2012.05.31 Thursday

ロータス79/5&インタープロトに桑島正美登場!

 


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


すでにフェイスブックで公言されているように
来年から始まる関谷正徳さんの主催するワンメイクレース
インタープロト・シリーズに、あの“黒い稲妻” 桑島正美さんが
ドライバーとしての参加を予定されています。

そして、昨日行われたインタープロトのテストに桑島さんが駆けつける! 
という話をヴィンテージジャガー専門店ジャガリアの後藤さんから聞きつけ、
早速出かけて参りました。


見てください、この豪華な2ショット!
お二人によると、年齢では関谷さんがひとつ上なのだそうですが、
レース歴は桑島さんの方が先輩なのだそう。
いずれにしろ、こういった日本レース界のレジェンドが再び僕らの前で
“レースをする姿”を見せてくれるというのは素晴らしい限り。


で、この日は単なる下見で、走行の予定はなかった桑島さんだったのですが
周りからの薦めで、関谷さんの助手席で急遽同乗走行をすることに。

「その昔、鈴木誠一さんに同乗させてもらって教えて貰ったことがあるけれど
 あの時は本当にビビったね(笑)。でもお陰でさらに速く走れるようになったんだ」
と、昔の想い出を語りながら、“Kuruma"の助手席に乗り込む桑島さん。

「いやー昔と違って今のタイヤのグリップやブレーキはスゴいね。1コーナーで
 どこまで行くつもりなんだろ! って思わず右足でブレーキ踏もうとしたもん(笑)」
とは、走行後の桑島さんのコメント。今度は是非、桑島さん自身が
走る姿を見てみたいですね! そんな情報もまたお送りしたいと思っています。


さて、昨日の富士では午後の走行枠の中で、日本に唯一存在するタイプ79である
ロータス79(シャシーナンバー79/5:ML23)のシェイクダウンも行われ
オーナー氏のご好意で立ち会わせていただきました。

この79/5は、ニューカーであるロータス80が熟成されるまでの
「繋ぎ」としてティーム・ロータスが1979年に新たに製作した”最後の79”で
当初から79年仕様のBスペックで製作されているのが特徴。
79年の第3戦南アフリカGPから実戦投入され、マリオ・アンドレッティのレースカー
として活動するも旧態化は隠せず、79/5としての最高位は
南アフリカとロングビーチでの4位入賞に留まりました。



ちなみに、ティーム・ロータスはJPSのスポンサードを受けてから
マシーンのシャシーナンバーをJPSで始まる連番にしていました。
よってロータス79も78年シーズンは、JPS19、JPS20、JPS21、JPS22と
呼ばれていたのですが、この79/5はメインスポンサーがマルティニになってから
作られた個体なので、シャシープレートの打刻はML(Martini Lotus)23となっています。

さらにリアを覗くと、79のBスペックの特徴であるアウトボード化された
リアブレーキも確認できます。


あと個人的に実車を見て知ったのは、ちょうどギアボックス上を覆う
カウルの端が、ごらんのようにアルミハニカムの断面むき出しになっている点。
おおー! オレの持ってるロータス78のカウルの破片と同じだ! なんて感動したり。


いよいよコースイン。テスターを務められたのは山中徹治さん。
この日はシェイクダウンということで、各部のチェックと作動確認がメインとなりました。
しかしながら、走るロータス79が日本に存在するなんて夢のような話。
DFVのエグゾーストノートを響かせて、思いっきり走る姿を見たいですね!!


さらに79のオーナーが所有するもう1台のロータス78も走行。
こちらのシャシーナンバーは78/3。
そう、78年のモンザでロニーがレースカーとして使用した個体なのです。
当時、ティームにあった新品パーツを使いながら修復された78/3は
長らくCTLの元でレースに使われることなく保管されてきたこともあって、
現存する78の中では最もオリジナリティの高い個体であるともいえます。
(なんとこの後、ジャガリア後藤さんがこの78でF1初体験! 羨ましかぁ)


そして昨日のベストショット。
この79&78のメンテナンスを担当しているのがノバ・エンジニアリングということで
ピットには森脇基恭さんの姿も。そこへ富士にいらしていた影山正彦さんが現れ、
御覧のような日本レース界のレジェンドによる豪華な4ショットが実現! カッコイイ!!


