2016.05.26 Thursday

DOME 2.0 TIME TO MOVE ON



Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。
今日は朝から新幹線に乗って慣れ浸しんだ(笑)米原まで。
新たに米原駅前に完成した童夢新社屋の竣工式
DOME 2.0 TIME TO MOVE ONにお邪魔してきました。



確か昨年の今頃、米原工業団地の中にある旧本社で『童夢の奇跡』の編集作業をしてた時は
完成予想図の状態だった新社屋。出来上がってみるとこれがまたデカイ。そして立派。
今度は新幹線の駅から歩いて5分ほどという立地もナイス。



そして玄関を入ると、童夢-零とともに旧本社のエントランスに飾られていた
大下寿馬氏作の巨大なレリーフが。これがあると童夢に来たなーって感じがしますね。



とかいいつつ、オメデタイ席に華をそえてくださったお姉さまをパシパシ。



ほら、もうクルマ撮る気なんてまったく無いのがよく分かる。



セレモニー自体は11時30分からのスタートだったんですが、まぁとにかく凄い人でした。熱気ムンムン。
あ、ちゃんと空調効いてたんでムンムンはしてなかったけど。



そしていよいよプログラムがスタート!
来賓の方々の挨拶につづき、昨年就任された盒饗麑蘓啓卍垢挨拶をされました。
DOME 2.0 TIME TO MOVE ONというタイトルのとおり
この新社屋完成を期に、これまでのレーシングカー・コンストラクターとしての活動はそのままに、
第2幕というべきさらなるステージへとバージョンアップしていくと語る盒脅卍后
ちなみに盒脅卍垢ヨットマンであることは知っていましたが
実はアルファ・ロメオ・チャレンジにも出場されるエンスージァストだということを
今日初めて知りました。なんか勝手に親近感(笑)。



この席上で、童夢が台湾に大規模なカーボンコンポジットの生産拠点を有する
KCMGコンポジット・インターナショナル(KCMG-CIL)と業務提携を結び
童夢が設計、開発といった部分を、KCMG-CILがその生産、物流を担当することで
カーボンコンポジット事業を世界的規模で展開をしていくことが発表されました。

KCMG-CIL代表のポール・イップCEO(写真右)といえば、ポルシェ・カレラカップ・ジャパンで
活躍されているほか、自身の運営するKCMGティームが昨年のル・マン24時間で
LMP2クラスの優勝を飾ったことでも有名なエンスージァスト。

このコラボレーション、個人的にとっても期待しております。



さらに壇上には、林みのるさんも登場。
「新社長になって会社が上手くいったら俺の40年がなんだったんだってことになるので
 適当に足を引っ張りながら、応援する」と林さんらしいエールを送っておりました。



そんな会場には、歴代の童夢作品群も集結。柵もなにもないので、心ゆくまでじっくり観察できました(笑)。
これまでもう穴のあくほど見てきたつもりの各車でしたが、今日改めて見てみたら
ずっとドンガラだとばかり思ってたF104iにエンジンがちゃんと積まれているのを発見。
おおーーー! いいなぁ。レストアして走るようにならないかなー。



さらに来賓の皆さんはレジェンドだらけ。右から元RSCの木村昌夫さん(岡さんと一緒に今日も色々聞いてしまった)、
松浦賢さん、そして盒鏡暇さん。



鮒子田顧問と一緒にいらっしゃるのは、キャスピタのデザイナーである伊藤邦久さん。
このほか、由良拓也さんとか、柳田春人さんとかレジェンドだらけ。
そういう意味でも非常に華やかなセレモニーでありました。



また会場には、FIAの最新安全規格である「FIA8862-2009」に対応した
“サバイバルセル”、アドバンスド・レーシング・シートDOME RS16 & RS16Sや……



織戸学さんのエム-オリドプロジェクトと童夢との共同プロジェクトで開発中の
マイクロ・フォーミュラ ”CHEETAH(=チーター)”のモックアップも展示。

このCHEETAH、サーキットでの本格走行やレースはもちろん、織戸さんの監修だけあって
3ペダルとサイドブレーキを駆使したドリフトやマシンコントロールの練習にも最適なように
設計が施されているというのが最大の特徴。
将来的には大型商業施設などにコースを作り、気軽にレンタル走行できたりするような
様々な展開も考えているのだとか。

エンジンは648ccのHONDA RC83E水冷4ストロークDOHC。ギアボックスは6段MT。
無論、童夢の設計、開発だけあってシャシーの前方&左右の衝撃吸収構造は万全。
しかもハイエースに積み込めるサイズ(!)というのも画期的。
この夏に初号機のシェイクダウンが行われるそうで、こちらも今から楽しみであります。

ではでは。
 
2016.03.14 Monday

追憶の船橋サーキット


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。
この週末は各地でいろいろなヒストリックカー・イベントが開催されて
いよいよシーズン開幕! って感じになってきましたね。
残念ながら僕はずっと引き篭り状態でしたが……。

そんな中、You Tubeでこんな動画を見つけました。
投稿者であるestuthさんのお父様が17歳の時に撮影した1967年頃の船橋サーキットの
8mmフィルムの画像。
その後継である船橋オートも今年3月で閉鎖されることとなった現在、
往時の船橋サーキットを収録した動画は、歴史的な意味でも非常に貴重だと思い、ここにご紹介します。



