にいる友人たちのことを考えました。
メールを送って彼らの安否を確かめたところ、幸いなことに皆無事でした。
私は被災地の様子をテレビで目にしました。
大切な人を失った人々、苦労して築き上げてきたものを全て失ってしまった
人々の悲痛な姿がまだ私の頭から離れません。
その中で私が感銘を受けたのは、誰一人として困難に挫けず、
強い決意と意志をもってこれに立ち向かう姿です。
日本のみなさんはこれまでと同様、
他の国には見られない並外れた意志の強さを示されました。

私はこの11月に日本に行く予定ですが、
この機会に地震で亡くなった方々に哀悼の意を表し、
この凄まじい大惨事を耐え忍んだ日本のみなさんに賞賛の意を表したいと思っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
サンドロ・ムナーリ  プロフィール
1940年3月27日ヴェネド地方出身、ストラトスと共に活躍したラリードライバー。1966年にランチアティームからWRC出場、翌1967年にはランチア・フルヴィアでイタリア・ラリー選手権を制覇する。1972年にはモンテカルロラリーで初優勝し、同年のタルガ・フィオリオでもフェラー リ312PBを操り見事優勝。ストラトスに関しては開発当初から開発ドライバーを務め、ストラトスを万能のラリーカーに育て上げた。1974年から1976年までランチアのWRC3連覇に大きく貢献し、1974年、1975年、1976年 のモンテカルトラリー、ハッタトリックの偉業を成し遂げた。しかし1978年ストラトスのワークス活動停止を機に第一線から退いた。




Arturo Merzario
アルトゥーロ・メルザリオ/F1ドライバー

3月11日は私にとっても大切な日です。
実は、私は69年前のこの日、3月11日に生まれたのです。
そして私は今年、ドライバー歴50周年を迎えます。
私の日本への思い出は1976年に遡ります。
その時私は初めて日本を訪れ、富士スピードウェイでウルフ(ウィリアムズ)
のマシンを操縦しました。
日本滞在中、私は東京、京都、大阪など、たくさんの街を訪れました。
日本のみなさんが大変礼儀正しく、几帳面であったことを今もよく覚えています。
地震と津波が起こった3月11日は、日本のみなさんにとって
深い悲しみの日となってしまいました。
この日、多くの方々が被災されたことを思うと、とても心が痛みます。
震災にあわれた方々に、早くもとの生活が戻りますよう、心からお祈りいたします。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アルトゥーロ・メルザリオ  プロフィール
1943年生まれのレーシングドライバー。1960年頃からレース活動をはじめ1967年からはアバルトのワークスドライバーとして活躍。そして1970年からその才能が認められフェラーリ・ワークスに加入する。そして1972年にはフェラーリからF1デビューするも、マシンの不調に苦しみ(最高位4位)、73年いっぱいでチームを離脱。ウィリアムズ、フィッティパルディなどの弱小チームを渡り歩いた後、1977年に自身のF1チームを設立した。現在もヒストリックカーレースに出場するなど、現役を貫いている愛すべきレース人。
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