さらに昨日の富士にはこんな方の姿も。
皆さんご存知ですか? この方の名は圓岡興司さん。あの1967年の日本グランプリで
優勝した生沢号のカレラ6を担当した元ミツワ自動車のメカニックなのです!

そんな圓岡さんが、他ならぬ906のメンテをされていたのでパチリ。
ある意味906オーナー冥利に尽きますよねぇ。


67年当時の圓岡さんと生沢さんを収めた貴重なカラー写真がコチラ。

いやぁ、それにしても昨日は濃い1日だった……。
ではでは。


2012.05.30 Wednesday

週末の大磯でロータス78が走る!

 

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極個人的な自動車偏愛日記



おはようございます。
またまたClassic Team Lotusの藤原です(笑)。


さてすでにフェイスブックやCTLのHPでは報告されていますが
この週末、6月3日に大磯ロングビーチ駐車場で開催される
第47回SHCC大磯ジムカーナにCTL Japanが登場。
なんと先日のお台場に引き続き、ロータス78/4のデモランを行う事になりました。

その昔、大磯でワークスGr.Bのアウディ・ショートクワトロのデモランに
立ち会ったことがありますが、大磯でF1が走る姿を見るのは初めてかも!


しかもexタキ・レーシングチームのローラT70もやってくる!
ということですから、行かねばなりますまい!!
皆さん現地でお会いしましょう。

ではでは。


2012.05.29 Tuesday

40年前のFISCOのフライヤー その3

 

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まずは訂正。
昨日のMPで、ex高原ローラT280にポルシェのエンジンを積んだのは
川口吉正さん……と書きましたが、マイクロロンでお馴染み
協和興材の吉田さんから、「ローラにポルシェエンジンを積んで出場した選手は
三橋久善さん(スポンサーはサーモキング)だった記憶があります」という
情報をいただきました。

あー! と思い調べてみたら、確かに三橋さんは77年のGC第2戦に
ポルシェ911RSRのエンジン(当時のGCは、SOHCなら
3リッターまでOKという規則だったのですね)を持ち込んで出場しているのですが
その時のシャシーはマーチ74Sでした。

あれ? 確か晩年T280が愛知の鈴商さんに眠っていた時には
ポルシェのフラット6が搭載されていた痕跡がある……なんて聞いた記憶があったのですが。
どなたか詳しい方教えてください。(過去のAS誌を掘り起こす気力がありません)


さて、昨日の続き。
今日は1974年から75年にかけてのフライヤーです。


これは74年の富士GC第4戦、富士インター200マイルのフライヤー。
例の第2戦での事故のあと、第3戦は中止されたので
第4戦として用意されていたインター200マイルが実質的な第3戦として開催されたのでした。

そしてこのレースが、右回り4.3kmのショートコースを使った
初めてのGCともなりました。
特に派手なキャッチや、写真もなく、4.3kmコースで争われることのみを
告知したフライヤーはなんとも象徴的な気がします。



富士インター200マイルはデサント・シェブロンの鮒子田寛。
そして続く富士マスターズ250キロはスタンレー・マーチの高原敬武の勝利となり
迎えた最終戦、富士ビクトリー200キロのフライヤーがコレ。

長谷見、生沢、高原と3選手に絞られたチャンピオン争いがアピールされていますが
それと同じくらい(それ以上に?)に、いまや伝説となった
F1デモランの告知にスペースが割かれているのが特徴ですね。


これはその裏面。当たり前ながら皆さん若い!