まずはこの画像。最初のサンビーム・アルパイン
(注:ピーター・ベラミーのサンビーム・タイガーだそうです。訂正)が走ってるモノクロの画像は
なんのレースか(もしくは走行会か?)は残念ながら確認できず
続くカラー映像は1967年の日刊スポーツジュニアチャンピオン自動車レースのアップルレースの模様でしょうか?
となると、ゼッケン10は板沢宏のスバル360ということになります。



これはその続き。
細かいことはわからないのですが、出走台数と車種から見て、
7月15〜16日に行われた第2戦の気がします。そうであればゼッケン7の
スバル360は山梨芳樹さん(!)になると思います。
その後のスタートシーンは同じく日刊スポーツジュニアチャンピオン自動車レースのドーナツレース。
ゼッケン14は2位に入った竹内重男のロータス・エラン。優勝はゼッケン15、古沢忠男のエランのはず。



この画像は……すいませんちょっと何のレース(もしくは走行会)なのかわからない。
ホンダN360がこれだけ走ってるのだから、1967年というのは間違いないと思います。

そして2分40秒くらいから始まるのは、おそらく1966年7月30~31日に開催された
日刊スポーツジュニアチャンピオン自動車レース第2戦のドーナツレース。
序盤トップを独走するゼッケン15の赤いフェアレディ1600は、あの真田睦明。
優勝はゼッケン3の石橋進のフェアレディ、山本勉のコーティナ・ロータスも映ってます。



こちらは出走メンバーからして1966年10月の第2回東京200マイル自動車レース大会と思われる画像。
ポールからスタートするゼッケン2は望月修のコルトF3A。その後塩沢勝臣のデルコン111C。
本田正一のSTPスペシャル。守屋清太郎のモスラー・ベレット。ゼッケン14 北野元の
ワークス・フェアレディ。ゼッケン10 滝進太郎 のロータス26Rと続きます。
奥の方に寺田陽次郎ホンダS600の姿も!

そして1台だけ混じってるゼッケン23のコロナは田村三夫の"TIARA"ではなかろうか。



こちらは東京200マイルの後半戦。2位に入った北野フェアレディの豪快は走りに注目です。
続いて収録されているのは、1967年5月27〜28日に開催された全日本スポーツカーレース船橋大会第2戦
スポーツマンレースの模様。ポールスタートはゼッケン91諸星太三のS600。
途中トップに立つのはコンテッサ・クーペの森川多一。彼らをかわして優勝するのは
ゼッケン66のホンダS600に乗る明珍和夫。
ちなみにこのレースには、ゼッケン28片桐昌夫(S600)も出場されています。



これも1967年5月27〜28日に開催された全日本スポーツカーレース船橋大会第2戦の模様。
前半はツーリングカードライバー・レース。優勝はゼッケン1、田中健二郎のスカイライン2000GT。
このほかNo.108砂子義一、No.82都平健二、No.58高橋利明、No.28片桐昌夫、No.7塩沢勝臣
No.64北原豪彦、No.25菅原義正、No.94寺田陽次郎、No.50米山二郎、No.81長谷見昌弘、No.62蟹江光正などなど
錚々たる顔ぶれが出場。

その後のカラー画像は、この日のメインレースであるスポーツカー・ドライバー・レースです。



トップを走るのはNo.200 酒井正のデイトナ・コブラ、
No.86北野元、No.83黒沢元治、No.84鈴木誠一、No.85高橋国光のワークス・フェアレディ2000。
No.39は宮内隆行のレーシング・エラン、No.33木倉義文のホンダS800、
No.59見崎清志、No.72高橋晴邦のトヨタS800。
N0.11安田銀治の大京チューン・ジャガーXK-E。そしてNo.20滝進太郎のロータス26R!

いやぁ、当時の船橋の動画がこれだけ残っているなんて奇跡です。
本当に素晴らしいものを見せていただきました。

ではでは。


 
2016.02.18 Thursday

Hiroshi Fushida @ 1970 Riverside Grand Prix

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。
久々のスクープです!

今回の主役は、先日行われた『第9回CAR GRAPHIC Presents Gold Star Drivers Slot Car Race』の
名誉会長であり、このモータープレスでもお馴染みのレジェンド、鮒子田寛さん。


週刊プレイボーイ(集英社 刊)

1960年代にTEAM TOYOTAのエースとして、各種のレースで活躍をしていた鮒子田さんが
海外でのレース参戦を目指し、1970年にTEAM TOYOTAを離れ単身北米に渡った、
という史実はモータープレスの読者の皆さんならご存知のことかと思います。
(詳細は牧野さんの『くるま村の少年たち』へ)

鮒子田さんが参戦したのは当時アメリカで開催されていた
L&M F-Aコンチネンタル・チャンピオンシップという
F5000マシーンを使用したフォーミュラ選手権でした。


ここで鮒子田さんは、ズース・ディベロップメント(ZEUS DEVELOPMENT CO.)と契約
彼らの所有していたイーグルMk5-プリムスV8(シャシーナンバー503)を購入する形でエントリー。
開幕戦 
Riverside Grand Prix (リバーサイド):リタイア(エンジン)
第2戦 
Lucerne "100" (エドモントン):リタイア(ヘッドガスケット)
と、マシーントラブルに見舞われ、満足な成績を残せずに終わります。


そして迎えた第3戦Seattle Grand Prix(シアトル)。
予選で6位を獲得した鮒子田さんのイーグルは決勝でも好調。
なんと、参戦3戦目にして3位入賞を果たすこととなるのです!