そしてこれまた珍しいフライヤー。
1974年の富士ツーリストトロフィーのフライヤー。
富士TTといえば、73年にはワークス・カプリが襲来する等ツーリングカーレースの天王山。
のちのインターTECの祖ともいえるレースであります。

ところが、この74年のTTは外国勢のエントリーもないうえに、参加台数自体も
42台と、少々期待はずれ(優勝は寺田/岡本組のRX3)に終わったのでありました。

一方のGC特別レースも出走8台と寂しい結果に。


年が明けた75年の富士GC開幕戦、富士300キロスピードレースのフライヤー。
”これがモータースポーツだ!”というキャッチが泣かせます。
確かこのレースからムーンクラフト製のスペシャルボディを纏ったマーチが
デビューしたんですよね。


これはその裏面。この年から本格的に国内復帰を果たした桑島さんの顔も見えます。


最後にご紹介するのは、75年の日本グランプリ。
この年の話題は、元F1ドライバーの故ピーター・ゲシンと
期待の若手だったブライアン・ヘントンの来日。

この年限りでレーサー生活を引退するゲシンと、この年からF1デビュー
(デビューはJPSロータス!)を果たすヘントンの組み合わせはなんとも象徴的。
ただこのレースで、高原さんに競り負けたヘントンはF1に行っても
大成する事なく引退していまいましたが……。


ということで、Bob日高さんのフライヤーシリーズはこれでおしまい。
とはいえ、まだまだ貴重な資料が控えていますので、追ってご紹介していく予定です。

ではでは。



2012.05.28 Monday

40年前のFISCOのフライヤー その2

 

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こんにちは。
昨日はあっちこっちでレースが開催され非常に盛り上がったようですが
地上波しか見られない我が家はひっそりとしておりました(泣)。
ただ、インディの琢磨選手は惜しかったですね(You Tube で見ましたよ)。
まぁ手堅く2位という選択もアリかもしれませんが、
やっぱイチかバチか行かないと。それにしても日本人がインディの優勝争いを
するようになるなんて、夢みたいな話ですね。

さて今日は、ここんとこ色んな話題に恵まれていたこともあって
なかなかアップできなかったBob日高さん秘蔵のFISCOフライヤー
(当時の富士スピードウェイニュースに挟まれていたものだそうです)
のつづきをお送りします。



これは1972年富士GCシリーズ最終戦、富士ビクトリー200キロのフライヤー。
(タイトルのデザインがカッコイイ!!)
オープンクラスと2リッターGCクラスが混走する最後のレースでもあります。

このレースを制したのは、予選でコースレコードをマークした
高原敬武のスタンレー・ローラT280。
このローラはその後、富士1000kmに出場したり、ポルシェのフラット6を
搭載して富士GCに出場したりと、細々と生き残って? いくのですが
一方の酒井マクラーレンM12は、このレースを最後に完全引退。
長らく、山梨のピットイン竜王に展示されていたのをご記憶の方は多いと思います。

写真提供:解良喜久雄

そんな富士ビクトリー200キロのCGクラスを制したのは、永松邦臣のロンソン2000。
そしてこのレースでGCクラス5位、総合6位に入賞した鮒子田寛オンワードSPLが
見事72年のGCチャンピオンに輝いたのでありました。

ちなみにこの写真は、その前戦の富士マスターズ250キロでの写真。
(この時鮒子田さんは総合3位:クラス2位)
この写真撮影のあとに、ピット裏では知られざる後日談があったそうなのですが
それはいずれ、解良さんか鮒子田さんに語って? いただきましょう。


一方こちらは73年の日本オールスターレース。

日本モータースポーツ記者会が選出した34名のドライバー
(確かJAF戦に6戦以上、決勝出場しているというレギュレーションがあったような)
によって2リッタースポーツ、FJ1300、FJ360、FJ1300、TS、GTSの各カテゴリーが
争われるというもの。いわば富士版のグレート20ドライバーズレースといった感じでしょうか。


そしてエントリーしているのはこのような豪華な面々。
ちなみにこのレースで、メインレースの日本オールスター(2Lスポーツ&GTS)を
制したのは、ミノルタSR-Tマーチ735に乗る酒井正。

このレース自体は富士GCの公式戦ではありませんでしたが
確か2リッターになってから酒井さんが記録した唯一(そして最後の)勝利が
この日本オールスターでありました。

酒井さんには、ミノルタ・マクラーレンを記事にしようと追っかけている時に
浅草ビューホテルでインタビューさせていただいたことがありますが、
当時マクラーレンでCan-Amに挑戦してやろうと本気で思っていたけれど、
実現しなかったこともあって、2リッターのGCには興味がわかなかった
という旨のお話を聞いた事があります。

その後しばらくして不慮の事故でお亡くなりになった酒井さん。
今思えば、もっと話を聞いておけばよかったと悔やまれます。


今日最後にお届けするのは、73年富士GCシリーズ第3戦富士インター200マイルレース。
日産三羽烏 遂に出場! というキャッチが泣けます。

このレースはもうひとつ、
72年のJPSティームロータスのナンバー2だったデイブ・ウォーカーが
GRDワークスとして来日! というのがウリだったのですが
来日直前にウォーカーが交通事故で負傷。代わってヴァーン・シュパン(!)が
GRDのボス、マイク・ウァーナーとともに来日するも
パッとした成績を上げられませんでした。


2ヒート制で争われたこのレースを制したのは黒沢元治ブリヂストン・マーチZ。
2位は酒井正、3位は高橋国光という結果になったのでありました。

Bobさん貴重な資料ありがとうございます。
このFISCOフライヤーシリーズは、もう1回続く予定です。
ではでは。

2012.05.24 Thursday

第4回メガウェブ・フェスタ:ロータス78編

 

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極個人的な自動車偏愛日記



昨日の続きです。
今回の第4回 メガウェブ フェスタには、ロータス72E/6のほかに
1977年の富士で故グンナー・ニルソンがドライブしたロータス78/4も登場しました。

この78/4、当時はJPS-18という通し番号で呼ばれた個体ですが
1977年のドイツGPからニルソンのレースカーとしてデビュー。
ニルソン生涯唯一の勝利となったベルギーGPには絡んでおりませんが
翌年癌で急逝するニルソンが最後にドライブしたメモリアルマシンであります。

また我々日本のファンには、77年の富士で急遽インペリアルタバコ・カラーに
塗り替えられ、赤/エンジの2トーンで走ったことで馴染み深い1台。
77年シーズン後にはメキシコのヘクター・レバーグに売却され
プライベーターとして78年のF1シーズンを闘った履歴を持っています。


今回は土曜午後、日曜午前、午後と3回にわたってデモランを披露した78。
この78/4自体が公の場でデモランをするのも実に数年ぶりとあって
パドックウォークでも御覧のような人気ぶり。

さらに、CTL Japanでも扱っている、JPSレプリカクルーシャツで
完全に当時のクルーの姿にコスプレ! (ズボンも黒でシャツはイン! そして黒い革靴)
したジャーナリストの小倉茂徳さんの解説も聞けたりと
ご来場いただいた皆さんにはお得な内容だったと思います。


さてその78。実は金曜に富士で行ったプライベートテストの際に
スターターのシャフトが折れるトラブルが発生したために、始動は押し掛け。

しかしながらハナシマレーシングの名人芸で一発始動というパフォーマンスも
お見せする事が出来ました(笑)。


この78に搭載されたDFVは当時と同じロングストローク仕様。
昨日の72(ショートストローク)のDFVの音と比較してみてください。


そんな日曜午前の走行前、78からクーラントが漏れるトラブルが発生。
応急処置でデモランをこなしたあと、急遽メンテナンスが行われることになりました。

これはその時のワンカット。
サイドポンツーンのカバーを外しての作業のため、翼断面となった78のサイドポンツーンの
形状がよくわかると思います。ホントにこういう形になっていたんですね。

もちろんトラブルは、ゴッドハンド花島さんの手で無事修復(さすが!)。


これはポンツーン後端のパーツ。
ここも翼断面になっているのがわかります。
どうです? 貴重なカットでしょう??


さらにデモラン終了後は、会場を視察にいらしていたトヨタ自動車の
豊田章男社長の表敬訪問を受けたりして、非常に中身の濃い2日間を過ごさせていただきました。


ちなみに個人的な収穫は、隣りのホンダコレクションホールのピットで
マクラーレンMP4/5のシャシープレートを撮影できた事!