その後、第4戦Monterey Grand Prix(ラグナ・セカ)でも5位入賞を果たした鮒子田さんは
シアーズポイントで開催された第5戦Continental 49'er に挑むのですが、予選で大クラッシュ。
マシーン修復は叶わず、これをもってF-Aコンチネンタル選手権への挑戦を終了するのです。

しかしそこで挫けることなく、MAC'S IT SPECIAL でのCan-Am挑戦や、翌年のTrans-Amシリーズ参戦と
北米でのレース活動を続けることになるのですが、それはまた別の話。

今回お届けするスクープは、なんとL&M F-Aコンチネンタル選手権の開幕戦
Riverside GPに参戦したズース・ディベロップメントを追った貴重な8mmのカラー映像。
撮影者は、あのテカルミット・ジャクソン・フューエル・インジェクションの
開発者であるピート・ジャクソン!

全部で3部からなる映像(音声がないのが残念!)ですが、若き日の鮒子田さんが沢山出てきます。
「僕にとっては世紀の大発見だ……でも、Good old daysの良い思い出、記念だね」とはご本人の感想。
ということで、とくとご覧あれっ!!










すごいでしょ? トヨタ7に乗ってたから、F5000マシーンも大して凄いと思わなかった
と鮒子田さんのインプレを聞いたことがありますが、いやいやなんのなんの!
なにはともあれ、この偉大な挑戦の証拠がこうして残っていたのはうれしい限り。

ではでは。

 
2016.02.15 Monday

EVA Can-Am 2B


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。
随分と間が空いてしまいましたが、さる2月6日に行われた
『第9回CAR GRAPHIC Presents Gold Star Drivers Slot Car Race』の続きです。



今回もMFCの皆さんの手による素晴らしい出来栄えのスロットカーたちが集まっていたのですが
個人的にとっても気になったのが、このEVA Can-Am 2B。



ミニカーレース用に開発されたスポーツプロト、EVA Can-Am 2Aのシャシーに
ホンダ1300の空冷4気筒SOHCユニットを搭載したGP-IIマシーンで
1969年の日本GPにエントリーした、リキ・レーシング・ディベロップメントの39号車を再現。
無論フルスクラッチ(!)。


CAR グラフィック 11月号臨時増刊 ’69日本グランプリ(二玄社 刊)

エバ・カーズが製作し、多くのユーザーに販売されたEVA Can-Am自体の写真も
日本GPに同じくリキ・レーシング・ディベロップメントから出場し、総合18位完走(クラス2位)を果たした
杉山武/三富嗣充組の40号車の写真も比較的多く残されているのですが
予選落ちしてしまった39号車に関する写真はほとんどなし。


日本の名レース100選 '69  日本GP(三栄書房 刊)

ウチにある本を引っ張り出しても、39号車が写っていた(それも小さく)のは、この2誌のみ。
よく、そんな状態で作ったなと改めて感動。

……しかしなにゆえにチームのエース格である39号車が予選落ちして40号車が生き残ったのか?



当時のチームオーナーであり、ドライバーであった大久保力さんにお伺いすると……。

「そもそも僕はフォーミュラ専門でいこうと思っていた。しかしスポーツカーレースが盛り上がり
 日本GPもプロトタイプ専門のレースになるっていうんで、自分もやらなきゃいけないなと。
 ただ当時の僕は大排気量路線にえらく反対していてね。なんとしても手作りのクルマでやりたいと
 思っていたんだ。そうしたらちょうどエバ・カーズが立ち上がってね。
 そこで林みのる君から”リキさん使ってみませんか?”紹介があったんだ。
 それじゃあ一緒に開発しようじゃないか、と始まったんです。
 林君とのつながりは、彼がマクランサ・クサビに積もうとしていた、コンレロ・チューンの
 アルファ・エンジンを買ったのがきっかけだね」

確かに当時の林さんは、取締役兼デザイナーとして三村兄弟とともにエバ・カーズの設立に参画。
自身のマクランサ・クサビの製作と並行する形で、EVA Can-AmのFRPモノコックの開発に
携わっていたのでありました。

「エンジンを何にしようか? って時にちょうどホンダ1300がデビューしてね。
 あれなら使えるかもしれないと、新車の1300を買ってきて、それから降ろしたのを積んだんだよ!
 ところがそこが間違い。空冷だから軽いだろう、小さいだろうと思ったら、どデカイの。
 そしたら見かねたRSCがファクトリーチューンのエンジンを供給してくれたんだよ。
   ところが予選を走ると、すぐにエンジンが止まっちゃうんだ。それでマトモに走れずに予選落ちしたんだけど
 原因はオールFRPにこだわって燃料タンクもFRPにしていたこと!
 ガソリンでFRPが溶けて詰まってしまったんだよ。それを発見したのは一緒に乗っていた片桐だった。
 クルマの素性自体は良かったからね。とても悔しい思い出のある1台ですよ」



ということで続いてご紹介するのは、当時のチームメイトであり、
今回のスロットレースに初参戦された片桐昌夫さん。
「僕は練習の鬼だからね(笑)。あのEVA Can-Amも相当テストした思い出がありますよ」



日本の名レース100選 '69 JAF-GP(三栄書房 刊)

片桐さんといえば、鈴鹿放出のブラバムBT16に三菱R28を搭載した”三井メタルーブSPL”で
日本のフォーミュラ・レースの黎明期に活躍したお一人。
富士300キロレース大会‘69ゴールデンシリーズIIでは総合4位、
写真の'69 JAF-GPでは総合8位/C-1クラス3位などの成績を残されています。


AUTO APORT 1968年8月号(三栄書房 刊)

またオールド・ファンの皆さんの中には、片桐選手と聞いて
1968年の全日本鈴鹿自動車レース大会でのアクシデントを思い出す方もいらっしゃるかもしれません。



「RSCの1300のエンジンは相当テストして熟成させたと思います。だから決勝に出られなかったのは残念でしたね。
 ウチの若い奴らを乗せた2号車の方は、予選はギリギリだったけど決勝では結構良いペースで
 走って結果を残しているから余計にね。我々の乗った最初のクルマに比べて2号車の方は
 色々と改良されていたというのも大きいと思いますね」

という片桐さん。ちなみに今回の着ていらっしゃるのは、1970年代に使用していたという
NAZA製のレーシングスーツ。昨年、多賀弘明さんが着ていらした当時モノのレス・レストンにも
驚きましたが、これもまた貴重(背中の"Metalube 三井物産"の刺繍が泣けます!)。
当時このNAZAのレーシングスーツを扱っていた銀座の秀山荘で購入されたものとのことですが
実物を見るのは、故・酒井正さんがお持ちだったものに続いて、これが二度目。

いやはや本当に貴重なお話ありがとうございました。
この日本GPの顛末に関しては、この後『サーキット燦々』に続いて大久保力さんが出版される
新刊の方にも詳しく書かれているそうです。そちらも是非!!

ではでは。

 
2016.02.09 Tuesday

第9回CAR GRAPHIC Presents Gold Star Drivers Slot Car Race

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。
ご報告が遅くなりましたが、土曜日に横浜のBANPROで行われた
『第9回 CAR  GRAPHIC Presents GOLD Star Drivers Slot Car Race』
の模様をお送りします。



1970~80年代の富士GCに出場したレジェンド・ドライバーが、自身のGCカーをドライブする
スロットカー・レースとして始まったこのイベント。
Gold Star Drivers Club of Japanの協賛を得るようになった昨年から
GCという枠組みを外し、各レジェンド・ドライバーがドライブした新旧様々な
マシーンで競うスタイルに改変。今年はお馴染みCAR GRAPHIC誌と
Jaguaria/(株)ワイズのスポンサードを得て、さらにパワーアップして開催されました。



ということでマシンも1964年のスカイライン54Bから、2006年のOPEN INTERFACE SC430まで
実に多彩な顔ぶれ。2リッターGCマシーン時代に比べ、クルマの性能差が大きくなる中で
各ドライバーが、どのような走りをするのかが注目です。

ちなみにレースは6レーンあるコースを全て3分ずつ走り、その合計周回数によって
順位を決めるという例年通りのレギュレーション。
たった3分? とお思いの方もおられるかもしれませんが、超高速走行をする1/24のスロットカーを
3分間走らせるのって、想像以上の集中力を必要とするんです。結構ヘロヘロ。



今回の話題は、Super GT GT500クラスから引退し、今シーズンはチームルマンの監督に
就任することを発表したばかりの脇阪寿一さんが初めて参戦したこと。
この日のために、わざわざ2006年にチャンピオンを獲得したときのレーシングスーツで現れる気合の入りっぷり。

このほか1960年代にブラバム・コルトなどで活躍した片桐昌夫さん、
レジェンド・ラリーストでジャーナリストの竹平素信さんが初参加!



また今回から新たな試みとして、レースのインターバルを利用した
レジェンド・ドライバー全員参加のサイン会も開催。
これだけの面々に直にあってサインをもらうなんて、サーキットでもないことですからね。
お越しいただいたギャラリーの皆さんには、いいお土産になったのでは??



無論レースの方は大盛り上がり。今回はレジェンド・ドライバーによるメインレースと
関係者、ジャーナリスト、そしてCG CLUB有志が参戦するゲストレースの2つに分けて開催。
メインレースに参戦したCAR GRAPHICの加藤社長と、Jaguariaの後藤社長が
いずれもスロットカー経験者ということもあり、いつも以上にレベルの高い戦いとなったのでありました。

……で、気になる結果はというと。



ドライバークラスは、予選でポールポジションを獲得。決勝でも合計108周と圧倒的な強さをみせた
Jaguariaの後藤将之社長が完全優勝。



103周を走って2位(レジェンドドライバーでは1位!)に入ったのは、今回初参加の片桐昌夫さん。
「練習の鬼」と仰るだけあって、この日のためにBANPROに通いつめ、徹底的なトレーニングを積んだとのこと。
おそらくモータープレスをご覧の皆さんは、片桐さんのレーシングスーツが気になるかと思いますが
これに関してはまた後日。