小倉さんによると、このMP4/5/8はアラン・プロストのために
89年の日本GP用として作られたシャシーとのこと。
つまりあのセナとのシケイン事件の当事者だった個体なのであります。

いやぁ良い物見せていただきました。
ではでは。


2012.05.23 Wednesday

第4回メガウェブ・フェスタ:ロータス72編


Motor Press
(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



ご無沙汰しております(笑)。
この週末、お台場のMEGA WEBで開催された
第4回 メガウェブ フェスタにご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。
本当に数多くの方にお声がけいただいて、感謝感激。
あまりの興奮ぶりにイベント終了後にギックリ腰が悪化して倒れておりました(苦笑)。

ということで、遅まきながらイベントのリポートをお届けしましょう。


さて、今回のメガウェブ・フェスタの話題は、すでにこのMPでもお伝えしてきたとおり
1973年のロニーのレースカーであるロータス72E/6が日本初上陸を果たし
なおかつデモランまで披露した事!

しかし、日本に到着してまだ1月あまり。さらに組み上げてシェイクダウンをしたのが
イベント前日の金曜日。ということで、まだ熟成されていなかったことが災いしてか、
土曜の走行後に足回りに軽微な異音が発生。
大事をとって日曜の走行はキャンセルとなりました。残念。

そこで走行を見られなかった皆さんのために、
土曜午前のデモランの動画をアップしました。


どうです? まさか日本でJPSの72が走る姿を見られるようになるとは(号泣)。


ところで、会場を訪れた皆さんから「DFVのヘッドカバーがCOSWORTHなのが惜しい!」
という声が聞かれましたが、実はこの72E/6、今年のモナコ・ヒストリックに照準を
合わせて仕立てられてきた完全レース仕様のため、敢えて後期型の
ショートストロークユニットを搭載しているのです。
よーく見ると、エキパイも現代風な仕上げのモノが付いています。


コクピットもこのとおり。オリジナルのレブカウンターはスミス製ですが
実戦に備え、STACK製のメーターに交換されているのです。
(ステアリングもクイックリリースの出来るMOMO製でしたね)

これらはもちろん、ヒストリックFIA選手権のHFO(Historic Formula One)の
レギュレーションに則って行われた改良で、安全かつコンペティティブに
レースを闘うための必要不可欠なものでもあるのです。
そういう意味では、彼の地で本気で闘う" 現役ヒストリックF1"の姿を
見ることができた貴重な機会といえたかもしれませんね。


そんな72のコクピットに嬉しそうに収まるのは、来年から始まる
インタープロトシリーズ(あの桑島正美さんがレーサーとして復帰するのだそう!)用の
ワンメイクマシーン“Kuruma"を会場に持ち込んだ関谷正徳さん。
「やっぱ、この時代のレーシングカーは良いよなぁ」と仰っておりました。
こんな意外なコラボが実現するのも、メガウェブ・フェスタの良いところであります。



それでは、特徴的なインボードブレーキの様子がよくわかる
72Eのフロントセクションの画像でお別れです。
明日はメガウェブ・フェスタ78編をお送りする予定です。

ではでは。



2012.05.19 Saturday

この週末、お台場でロータス72Eが走ります!

 

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極個人的な自動車偏愛日記



おはようございます。
この週末のお台場はクルマ好きのためのイベントが目白押しですが
なんといっても注目なのは、Classic Team Lotus Japanも参加する


昨日搬入が行われたのですが、なんと急遽
日本初登場のロータス72E/6がデモランを行う事になりました!

気になるスケジュールは以下のとおり。

●19日(土曜日)
13時〜13時20分 ロータス72デモラン第1回
15時10分〜15時30分 ロータス72デモラン第2回


●20日(日曜日)
11時50分〜12時20分 ロータス72&マクラーレン・ホンダ デモラン第1回
14時50分〜15時20分 ロータス72&マクラーレン・ホンダ デモラン第2回 
 
いずれも会場はメガウェブ内特設コース。
入場は無料です!

ではでは!


2012.05.18 Friday

第51回 静岡ホビーショー速報!