片桐さんに1周及ばず3位となったのはCAR GRAPHICの加藤哲也社長。
レトロモビルから帰ってきたばかり……という状況ながら、予選で8秒台を叩き出すなど
その速さは1/1も1/24も問わず。無論今回の模様はCAR GPAPHIC本誌にも掲載されるそうです。



そして総合4位、レジェンド・クラス2位に食い込んだのは、チュードル・カレラ6を
操った津々見友彦さん。聞くところによると、津々見さんも自主練に励み、
この日に備えられたのだとか? さすがです。



昨年の覇者、寺田陽次郎さんは総合5位、レジェンド・クラス3位。
走りにくそうなRX-7デイトナ仕様を見事に手懐け、98周を走りきった集中力はさすが耐久王。
これでシリーズポイントもトップの高橋晴邦さんに5ポイント差と肉薄。
(しかも2014年は欠席しているにもかかわらず!)
来年の10回記念が楽しみになってきました。



続く総合6位入賞を果たしたのは、ルーキー(!)の脇阪寿一さん。
スーパー耐久やGTで活躍した松田晃司選手が専属メカニックを務めるなど
万全の体制で臨んだというのもさることながら、やはり昨年まで現役を務めていた
レーサーの集中力と適応能力の速さは別格。来年の優勝候補!



一方ゲストレースの方は、プリンス・スカイライン54Bというマシーン・ハンディをものともせず
103周という驚異的な周回数を記録した桂伸一さんが文句なく優勝。
さすがはプロ。たぶんこれだどスバル360にマシーン変更しても誰も勝てない(笑)。



……で、末席ながらゲストレースに参加したお前はどーなんだ? というと
ナロートレッド&ショートホイールベースのタキ・レーシング・エランの挙動に最後まで馴染めず
(だってフルスロットルすると車体が浮いて飛ぶんだもの)11人中9位でフィニッシュ。
1/1も1/24も上手くいかねーなー(泣)。

今回も大盛況で幕を閉じた第9回CAR GRAPHIC Presents Gold Star Drivers Slot Car Race。
来年は記念すべき第10回大会ですからね。栄光の2代目シリーズ・チャンピオンに輝く可能性を
もっている晴邦さん、寺田さん、鮒子田さんがどういうレースを繰り広げるのか?
今から楽しみにしておきましょう。

ということで毎度のことながら、マシーンの準備などに奔走された
MFC(Modelcar Racing Fan Club)の田村さん、メンバーの皆さん。
そしてBANPROの伴野さん。さらに関係者の皆さん、本当にお疲れさまでした。
来年も宜しくお願いします。

ではでは。

 
2016.02.03 Wednesday

JCCA NEW YEAR MEETING 2016 Part2


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。
日曜にお台場で行われたJCCA  ニューイヤー・ミーティング。
2回目となる今回は、個人的趣味モロ出しの会場に集ったFJ/FL編です。



ここ数年、会場に着いてから真っ先にお邪魔するのが、千葉にある鈴木モータースさんのブース。
3年前にはダイハツ・フェロー7、昨年はKS-01を発掘して話題を呼んだ鈴木モータースの
今年の目玉は、な、なんとレース未使用&新車(!)のオトキチ  ALO II。

実はこれ、当時フレームとカウルが製作されるも、一度も使われることなく掘雄登吉さんの
ガレージの天井にずっと保存されていたものだそう。
それを譲り受け、フロンテなどのパーツを使い「転がる状態」に仕立てたのが今回の状態。
いやー、まだこんな「オバケ」がいるものなのですね。


4th TOKYO RACINGCAR SHOW AUTO SPORT 1971年5月号付録 (三栄書房 刊)

ちなみにアローSIIはオートルック・レーシングサービスが1971年の東京モーターショーに展示した
FJ360/FL500マシーン。安価でシンプルなマシーンをつくるため
「レーシング・カートのような」ノーサスペンションの足回りが特徴。
この時はオートルック・チューンのダイハツ・フェローMAXの
エンジンを搭載した状態で出品されていましたが、この状態で実戦に出ることはありませんでした。


AUTO SPORTS YEAR '73(三栄書房 刊)

SIIは、一体型のフレーム自体の”しなり”を利用してサスペンションの役目を果たすように設計されていましたが
翌年登場した改良型のSII-Rはシャシーフレームとフロント・リジッド、リア・ド・ディオン式の足回りを分割。
その接合部にラバーブッシュを挟むという構造に変えられています。




今回発掘されたのは、このSII-Rと呼ばれるタイプ。

手元の資料ではSRS久保チューンの360ccフロンテ・エンジンを搭載し
1972年2月3日に筑波で行われた「バレンタイン・トロフィーダッシュ・レース」のFL500クラスに
志村須美雄のドライブで出場。5位入賞を果たしたという記録(AUTO SPORT YEARはその時の写真)
が確認できますが、その後の出走歴は確認できませんでした。


AUTO SPORTS 1972年4/15号(三栄書房 刊)

しかしながら、エンジンレス、タイヤ&ホイール付きで34万円(当時)という低価格と
サスペンションレスゆえのメンテナンスの容易さ、そして軽トラックに積載可能(!)という
コンパクトさも相まって注目は高かったらしく、当時のAUTO SPORT誌では
7ページにわたる特集を展開。ジャーナリストの岡崎宏司さんが試乗記事を書かれています。
岡崎さんいわく「シロウトでも1分8秒台でラップ可能。非常に乗りやすいマシーン」との評。


AUTO SPORT 1972年4/15号(三栄書房 刊)

さらには、わしお・もとひこ氏によるイラスト付きの構造解説も掲載。
そのリジッドサスペンションに関して、高速コーナーや荒れた路面では不利になると指摘されています。



いずれにしろ、知る人ぞ知る幻のFLマシーンが、こうして再び日の目を浴びたのは嬉しい限り。
フェロー7、KS-01ともども、また走る姿を拝みたいものです。



さらに同ブースには、レーシングサービス・ワタナベのファルコン77Aもディスプレイ。
こうして並べてみると、メイクスが違うとはいえ、わずか数年の間に
FLが飛躍的な進歩を遂げているのが理解できます。



さらにクラブスタンドのHONDA N360 ENJOY CLUBには、昨年7月のJCCA筑波にも
出場していたアウグスタ MkIIの姿が。
こうして改めてみると、解良設計のシャシー、三村デザインのボディって
すごく完成度が高いのがわかります。

個人的にはまた米山さん、鮒子田さん、高原さんといった面々が
このMkIIで走る姿を見たい! と思うのですが……。



そしてN.Z Racing Sports Clubのブースには、レストア途中のアウグスタMkIII (エッソ・エクストラ)の姿も。
バタバタと通り過ぎてしまい染谷さんにお会いできませんでしたが、こちらの復活も期待しております。



そしてFJ/FLファンに朗報!
昨年7月に筑波で行われたJCCAで開催され、大反響を呼んだFLレースが
来る4月10日(日曜日)に富士スピードウェイで行われる
『JCCA 富士ジャンボリー』の中で開催されることが決定しました!!

小さな排気量に長い富士のストレートは酷かもしれませんが、再びその勇姿を見られるのは嬉しい限り。
いまから非常に楽しみであります。

ではでは。
 
2015.12.03 Thursday

GOLD STAR DRIVER CLUB of JAPAN

 


Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。
昨日は東京新宿のヒルトン東京で開催された
GOLD STAR DRIVERS CLUB of JAPANのイヤーエンド・パーティの会場へ。



長い日本のモータースポーツ史において、輝かしい功績と歴史をお持ちの
レーシングドライバーを選定し、その歴史を後世に伝えるとともに
モータースポーツのさらなる発展と社会貢献を目指して2013年に発足した

GOLD STAR DRIVERS CLUB 。

ご覧のように会場には、日本モータースポーツ史を彩る錚々たる面々
(会の最後に撮った集合写真なので、何人かの方の姿が見られませんが)が勢ぞろいしました。



現在、この会の運営をされているのは
会長の多賀弘明さん、副会長の大久保力さんをはじめ
砂子義一さん、高橋国光さん、長谷見昌弘さん、鮒子田寛さん、高橋邦晴さんからなる
役員の皆さん(名誉会長は、故 難波靖治氏)。

「野球でいうところの名球会のような組織にしたい。ちゃんと実績を残した者だけが
 入れるようにすることで、今現役で頑張っているレーサーたちの目標になるよなね」
と仰るのは、副会長の大久保力さん。

ゆえに現時点の入会規定には、
日本人ドライバー限定で、現役ドライバーは除くという基本条件の他に

1:1973年までの主要ワークスドライバー及び海外挑戦者
2:国内トップフォーミュラ歴代チャンピオン
3:富士GCシリーズ歴代チャンピオン
4:全日本耐久選手権・JSPCチャンピオン
5:その他規定に沿って推薦された者

のうちのいずれかの条件を満たすことが定められています。


※クリックすると拡大します

今回会場に集まったのは、漆原徳光さん、大岩湛矣さん、岡田秀樹さん、岡本安弘さん、
片山右京さん、北原豪彦さん、篠原孝道さん、関谷正徳さん、高橋利昭さん、
武智勇三さん、館信秀さん、寺田陽次郎さん、野田英樹さん、服部尚貴さん、
星野一義さん、細谷四方洋さん、柳田春人さん、米村太刀夫さん、
現役組を代表して、脇坂寿一さんという面々。
あと、ケン・マツウラレーシングサービスの松浦賢さんの姿もありました。

普段は海外のレジェンドを前にしても、意外と動じない図々しさを持ち合わせていた
つもりなのですが、これだけの面々が揃うとなると”圧”がすごい(笑)。
完全に会場の雰囲気に呑まれてしまいました……。



そんな今回の席上で、新たにメンバーに加わったのが
黒須隆一さんと清水正智さん。
お二人とも、このモータープレスでは説明する必要のないレジェンドでございます。

先日の多摩川スピードウェイ回顧展にもあったように、
日本でモータースポーツが始まって100年以上。
戦後本格的にスタートして50年以上という月日が流れた今、
各所でこういう動きがあるのは、本当にいいことだと思います。
欧米を除く地域で、これだけ2輪、4輪問わずモータースポーツが発展し
継続しているのは、ここ日本しかないんですから。

そしてモノであれ、人であれ、古いもの、昔のことを大事にするのはとっても大切。
そういう世の中を作っておかないと、自分が古くなった時に大事にされませんからね(笑)。

ということで、本当に得難い経験をさせていただきました。
今後は、一般のモータースポーツ・ファンの皆さんとも交流できる会を
積極的に開かれていくとのこと。楽しみであります。

ではでは。


2015.11.21 Saturday

多摩川スピードウェイを知っているか?