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記



昨日は朝から、ツインメッセ静岡で行われている
第51回静岡ホビーショーのプレスデイに出かけて参りました。
(小さい写真はクリックで拡大します)


ミリタリー系では、タミヤから1/48のシュトルモビクが出たり
1/35のフェルディナント(後期型)が出たり(分かる人だけ分かればいいです)と
盛り上がっておりましたが、自動車関係の方の盛り上がりも中々でした。
そんな今年の(勝手に)ベストオブショーに輝いたのは……


Headway Technology(発売元は京商)から新発売される
1/43 NOVA 532 BMW

1978年シーズンに全日本F2を席巻した上、星野一義とともにヨーロッパに
殴り込みをかけた国産F2初のモデル化であります。
数年前に、和歌山の上住コレクションに実車取材に行っていたのは知っていましたが
ついに発売に漕ぎ着けたのですね。いやぁ素晴らしい。

しかも星野 グレート20仕様、星野ルーアン仕様、中嶋 JAF GP仕様の3バリエーションが発売。
この勢いで、スリーボンド桑島仕様とか、ノバ02とか、ノバ522も出してください。


さらにさらに、京商オリジナルブランドとして
1/43 コジマKE009 77年富士 星野車 も発売されます! うぉぉぉぉ〜!!

あと目を引いたのは、今年でショーデビューから50年、来年で生産開始50周年を
迎える、ホンダ・スポーツ絡みの新商品たち。


1/64スケールの悶絶エンスーミニカーを発売し続けているトミーテックからは
な、なんとホンダS600クーペが登場。

なんとS800クーペもラインナップ! 夏頃発売とのことで、これは買いです。
トミーテックのエンドウ君ありがとう。

ホンダT360のホンダPRカーも登場とか。ヤバイです!


お馴染みエブロさんには、65年船橋CCC仕様のS600生沢号が!


また参考出品ながら、こんな大物の姿まで!
1/43でホンダR1300のモデルが拝めるようになるとは……

一方でコニリオ・ファミリーは増殖中ですし……。


ついに待望の1/43ホンダRA302 フランス仕様まで出てしまうらしい。
(シュレッサーのフィギュアは大人の事情で製品には付かないそうですが)
木谷社長、痛いところ突いてきます。お小遣いが足りません。


さらにエブロには、いま話題総然の1/20 インジェクション プラスチックモデル・シリーズの
最新作として、1/20 ロータス72E(1973年仕様)の姿が!
うおー、モノコックまで再現されているのですね。これは週末のメガウェブに行って
実車のディテールを隅々まで撮影しなくてはいけませんね、皆さん(笑)。
この他にエブロブースで気になったのは……

参考出品の1/8(!) ポルシェ935K3 生沢車ル・マン仕様。
なんでもこの後生沢さんに納車される予定だとか。

いよいよ発売される74年仕様のGRD S74 生沢号。

67年の日本GPで予選を通過できなかったダイハツP5!

そして、世界初のモデル化? と思われる1/43のコスティン・ネイサンGT。



1/24のエブロ・スロットカーボディ・シリーズ。モデルのデキもさることながら
往年のスロットカーを彷彿とさせるパッケージがステキ!


一方AUTO ARTからは、ダイキャスト製の1/18 ホンダS800が発売予定。
完全に皆さん、ボクの小遣いを狙い撃ちしているとしか思えません。悪意すら感じます(ウソ)。


そうそう、スパークモデルからは1/18でモビーディックも出ます。
大スケールなのに素材がレジン製で大丈夫なのか? と不安にもなりますが、
こんなモノがこのスケールでモデル化されるなんて夢のようです。

この1/43のファッセルと、ドライエもステキ。

また個人的には、参考出品ながらブルムの1/43フィギュアシリーズにも期待してます。

ということで、静岡ホビーショーはこの土日に一般公開。
ちょうどメガウェブ・フェスタと重なりますが、ぜひ自分の目で確認に行ってください!