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。

昨日は、本日から開催されている「多摩川スピードウェイ 回顧展」に
先立って行われたプレスデイへ。



会場は東急東横線 多摩川駅目の前の大田区「田園調布せせらぎ公園」。
その入り口では、1936年型のオオタOC型が、お出迎えをしてくれます。



以前にもお知らせしたとおり、
今も残る多摩川レースウェイの跡地と、当時の歴史の保存を呼びかけ行動されている
多摩川スピードウェイの会と、一般社団法人大田観光協会の共催で行われた
今回の展示は、スピードウェイ誕生80周年を前に
多摩川を舞台に1936年から1938年にかけて行われた
「全日本自動車競走大会」等の写真、映像を中心に、これまであまり語られる機会の
少なかった戦前の日本モータースポーツ史の資料を公開し、後世に残そうというもの。



これまで十把一絡げに語りがち(自省を含めて)だった戦前の自動車史ですが
実は1900年代からすでにその胎動がはじまり、
1920年代には試行錯誤を繰り返しながら、有志により、その礎が築かれていったこと。
そしてそこに携わった人々が、後年の日本自動車界に多大な影響を与えていったことが
写真と簡潔なキャプションとともに、実にわかりやすく展示されています。



そしてアジア初の常設サーキットとなる多摩川スピードウェイに関する
貴重な資料(オープン時のパンフレットのグラフィックの素晴らしさ!)も展示。
なぜ多摩川ができたのか? 当時このサーキットを作ることが、どれほどのことだったのか?
ということが、「多摩川以前」を知ることで、
よりリアルに感じられる展示内容になっているのがミソ。



また戦前最大の自動車レースとなった全日本自動車競争大会の貴重な資料は必見。
中でも多数展示されている写真の数々は、エンスー諸先輩方に
とっても初めて見る貴重な写真が多かったとのこと!



また会場では、当時の貴重な動画が上映されているほか、本田技研でデザインを担当されていた
日向野隆三氏による、第1回全日本自動車競争大会の様子を再現した巨大な風景画も展示。
まるで自分も当時の観客席にいるのでは? と錯覚するほど臨場感に溢れた素晴らしい作品です。



その後、会場を館内の多目的室に移し、
多摩川スピードウェイの会 会長で、故 片山豊氏の長男でもある片山光夫氏。
オオタの創業者、太田祐雄氏の孫で、タマチ工業 社長の太田邦博氏。
そしてお父様がMG K3マグネットで出場されている
元 マツダの小早川隆治氏を迎えてのシンポジウムも開催。



その進行役を務めたのは、多摩川スピードウェイ保存活動の発起人のひとりでもあり、
このモータープレスでのおなじみの小林大樹氏。
片山、太田、小早川氏のお話を挟みながら、小林さんの手によって
しっかりと丹念に整理された戦前の日本モータースポーツ史を辿るお話は
実に聞き応えのある素晴らしいものでした。
ここまでの資料や検証を駆使しながら、多摩川スピードウェイを軸とする
戦前の自動車史が語られたのは、これが初めてではないでしょうか?
そういう意味でも、知識欲をくすぐられる楽しいひと時でした。



ずっと前から「いまの機会を逃したら、永遠に分からないまま忘れ去られてしまう」と
語っていた小林さん。

今回の展示を見ていて、お父様から引き継いだ多摩川スピードウェイを巡る
尊いライフワークが、ゴールに向けしっかりと動き始めたのを感じました。

ということで、この展示をひとりでも多くの方にご覧いただくことで
奇跡的に今も残る多摩川スピードウェイの跡地が
正しい形で後世に遺るきっかけになれば、と願ってやみません。

後世に残せる歴史があるというのは、何にも代えがたい財産ですからね。
ぜひこの週末、会場に出かけてみてください(詳細はコチラ)。

ではでは。


2015.11.05 Thursday

多摩川スピードウェイ・回顧展


Motor Press(モータープレス)

極個人的な自動車偏愛日記


こんにちは。

ひとつお知らせです。

1936年に我が国初の本格的レースウェイとしてオープンし
戦前から戦後間も無い頃の日本のレースシーンを支えた聖地ともいうべき
多摩川スピードウェイにスポットを当てた回顧展が
今月、11月21日から22日にかけて開催されます。



主催の
一般社団法人大田観光協会とともに共催を務めるのは
今も残る多摩川レースウェイの跡地と、当時の歴史の保存を呼びかけ行動されている
多摩川スピードウェイの会の皆さん。

今回の回顧展(写真展)では
来年のスピードウェイ誕生80周年という記念すべき年を前に
1936年から1938年にかけて行われた「全日本自動車競走大会」等の写真、映像など
特にこれまでメディアにも出ていないプライベートなものを含めて
展示されるとのこと。

また藤本軍次氏、太田祐雄氏、本田宗一郎氏など、このレースウェイの建設、運営に
関わった主要人物のプロフィールの紹介や、「オオタ号」OC型実車展示も
予定されているとか。

いずれにしろ、当時を知る人も少なくなりつつある今が
日本モータースポーツ史の原点を後世に遺す最後のチャンスといえるかもしれません。
ぜひ会場に足をお運びいただき、こうした保存活動への支持をいただけると幸いです。

開催場所などの詳細は下記をご参照ください。
もちろん、僕もお邪魔します!