ではでは。


2012.05.17 Thursday

5th LOTUS ELAN TOURING

 

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遅くなりましたが、さる5月12日から13日にかけて長野県を舞台に開催された
第5回ロータス・エラン・ツーリングの模様をお送りします。

昨年は、このMPでもお馴染み、elan+2こと真北さんのお誘いをうけ
エラン+2で参加させていただいたのですが、今年は所用があって不参加(スイマセン)。
そのかわり、真北さんが写真とレポートを寄せてくださいました。


「今年のツーリングは二日間とも晴れに恵まれ、48台が集まって、
 いつものように走り回りました」


「伊奈から木曽、高山に至る道はどれも素晴らしく、
 特に2日目の南アルプス界隈の道は、今まで走ったどの道よりも
 景色が美しく、ツーリングに適した(しかもあまり知られてない)
 素晴らしいコースでした。
 2日目にちょっとした単独スピン事故がありましたが
 なんとか全車自走で帰れましたので大成功ではなかったんじゃないでしょうか」

とのこと。
確かに良い雰囲気ですねぇ。



しかもアチラでは、まだまだ桜も見られたのですね。
今回はお天気にも恵まれたようですし、昨年に引き続き
良いツーリングになったのではないでしょうか?


それもこれも、今回の幹事をつとめられた酒井さんと本田さん
そして関わられたスタッフの皆さんの努力の賜物だと思います。
本当にお疲れさまでした!

今回参加された皆さんが、口を揃えて「初めて走るすごく良いコース設定だった」
と仰ってますからね。うーん行きたかったですねぇ(涙)。


ちなみに来年のロータス・エラン・ツーリングは
内野さんが幹事となり、富士山界隈を舞台に開催されることになったのだそうです。
いやぁ、今から楽しみですね。そしてやっぱまたエラン欲しいなぁ。
がんばろっと。

ということで、これから静岡に行ってホビーショーのプレスデイを見てきます。
そのご報告は明日のMPにて。

ではでは!

2012.05.16 Wednesday

R.I.P. Les Leston

 

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おはようございます。
英国車乗りなら、知らぬ物はいない英国ドライビング&
レーシングエクイップメント・ブランドの創始者であり、
自らもレーシングドライバーとして活躍した、レス・レストンが
5月13日に91歳で亡くなったという訃報が入ってきました。



1920年生まれのレス・レストンはジャガーSS100を駆り
レーサーとしてのキャリアをスタート。
1954年にはクーパーワークスのドライバーとして
500cc時代のナショナルF3チャンピオンを獲得。
1956年のイタリアGPでは、コンノート・アルファ・ロメオで
F1デビューを果たしています(結果はリタイア)。


Photo:Tetsu Ikuzawa

そんなレス・レストン最大の功績といえば、
1950年代中盤にロンドンにレーシング・エクイップメントの専門店
LES LESTON LTD.を設立したことですが、この訃報を知った
生沢徹さんから、こんな貴重な写真が送られてきました。

これは1966年、青木紀子さん(後の浅岡重輝夫人)を案内して
その当時のHigh Holborn にあった、お店の前でのショット。

当時の、このお店の前での写真を持っている日本人は、多分アタシだけ!
 撮影者は、宏子さん(注:当時の奥様)

とは生沢さんのコメント。


ヘルメット、ステアリングホイール、耐火性のレーシングスーツなど、
自身の経験に基づいた数々のオリジナル商品を開発。
1960年代には日本を含む世界各国のレーシングドライバーが
レス・レストンの製品を愛用するようになります。

生沢さんもその愛用者のひとりでしたね。


いま改めてレス・レストンのカタログを見ても、
なんかワクワク、ドキドキする商品ばかり。
いかに当時進んだセンスを持っていたかが伺えますね。

そんな数あるレス・レストン製品の中でも個人的に好きなのはコレ。


レーシングフラッグをモチーフにしたサーキットアンブレラ。
1960年代の船橋や鈴鹿の写真でも、生沢徹、浮谷東次郎といった面々が
この傘を差している写真を見かけますよね……。粋だなぁ。

1973年にリタイアしたあとは、香港で余生を送っていたというレス・レストン。
なんか立て続けに20世紀のモータリングを支えたレジェンドたちが去っていく
ニュースを聞いて凹みますが、残された我々にとって
こうした史実をしっかりと継承して行く事は、クルマ好きに課せられた
使命でもありますからね。

ご冥福をお祈りします。




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