ではでは。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

開催概要
 ・開催期間: 2015年11月21日(土)〜22日(日)
                     (開館:10時〜17時)、入場無
        <一般告知用PDF:http://www.o-2.jp/ota/pdf/2015TSW.pdf>
 ・開催場所
  大田区「田園調布せせらぎ公園」 集会室・多目的室
  大田区田園調布一丁目53番10号
  (東急東横線・多摩川線 多摩川駅下車徒歩1分)
 ・開催主体
  -主催:一般社団法人大田観光協会/ 共催:多摩川スピードウエイの会

展示内容
 ・日本初の常設サーキット「多摩川スピードウエイ」で、1936年から1938年にかけて
  行われた「全日本自動車競走大会」等の写真、映像等
  -主要人物プロフィール(藤本軍次氏、太田祐雄氏、本田宗一郎氏ほか)
  -「オオタ号」OC型実車(予定)

お問合せ先
 大田観光協会/ 担当者:栗原 洋三 (大田観光協会事務局長)
 〒144-0035 大田区南蒲田1−20−20 大田区産業プラザ2階
 (電話:03-3734-0202 FAX:03-3734-0203 メール:info@o-2.jp




2015.07.24 Friday

IMAI A-1 Del Ford(LOTUS 30)

 

Motor Press(モータープレス)
極個人的な自動車偏愛日記


こんばんは。
今日は久々に日本レース史に残るカルトカーのお話。

先日、JCCA(日本クラシックカー協会)の岡 政由 代表から
いただいたメールにこんな写真が。



そこに写っていたのは、知る人ぞ知る、ロータス30改のレーシングカー
イマイA-1 デル・フォード(しかもカラーだ!)の姿が。

この写真の送り主は、シンガポールの自動車雑誌”REWIND”編集部のEli(イーライ)氏。
しかもこれ、1969年のシンガポールGPで撮影された1枚なのだそうです。

この時のエントラントはデルレーシング。ドライバーは勝 常時(塩沢勝臣)。
となっています。



日本の名レース100戦 ’68 日本Can-Am(三栄書房 刊)

このイマイA-1 デル・フォードは、1968年に開催された'68 日本Can-AMに合わせ
塩沢進午(この 日本Can-AMの主催者でもある) 率いるデル・レーシング・カンパニーが、
プラモデルメーカーの今井科学のスポンサードを得て、ロータス30をベースに製作した1台。

この時のドライバーも勝常時でしたが、予選は最下位。
決勝も3周目にコースアウトリタイアという結果に終わっています。


AUTO SPORT 1968年4月号(三栄書房 刊)

イマイA-1 デル・フォードのベースになったのは、
1968年の第1回東京レーシングカー・ショー
( 主催がオートスポーツを楽しむ会:石原慎太郎 会長なのは知っていましたが
 そもそものきっかけは、AUTO SPORT 月刊3周年記念だったのですね)に
ジョン・マクドナルド(1965年マカオGPウィナー)が持ち込んだロータス30。
(当時はロータス30/40などと呼ばれていました)


AUTO SPORT 1968年5月号(三栄書房 刊)

その後、1968年3月23~24日に富士スピードウェイで開催された
NAC主催の読売アジア・チャレンジカップ 日本スポーツカー富士300キロレースに
マクドナルドのドライブ(ゼッケン7)で出場。

予選3位からスタートするも、レース序盤でエンジンを壊しリタイアという
結果に終わっています。

レース後にデル・レーシングに引き取られたロータス30は
同社のメカニックである藤田氏の手でウエッジシェイプのアルミボディへ換装。
イマイA-1 デル・フォードに生まれ変わるのです。

しかしながら、一般に知られているイマイA-1 デル・フォードの物語はここまで。
'68 日本Can-AM以降、一度もレースには出ていないと思われていた
イマイA-1 デル・フォードが、シンガポールGPにも出ていたなんて、初めて知りました。



イーライ氏いわく「このイマイA-1 デル・フォードが、シンガポールGPのあと
どうなったのか知りたい」とのこと。

なんかその昔、オリジナルのロータス30に戻されて現存してるなんて噂を聞いた
気もしますが、確認できず。
ちなみにロータス30の生産台数は、シリーズ1、シリーズ2合わせて33台ですが
ジョン・マクドナルドの30のシャシーナンバーは不明です。

ということで、どなたかイマイA-1 デル・フォードのその後をご存知の方が
いらっしゃいましたら、ぜひモータープレス(motorpress.jp@gmail.com)まで
ご一報を。お待ちしております。

ではでは。

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